【KAC20237いいわけ】僕たちの非日常な日常のはじまり

ながる

お伽堂にて

 はざまが『お伽堂』を訪れたのは夜になってからだった。

 仕事は定時で上がれたのだが、『お伽堂』に行くなら神社に寄ってから、とオマエが譲らなかったのだ。少々遠回りになるが、全くの反対方向という訳でもない。渋々付き合えば、境内を高校生だという巫女さん(間の同僚談)が掃除していた。一足先に満開になっていた桜はもうすっかり葉桜で、他の人の気配もなかった。

 「ちょうどいい」とオマエは巫女さんに近づいていく。巫女さんは社務所に向かわずに自分に近づくオマエに少し動揺しながらも、オマエから目が離せないようだった。

 (顔はいまどきのアイドルみたいだもんなぁ)

 一抹の悔しさを感じながらも、はざまは後に続く。


「前に預けたぬいぐるみ、返してもらえますか?」

「え? あ! は、はい。持ってきますね!」


 踵を返した巫女さんの姿が神社に消えていくと、オマエはふと違う方に目を向けた。特に何があるでもない方向だが、もの欲しそうな顔をしているので、食欲をそそる何かがあるのかもしれない。

 しばらくしてオマエに手渡されたのは、二十センチほどのテディベアだった。以前はざまの頭から離れなくなったものだ。心なしか、その手の中で小刻みに震えている気がする。

 お礼を言って階段を下り始めると、オマエはそのテディベアをはざまへと押し付けた。


「あなたが持っていてくださいね」

「俺が? どうして。お前の方がまだ似合うだろ」


 今はパーカーにジーンズというラフな格好だからまだいいが、はざまが持ち歩くには違和感のある組み合わせだろう。手にした茶色のクマを見下ろせば、どこか鬼気迫るような圧を感じる。そっと持つ手をオマエに近づければ、クマははざまの手にしがみつくそぶりを見せた。


「まあ、そういうことですよ。また取れなくなる前に諦めてください。それに、必要になりますから」


 嫌な予感はしつつ、とりあえず頷いて、はざまはクマを小脇に抱えたのだった。


 * * *


 『お伽堂』に入れば、「いらっしゃい」と落ち着いた声が迎えた。あちこちにそびえ立つ本の塔の向こうに小柄なお爺さんが座っていて、鼻眼鏡の奥からはざまを見上げてきた。

 どこにでもいそうな普通の老人に、オマエの言う『勇者』の称号は似合わない気がする。そんなことを思っていたから、はざまは不意打ちをくらった。


「バイトの希望かい?」

「えっ? あ、違います。あの、オマ……この人のことで少し聞きたいことが……」


 指差したオマエの方をじっとりとした目で見てから、店主はやれやれとため息をついた。


「何か、ご迷惑でも?」

「迷惑……は、あるような、ないような……あの、貴方が勇者だというのは……」


 ものすごく馬鹿らしいことを言っている気になってきて、はざまの声は尻すぼみになる。大笑いでもしてくれれば、そうですよね!って帰れるような気がしていた。

 しかし、期待とは裏切られるものである。


「そんなことまで喋っちまってんのか……」


 苦虫を噛み潰したような顔をしながら、店主はよいせ、と腰を上げた。


「ちょいと散らかってるが、上がんな。茶でも出そう。お前は店番しときな。


 しっかりと釘を刺すところをみると、なんだか真実味が増す。ひらひらと手を振りながら見送るオマエを背に、はざまは増す不安を見ないようにしながら店主の後を追っていった。


 店の奥は、雑然とした店の中よりももっと混沌としていた。いや。見た目には普通の和風のつくりだ。だが、廊下を進むたび、左右にあるドアや障子の向こうからただならぬ気配が漏れ出てくるのだ。

 歩き始めてすぐ、小脇に抱えていたクマがもぞもぞして、勝手に廊下に下り立った。ギョッとしたのははざまだけで、店主は動き回るクマを近所の子供を見るような顔で見ている。興味深そうにドアの隙間を覗くクマをひょいと持ち上げて、店主は言った。


「その辺はぐちゃぐちゃだ。変なとこに繋がったりするから、迷い込んだら探せんぞ。トイレはそこ。先に行っとくがいい」


 はあ、と、言われた通りに借りておく。男子用小便器もある広いトイレだった。律儀に待っていた店主は、もう少し先の障子を開けてはざまを促した。和室に設えてあったのは掘りごたつで、テーブルの上にはみかんがカゴに入っている。戸惑いながらお邪魔すれば、クマははざまの前のテーブルの上にちょこんと座った。

 言葉通りお茶を入れてくれて、店主は「それで」と話を聞く体勢に入った。




 はざまが出会いから一通りを話し終えると、店主は一唸りしながら茶を注ぎ足した。


「……まあ、気に入られちまったんだろうな。都会から来たんなら、ここいらの風習とかよく知らんだろうから……ないがしろにしてると巻き込まれかねんのは、そうだ。周りをよく見て、時には聞いて、よくわからんけどそうするもんだってことは真似しとけ。そうやって怪異の方の関心も薄れたらあいつも離れる……と、思うが」

「貴方は、彼を負かしたんですよね? なんだか危なそうなものをどうしてこちらに連れて来たんです?」


 はぁ、と大きく息を吐いて、店主はこめかみを揉みしだいた。


「これは言い訳みたいなもんだが……詳しく言ってもあんまり信じないと思うがよ? 他の世界ではアレは結構な脅威でな。あらゆるエネルギーを食べつくして、滅ぼした世界も一つ二つじゃねぇ。善も悪もねぇ、ただ食欲を満たすだけに食べ続けるんだから、やめろって言っても聞くもんじゃなかった。おれも向こうで身に付けたあれこれを全部食われて、でも、残ってたの部分に救われた。最後は少年漫画みたいに殴り合いよ」


 カッコいい話じゃねえ、と店主は苦笑いする。


「アレは人間は食えない。食おうと思えば食えるが、酷く手間がかかる上に栄養が少ない。だから手を出さない。日本人はこんにゃくだのフグだのそういうものにも手を出すが、普通はそこまでしねえんだ。『食べる』という能力を除けば、アレもそう筋力があるわけでもない。この世界が一番安全にアレを飼える。そう判断したまでよ。幽霊や怪談話なんかは消しても消しても出てくるからな。ちょうどいいだろ」


 それで、オマエは真夜中にフラフラと出歩いてをしてるのかと、はざまは少しだけ納得した。


「そうさな。アレを遠ざけたいなら、筋トレでもして物理で殴れるようになるのが手っ取り早いな。だが……もしも、そう迷惑でもないなら、少し付き合ってやってくれ。もしかして何か変わるかもしれん。変わらないかもしれんが」

「はぁ」


 そうはざまが曖昧に返事をした時、店の方からオマエの声がした。


「店主ー。妖精が本で神経衰弱してるが、ほっといていいのか? 食うか?」

「食うな!! 網があるだろ。全部捕まえとけ! ……ったく、ああ、今日は七日か……まだ何かあるな」


 よいせ、と腰を上げて、店主はふとクマに目をやった。


「悪いが、ハザマ君だったか。ちょっと手を貸してくれ。そのクマが一緒なら、悪いものは近づいてこないだろう。七の付く日は厄日でな」


 はざまは数度瞬いてクマを見た。クマは立ち上がって、ちょっと胸を逸らしながら短い手をその胸に添えた。「任せとけ」とでもいいたそうな素振りに、困惑する。


「え。このクマがですか?」

「前は知らんが、神様のとこにしばらくいたんだろ? 神気が移ってる。一時的なもんだが、クマ公もやる気みたいだし、悪くねえな」


 こいこいと招かれて、うっかり立ち上がってしまえば、はざまの頭にひょいとクマが乗る。

 断る間もなく、非日常という名のドアを開けて踏み出してしまったのだと、はざまはまだ気付いていなかった。




僕たちの非日常な日常のはじまり 終

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