第22話 乾杯したら、グラスは後ろに投げませう!への応援コメント
割れたグラスを、食堂車の店員はどうしたのでしょう?迷惑だったでしょうね。よく弁償しろと言われなかったものです。
作者からの返信
少しだけヒントを。
このような風習が国によってあることは知られていたため、車掌の証明によって列車食堂の従業員が不利益を被ることはなかったようです。
第21話 京都駅のホームで、謎の外国人に出会うへの応援コメント
変な外国人で思い出しましたが、私も若い頃、やけに流ちょうな日本語を話す外国人グループに、街中で話しかけられたことがあります。話しているうちにわかったのですが、その方たちはキリスト教一派の布教活動をしているのでした。私は適当な理由をつけて逃げました(笑)。
まあ、この場面ではそういうことではないんでしょうけど。
第14話 大山おこわ定食にありつき、ビールも進んだ。への応援コメント
当時の料飲税の対象にならないように、会計を分けてしていたとは・・・確かに脱税まがいとは言えますね(^_^)。
ポークカツが単品でも注文できるとか、結構融通が利いていたんですね。
作者からの返信
そのような知恵のきく人は、確かに、おられました。
ポークカツに限らず、酒飲みの客用の単品扱いもありましたが、味付けなども、存外、融通を利かせていたという話もあります~酒飲みの場合、少しから目にする、など(苦笑)。
第7話 専門外のエッセイは身を助けたへの応援コメント
新聞などに書かれた記事が、結構な影響力を持った時代でしたね。それでも学生にとっては、食堂車はかなりの贅沢だったと思われますが。
作者からの返信
おっしゃる通りです。実は、戦前の趣味人の方の撮影された鉄道写真集で、この時代の京都帝大生で、大阪から京都まで乗車して食堂車で朝定食を食べて京都駅からタクシーに相乗りして大学に出向いた方がインタビューにお答えになっておりました。
当時の和定食は1935年時点で40銭もしくは50銭、洋定食は75銭ですから、和食と言えどもそれなりの値段だったと思われます。
第6話 あとは、珈琲1杯で粘って京都へへの応援コメント
あの時代に一緒に旅をしているような、なんとも楽しい読み物ですね~。
車内の食事風景が手に取るように分かり、思わず生唾を……。(笑)
第4話 伊勢参りの快速の食堂車に、突入!への応援コメント
急行列車でもないのに食堂車がある!特急列車と普通列車では、使う石炭を変えている!?本当に面白い時代ですね。
作者からの返信
この頃は、機関士と車掌を問わず、特急や急行に乗務できるのは相当な熟練者だけでした。また、石炭なども普通列車や貨物列車に比べ、良質なものを使っていました。
さすがに戦後は普通列車に食堂車がつくようなことはなくなりましたが、半世紀ほど前までは、急行列車にもまだ食堂車がありました。
第23話 割れたグラスは破損証明。そして、チップ!への応援コメント
日本にもチップを渡す習慣があったなんて知りませんでした。最初は欧米に倣っていたのが、いつの間にか日本独自の方向に転換していたのですね。
作者からの返信
1962年まではありました。展望車がなくなって2年後までです。
その年寝台車やパーラーカーなどはノーチップ制になり、その分いわゆる列車給仕の給与は幾分上がりりました。