曇れど眩い世界にて

葉霜雁景

眩中模索

「この世には二種類の敵がいるわ」


 どこかで聞いたような言い回しと共に、師匠がリボルバーを発砲。銃口の先は、床から這い出てきた小型の異形に向けられている。

 還元と呼ばれ分類される、文字通り対象を分解し還す祓魔術ふつまじゅつを施した銃弾を受けたそれは、悲鳴を上げることなく散った。ぼーっと見ている暇もなく、師匠はカツコツとヒールを鳴らして廃墟を進んでいく。


「一つは、さっきみたいな異物。特に危険は無いけど、放っておけば集まってけがれが溜まる」

「穢れが溜まれば災禍に繋がるため、見つけ次第駆除しておくべき。でも、何らかの起爆剤になる可能性もあるから、侮ってはいけない」

「んー百点あげちゃう! 花丸もあげちゃうわ」

「ありがとうございます」


 ああ、つまらない返しになっちゃった。せっかく師匠が褒めてくれたのに。

 他にどんな返しがあっただろう。考えながら師匠についていく。元々186cmの長身を誇る師匠は、7cmのハイヒールを履いて更に背を高くしている。仕事中はシックなスーツ姿だけど、ツーブロックの髪はプラチナブロンドとブルーグレーでよく目立つから、見失うことはない。安心。

 師匠が向かっているのは、廃墟の屋上だ。見通しの良いところでなければ、今回の仕事仲間を使ってあげられない。


「……師匠」

「なあに?」

「この子、ちゃんと使ってあげられるでしょうか」


 背負う重みが急に増した気がして、つい弱音を吐いてしまった。師匠の好みは強い人なのに。失望されないかな。

 けれど、師匠は伊達の丸眼鏡を上げ、メイクでキメた顔を晒して笑みを咲かせる。似合うと思って贈った、薔薇色ばらいろのルージュを引いてくれた唇で弧を描く。


「もっちろん! 分からなければ私が教えてあげるもの。それに、あなたには才能があるわ。ここでまた一つ、狙撃の才能も開花させちゃいましょ!」


 杞憂だった。馬鹿だな、数秒前のボクは。師匠はそんな程度でボクを見捨てない。ボクじゃなくたって、誰かを見捨てることはない。そういう所を好きになったのに。

 貰った言葉を噛み締めていると、終点に到着した。ここから屋上に向かう。道を阻んでいた施錠済み扉は、師匠の蹴りで吹っ飛んでいった。


「屋上って良いわよねぇ。学校の屋上なんて青春の舞台よ」

「そうなんですね」

「そうよぉ。あなたも青春真っ只中の、花の女子高生じゃない。あるかもしれないわよ、屋上で告白とか」

「ボクは師匠が好きなのでお断りします」


 即答すると、師匠の笑みは困ったものになる。やってしまったなとか、申し訳ないなとかって思うけど、やっぱりそんな顔も好きだし、自分の気持ちに嘘をつきたくないなってなる。

 自分に嘘をつかないこと、言い訳しないことは、師匠から何度も言われたことだ。実際、そうするのは気持ちがいい。悔いなく生きてるって感じがする。師匠みたいに。


「やぁね、もう。あなた見る目はあるけど、私ばっかり見てるのはオススメしないわよ? 審美眼も鍛えなきゃ……っと、おしゃべりはお終いね。もう一つの敵、脅威物の方が来るわ」


 ロマンスグレーの双眸が、半壊したフェンスを通り越して中空を睨む。薄曇りの空に一点、雷雨を抱く暗雲が現れたかのように、真っ暗な部分が現れていた。今回の標的だ。


「じゃ、本体が出てくる前に、早速セッティングしましょうか」

「はい。ご指導よろしくお願いいたします」


 きっちり一礼してから、背負っていた袋を降ろす。チャックを開けて広げれば、ピカピカ新品のスナイパーライフルが顔を出した。

 脅威物と呼ばれる大きな敵――今回のものは、正確に言うと違うのだけれど――は、出現から活動開始まで数時間を要する。師匠とボクのようなフリー、傭兵みたいな存在に処理が任される程度のものは、こうして悠長に銃を組み立てていられるくらいには動きが遅い。

 まあ、今回はボクの練習台とあって、師匠が油断を許される敵の駆除依頼を選んでくれていたのもある。


「んー教本通りの手際ね。やだ、教えることなくて師匠失格かも」

「師匠に褒めて欲しいので、暗記して練習しておきました。それに、道具の使い方はしっかり予習しておかないと駄目って、教えてもらったので」


 今日の仕事仲間は銃だけど、刀とか槍とか弓とか、アナログな形のものを使うこともある。もっとも、今の時代はそういう武器と機械(と祓魔術)が合わさっているため、デジタル寄りな調整はどんな武器でも必須だ。専門家に頼るのもありだけど、自力でやれるに越したことはない。

 装填するのはあらかじめ還元の祓魔術を施した弾で、これも自分で調整してある。限りなく魔弾に近い銃弾は、しかし万全の備えなくして必中とはならない。


「じゃ、ちゃんと褒められるよう憶えておくわ。構え方も、撃ち方もね」

「楽しみです」


 バイポッドに銃身を乗せ、腹這いになって構える。スコープを覗けば、十字の中に標的が綺麗に収まっていた。


「師匠」

「何か問題かしら?」

「いえ。……褒めるときは、頭を撫でてくれますか」

「何よもう、おねだりできるくらい余裕だった? うふふ、その綺麗な黒髪ストレート、撫で回して鳥の巣にしてあげるから――命中ヒットさせちゃいなさい」


 弾むような明るい声色から一転、低音を流し込まれて覚悟が決まった。

 深く息を吸い込んで、止める。時間の流れが緩やかになって、得物と体が一つになっていくような錯覚が始まる。


 ――魔弾の行き先は定まった。


 空想の数時間を詰め込んで、濃く膨らんだ実在の数秒は。直後、人差し指を曲げただけで破裂した。

 制限装置で小規模にされているものの、銃声とマズルフラッシュ、硝煙しょうえんの匂いは、集中の海から上がりたてな脳に焼き付く。ビビットカラーの残光が散っていく視界の中で、標的が音もなく崩れ、墨のように流れて消えていった。


「クリーンヒット! やだもうなーんの心配も無かったわねー! 光理ひかりったら本当よくできた弟子なんだからー!」


 黄色い悲鳴を上げる女の子みたいに、両頬を手で挟んだ師匠が歓喜している。こそばゆくなっちゃうな。ボクの功績が、師匠を笑顔にしてるだなんて。

 そうだ、撫でてもらわなきゃ。その前にライフルをしまう後片付けもあるけど。どっちが先でも、まずは立ち上がらなきゃ。


「あらやだ」


 師匠の声がしたと思ったら、ぐいっと引っ張られてよろける。背に大きな手のひらが当てられて、柔軟剤と香水の香りがぶつけられる。

 何かいたらしいと気付くより早く、リボルバーの銃声が聞こえた。あいにく視界が塞がったせいで、何に発砲したのかは分からない。


「うちの弟子にちょっかいかけるんじゃないわよ」


 顔は見えないけど、降ってきた声には不機嫌な影がかかっていた。たぶん今、師匠は師匠の嫌いな顔をしているんだろう。楽しさなんて欠片もない、怖い顔ってやつを。

 というか待ってほしい。もしかしてボク、師匠に抱きついてる格好なのでは。どうしよう、最高だけどさっきまで腹這いだったから汚れてる。ボクのスーツはともかく師匠のスーツまで汚してしまうのは嫌だ。


「し……ししょ、うっ!?」

「ごめんなさいねー、私が油断しちゃってたわ、恥ずかしい。せっかく光理が頑張ってくれたのに」


 離れるより先に、大きな手の感覚が被さってきた。背に回されていた師匠の手が、ボクの頭を撫でている。

 分かった瞬間、師匠の広い手のひらと長い指を堪能すべく、頭の感覚が鋭敏になった。最高、至福、このために生きてるって感じ。片手じゃなくて両手使ってくれてもいいんですよっていうか使ってくださいお願いします。


「両手で撫でるのは帰ってからね」

「分かりましたすぐ片付けるので早く帰りましょう」

「あら、せっかちさんなんだから」


 苦笑されたけど、ボクは至って真面目だ。離れたとはいえ至近距離な最高のひと時を終わらすのは惜しいし、撫でて欲しさはもちろんあるけれど。厄介な変容体と出くわしたら、今の装備だとボクが足手まといになる。お荷物になってしまうのはお断り。断固拒否。

 銃身を傷つけないよう手早くスナイパーライフルをしまい、再び背負って立ち上がると、ちょうど雲が晴れ始めていた。割れた箇所には青空が覗き、薄明光線が地上に注がれている。異物や脅威物がもたらした災害で、未だ瓦礫がれきと廃墟だらけの地上に。


「……“世界は一つに還されようとしているのかもしれない”」


 師匠の蔵書『異威いい考察こうさつ』に書かれていた文をそらんじる。異物と脅威の出現理由について論じられた章にあった一文を。

 異物や脅威物と呼ばれる、人類の敵たち。それらの正体は解明されていないが、対抗策として還元祓魔術――未知を既知にするという概念に基づいた呪術が編み出された。


 現れ来る異なるもの、隠れ潜む威なるもの、叡智えいちを持って打ち消さん。原初の火より受け継ぎし光明を以て、いかなる闇も照らし明かせ。


 還元祓魔術の詠唱を、胸の中で諳んじる。遥か古代の人類が、火を手にいれて夜闇を照らしたように。現代の人類は、形を持ってやってくる災禍を解き明かすことで打ち祓っている。得物に言葉を吹き込んで。あるいは言葉そのものを使って。

 暗記した記憶は、一瞬で氾濫した。思考をあっさり押し流してしまうくらい。はっと気付いて隣を見れば、師匠の微笑がこちらを見下ろしていた。


「すっ、すみません師匠、ぼーっとしてしまって」

「あら、全然気にしないわよ。私もそういうの考えちゃう時とか、独り言つぶやいちゃう時あったもの」


 向けられた目の温かさが刺さる。やばい、顔が熱い。正直目をそらしたい。でも徐々に日差しが広範囲に渡ってきて、照らされ始めた師匠の顔が綺麗だから見ていたい。


「おまぬけさんな顔しちゃって、もう」


 不意に額を弾かれて、思わず目を閉じたし手を当てた。痛い、でも嬉しい、うれしい。


「ややこしくて回りくどいものね、この界隈って。だけど、やってることは昔と変わらないわ。異物も、脅威物も、一つずつ分けて考えていく、知っていく、識っていく。それが『祓う』行為として集約されて、変化しただけ。また暗中模索しているだけだわ。自分のことも分からないのに」


 静かな語りを聴きつつ目を開くと、師匠は荒廃した下界を眺めていた。

 ボクたちの真上でも雲が晴れたらしく、光が降り注いでいる。その中にたたずむ師匠は、改道かいどう啓一郎けいいちろうという名の人は、天使みたいに美しい。


「……師匠の美しさも底が知れないですね」

「今そんな話じゃなかったでしょお馬鹿。でもありがとう」


 お礼を言われながら、ぺしっと軽くはたかれる。確かにそんな話はしていなかったし、師匠がボクの物思いに乗ってくれたのも重々承知。でもやっぱり、好きな人を好きだなと思うとすっぽ抜けてしまうんだよね。しょうがないよね。


「ほんとにもう、いつもしっかりしてるし真面目だから忘れちゃうけど、トンチキ入っちゃってるんだからあなたって子は」

「だって師匠が好きなんですもん」

「幼児みたいな言い方するんじゃないわよ。でもありがとう」


 くるり、師匠が回れ右をして歩き出したので、反射的に後をついていく。帰ろうと先に言ったのはボクだったのに、要らない時間を過ごさせてしまったな。反省。


「あ、そうだ。言い忘れてたわ」


 屋内へ踏み入ろうとした直前。またもくるり方向転換して、師匠はボクの方を向いた。何だろう、注意散漫にならないための警告かな。


「今日もよくできました、光理」


 違った。柔和な笑顔にシンプルな褒め言葉と、名前を呼ぶ声が飛んできた。大好きなものを三つも同時に貰ってしまったら、心臓がこう、ギュンッとなってしまう。難しいこと考えられなくて、頭がふわふわになってしまう。困る。

 辛抱なんて選択肢を浮上させず、シックなスーツで包まれた胸にダイブした。ボク自身の汚れも気にするものか。一応払っておいたけど。


「師匠、師匠」

「はいはい」

「ボク、師匠が望むなら何だってできますからね」


 師匠が望むなら。異物でも脅威物でもそれ以外の何かでも。何だって駆除してみせますからね。だって師匠が好きですから。師匠がボクの絶対ですから。

 犬よろしくグリグリ頭を擦りつけると、柔軟剤と香水の程よい香りが弾けていく。が、頭を掴まれて中断されてしまった。


「お馬鹿! 何でもできる、なんて人生で言っちゃいけない言葉ブラックリスト入りの禁句よ禁句! 二度と言うんじゃないわよ」

「でも師匠に言われたら本当に何でもできるんです死んでもいいです」

「それも禁句よ命大事にしなさい! 成人したら私とお酒飲む約束反故ほごにするつもり!?」

「それは嫌ですまだ死ねって言わないでください」

「言ってるのはあなたよ! だいたい愛弟子を死なす師がどこにいるっていうのかしら、全く」


 大雑把にボクの頭を一撫でしたのち、師匠はスタスタ屋内へ入って階段を下り始めたので、慌てて追いかけた。怒られたし呆れられてしまったな。また反省。でも愛弟子って言われちゃった。歓喜。恐悦。大満足。

 明るい外から薄暗い廃墟内に戻ったこともあって、目が慣れるまで少しかかる。瞳孔が開いていくのを感じながら、この世で一番大好きな人の背を追いかける。いつかは向かう先に出て、思いっきり抱きついてみせる。

 おかしいとか周りをよく見ろとか言われても、何に分け隔てられても関係ないので。ずっとそばに置いてくださいね、師匠。それがボクの幸せなので。

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