桜と逃走兵と言い訳と

藤泉都理

桜と逃走兵と言い訳と




「なあ、起きないのか?」

「ええ、寒いですから」


「なあ、起きないのか?」

「ええ、風が強いですから」


「なあ、起きないのか?」

「ええ、雨が強いですから」


「なあ、起きないのか?」

「ええ、雷が怖いですから」


「なあ、起きないのか?」

「ええ、暑いですから」




 もう春なのに。

 逃走兵と名乗る男性はいつもそう続ける。

 私の膝元に寝転んで。

 だから私はいつもこう返す。

 春だからってどうして起きなければならないのですか、と。


「だっておまえは桜だろ。桜は春に起きるものだ」

「だったらたった今から私は桜ではありません」

「だったら何だよ?」

「ただの木です。名もない木。だったらいつ起きようが私の自由ですよね」

「おまえは桜だよ。見たらわかる。ほら。蕾も膨らんで。もう起きてもおかしくないのに、おまえが無理に眠るから」

「無理に。ではありません。理由は述べたでしょう。まだ自然が起きる刻ではないと言っているのです」

「じゃあ、どんな自然条件だったら起きるんだよ?」

「穏やかな日です」

「穏やかか」

「ええそうです」

「それは。難しいな」

「ええ、ええ。そうでしょうとも」


 そうでしょうとも。

 桜はもう一度強く言い放った。

 ここら一帯はまだたくさんの緑が残っているが、遥か遠くに見える景色に緑色は皆無。

 灰と黒の二色だけだった。

 そこから激しい振動がいつも襲って来る。

 そこから激しい閃光がいつも襲って来る。

 そこから激しい臭気がいつも襲って来る。

 いつも。

 いつも。

 いつも。

 こんなに遠く離れた場所でも。


 しょうがないんだよ。

 逃走兵はいつも言う。

 いつもそうだ。

 しょうがないばかり。


「あなたはいつになったら起きるのですか?」

「おまえが起きたら」

「嘘ばっかり」

「嘘じゃない。起きるよ。だから」


 早く目を覚ましてくれよ。

 逃走兵はいつも言う。

 毎日毎日。

 けれど毎日毎日言われると反抗したくなるってものだ。

 だから、あれこれ言い訳を告げて目を覚まさないのだ。






「なあ、起きないのか?」

「ええ、大気汚染物質が多すぎますから」


「なあ、起きないのか?」

「ええ、杉花粉が多く飛翔していますから」


「なあ、起きないのか?」

「ええ、檜花粉が多く飛翔していますから」


「なあ、起きないのか?」

「ええ、多くの春の花たちが起きましたから」


「なあ、起きないのか?」

「ええ、多くの鳥や虫たちが鳴いていますから」


「なあ、起きないのか?」

「ええ、人間が騒がしすぎますから」






 激しい振動も激しい閃光も激しい臭気も止んでからどれくらい経ったのだろうか。

 ほんの僅か。ほんの少しずつ緑が生まれて来てからどれくらい経ったのだろうか。

 どこかに隠れていた人間がここまでやってくるようになってどれくらい経ったのだろうか。

 様々な音が、様々な色が、様々な匂いが、様々な温度が、様々な感触が蘇って。

 どれくらいが経ったのだろうか。






「なあ、まだ起きないのか?」

「ええ。そうですね」


 私は少し考えた。

 まだまだ眠っていてもいいけれど。


「穏やかな日なので、起きましょうかね」

「じゃあ、俺も。起きるよ」






 本当はあなたが怯えなくなったから起きたのですよ。

 なんて。






「あー本当に人間は騒がしすぎますね。やっぱり眠っていましょうか」

「もうこんなに花を綻ばせているのにか?」

「ふふ。花を閉ざすことなんて造作もないのですよ」

「嘘つけ」




 その笑顔の中で起きたかった。

 満開の花を咲かせたかった。

 なんて。






 絶対に言いませんよ。












(2023.3.15)



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