ブラックシープ・アゲイン!〜黒い羊の涙と鉄槌〜

いいの すけこ

羊の涙

「いいわけがあるなら、聞いてあげるけど」

 擦り切れた石床をじっと見つめたまま、ミリィは顔をあげられないでいる。石の床は、靴を履いていても冷たさがはい上ってきた。凍りついてしまうんじゃないかと思う。

 いっそ凍ったまま、やり過ごせたら良いのに。

 そう思っても、教師の追及はやまなかった。

「この魔術学園の生徒だという自覚はあるのか? ミリィ・リリー」

 大陸随一の魔術教育機関。

 魔術を学ぶ入り口となる初等科に通うミリィも、入学当初は胸をときめかせて校門をくぐったものだ。魔術師の証であるローブを翻して歩く先輩たちも、授業で魔術の神秘を説いて実践してくれる先生たちも。貴重な魔術書がたくさん収まった図書館も。教室も、寮部屋も。

 あんなにきらめいて見えたのに。

「実技となれば毎回毎回、赤点をとって。毎回追試に付き合わされる私の身にもなってくれ」

 先生の教科室も楽しかった。見たこともないような魔術道具とか植物とか標本とか、不思議なものがたくさんあったから。

 だけど今は、呼び出されてはお小言をくらう、つらい場所になってしまった。


「申開きは?」

 生まれ持った魔力が少ないんです。

 失敗が怖いんです。

 勉強はいっぱいしてます。

 授業も真面目に受けてます。

 いいわけなら、たくさんあった。だけどどれも口にするだけ情けなくて、恥を上塗りするだけだとミリィは思った。

(だけど)

 これだけは言っておきたいということがあった。

 こればかりは自分のせいじゃないのだと。

 思い切って、顔を上げる。

 教師の胸には、魔石を留めたネクタイピンが鈍く光っていた。

「私の成績のことで、意地悪する子がいます」

 だから萎縮してしまうのだと、精一杯に伝えた。

 言い返したりやり返したりできない自分も、やっぱり情けないかもしれないけど。それでも意地悪する子達は良くないから。

「……人のせいにする気か?」

 目の前が真っ暗になった。教師に投げつけられた冷たい言葉は、ミリィの小さな心を酷く傷つけた。

 落ちこぼれミリィ。

 そう呼ばれる哀れな子羊を、誰も理解してくれない。

 泣きながら寮の自室に戻ったミリィは、ベッドに寝かせてある黒い羊のぬいぐるみを抱きしめる。



 ☆☆☆



 落ちこぼれと呼ばれるミリィ・リリーが、特別な使い魔を従えたという話が出回ったのは、学年末のことだった。

 見てくれは可愛らしい黒羊……のぬいぐるみ。だが、その中には悪魔の魂が入っている。

 魂の正体は監獄に収監されていた、大罪人のものだという。

 その特殊極まる使い魔を、ミリィ・リリーは進級試験として行われる『使い魔ファミリエ決闘デュエル』に参加させた。魔術の技量を測る、生徒同士による使い魔の決闘だ。

 だが、どの生徒も罪人の凶暴さに恐れをなして、一人として挑戦を受けずに終わったらしい。

 果たして魂となった大罪人は、愛らしい羊姿のまま再逮捕されるかと思われたが。

 ミリィの使い魔として契約が成立した魂は、その傍を離れず彼女に従った。そのため主のミリィごと、学園内で監視するという判断がなされたのだ。

 下手にミリィと魂の繋がりを絶って、再び逃亡されても面倒だということで。

「じゃあ授業にいってくるね」

 以前よりずっと明るい笑顔で、ミリィは出かけていく。その使い魔は主のベッドの枕元から、小さな背中を見送った。


 まだ太陽も高い、昼食時間帯を過ぎた頃。

 羊が主の帰りを待つ部屋に、何者かの気配があった。

 ミリィの部屋は進級と同時に、一人部屋に変更されていた。制御できたとしても、大罪人の魂とミリィ以外の学生を共に生活させる訳にはいかないからだ。

 侵入者は部屋を一瞥する。早足でベッドに近づくと、毛布をはぎとり枕を跳ね除けた。

『おいおいおい、おっさんよお。危ない趣味してるんじゃないだろうな?』

 侵入者の背後で、ぽふんと軽やかな音。

『ちんまい娘っ子の部屋に忍び込むとか、変態かお前』

 侵入者が振り返った。頭からローブを被った、おそらく男だ。ローブの下で、驚愕に見開かれた目がとらえたのは、黒い羊のぬいぐるみ。口は針ひと刺し分も形づくられていないのに、中身の悪しき魂は口汚く侵入者を糾弾する。

「黙れ、『反逆の角ブルーホーンズ』」

 ふわふわ黒い羊は、犯罪者として手配された名で呼ばれた。

 侵入者が、童女趣味でないことくらいはわかっている。この姿になってからも、狙われたり捕らえられそうになる。初めてのことではない。

 取り決めで監視されるだけにとどまっていても、それだけでおさまらない者もいるらしい。損得勘定、思想の違い、はたまたもっと生々しい恨みでもどこかで買ったか……考えても、お尋ね者の魂にはこれと特定できる罪状は思いつかなかった。心当たりがありすぎるので。


『今の名は黒い羊ブラックシープだ』

 侵入者が黒い羊に杖を突きつけた。はだけたローブの隙から、小さな光の粒が見えた。

 魔石をあしらったネクタイピン。

『おやおや、どこのどいつかと思ったら。いつぞや我が主人マスターをいじめてくれたクソ教師じゃないの』

 肉体のない魂が入り込んだのはごく最近だが、ぬいぐるみは己を濡らした主の涙を覚えていた。その涙の記憶は、大罪人の魂にも響いている。

 羊の顔に、青い光を放つ紋様が現れる。それは魔力が発現する証でもあった。

「いじめた? あれは指導だ」

『おっと?』

 教師本人は、そのつもりかもしれないけれど。

そもそもミリィが落ちこぼれと散々からかわれていたのを、大人たちは見過ごしていた。その痛みを、この布と綿だけの体は覚えている。

 ぬいぐるみは両前足の拳ならぬ羊蹄を、付き合わせて鳴らす。ぽふぽふなんて柔らかいものではなくて、ごっつんごっつん厳つい音が響く。

 ガラスで出来た黒いはずの瞳が、青い光を湛えてぎらりと光った。

『いいわけなんざ、聞かないぜ?』





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