ラブラブ♡インフェルノ
春海水亭
地獄へ道連れ
自販機で買ったホットのミルクティーを差し出して、私の男がヘラヘラと笑う。私のご機嫌を取るために支払った金額は多分、百三十円。君に貸している金は百万を超えたあたりから把握することを諦めてる。
「ミイちゃん、ごめんね。そのうち絶対お金返すからね」
初めて私にお金を借りた時は『来月返すね』で、次は『半年待って』、それから『来年こそは』が『いつか必ず』になるまで大した時間はかからなかったね。
私の男はバンドマンで動画配信者でWEB小説家で将来のインフルエンサー。
自分の夢は何もかもが手の届く範囲にあるようなフリをして、いろんなものに手を伸ばしては、何にも掴むことはなくただ空っぽな肩書だけを増やしてく。
君と付き合い始めたのは八年前、私の肌がくすんでなくて、ナチュラルメイクだった頃。
少年の輝きを持ったまま大人になったみたいな綺麗な顔をして、全く大したことのない歌詞を人より少しだけ優れた声で歌っていた君をライブハウスで見て、声をかけたその夜にはもう君に抱かれてた。
あの時のラブホが初めてのセックスで、初めての『来月返すね』だった。
でも、返してくれるって疑わなかったよね。
目、キラキラって輝いてたから。
「今は小さい箱だけど、いつかは武道館揺らしてみせる」って。
「俺の夢を一番近いところで応援してくれないか」って言ってくれたから。一回抱かれて、ベッドで夢を語られただけでくらっと落ちちゃったの、ほんと八年前の私をぶっ殺してやりたい。ついでに君も。
一年もしない内に他のメンバー、みんな就職しちゃったね。最初はドラムの子だったっけ。みんな夢を叶えることだけじゃなくて、いつか諦めないといけないことをちゃんと考えていて、その中で君だけが眠ってるみたいにぼんやりしてたんだね。
君が一人残された時点で「将来どうするの?」ってちゃんと説教しておけばよかったのに、「ミイちゃんを想って歌詞を考えたんだ」とか言って、あんまり広くない私のアパートで人より少しだけ……本当に少しだけ優れた歌声で歌ってくれたから、私もう何も言えなかったよね。「ミイちゃんが支えてくれてるから、俺まだ頑張れるよ」って、それを聞いて私、うるうるって涙ぐんじゃって、夢が叶うまで君のことは絶対に支えるんだって思っちゃったよね。
叶うわけないじゃん。
そんな才能あるなら、一人暮らし用のアパートで君と二人で暮らしてないよ。同居始めたときから、ずっと家賃は私だけが払ってるんだよ?
「俺さ、今まで狭い箱でやってたのがダメだったと思うんだ。最初から世界に目を向けていかないとさ、届く人にも届かないじゃん?」
そう言って、真剣な目で私を見て動画配信用の機材をおねだりしたよね。
歌ってみたとか、雑談とか、ゲーム実況やるために私、ゲーム機まで買ってあげたっけ。「アルバイトぐらいしたら?」って言ったら「夢を追うのに努力し続けないといけないから、遠回りしてる暇はない」なんて言ってたけど、勉強代なんて言ったあげたお小遣いでパチンコ屋行ったの知ってるよ。
動画で月に二~三万円ぐらい稼げるようになって「これから俺はビッグになるから」って言って、回転寿司を奢ってくれたのは嬉しかったな。借金は全く返してくれなかったけど、これからちょっとは上手くいくんじゃないかなって思った。でも、収入はどんどん減っていくばっかりで……そしたら、「小説を書く」なんて言い始めたっけ。なんだか部屋の隅に置かれるようになった機材が夢の墓場みたいに見えたな。
「小説はブームの傾向が掴みやすいし、俺はバンドでも作詞担当してたからなんとかなる」って、そういや最初の夢からずいぶん遠いところに来ちゃったね。武道館揺らす夢どうなったのかな。歌ぐらいは続けなよ。
流石にあの時ばかりは私言ったよね、「現実を見て」って。
そしたら、ライブハウスで会った時と同じのキラキラの綺麗な瞳で「ミイちゃんには迷惑かけてばっかりだね……でも、俺の夢はもう俺の夢だけじゃないんだ、俺の夢を叶えて、ミイちゃんを幸せにすることが俺の夢なんだ」って私に言ったね。そしたら、やっぱりうるうるって涙ぐんじゃって、君のことを絶対に支えようって思っちゃったんだ。馬鹿だよね。私を幸せにしたいなら、別に小説家になんてならなくたって、ちょっとアルバイトして家賃半分でも入れてくれるだけでいいのにね。
小説書きながら、インフルエンサーだかなんだかのやつもやってるんだっけ。
どっちも芽出てないね、そもそも小説、最初の数話だけ書いて、人気でないからってその続き全然書かないじゃん。誰が評価してくれるの、それ。
ああ、でもインフルエンサーの方はちょっと上手くいってるのかな。
私、年とったのに……君だけは年取るのやめたみたいに綺麗にキラキラしてるから、バカな女子中学生とか女子高生にちょっと人気だよね。
でも、それだけだよ?
顔もスタイルもいいし、普通の人よりいろんなことがちょっとだけ上手く出来るんだろうけど、本当にすごい人はもっと才能があって、なのに君がパチンコやってる時もちゃんと練習してるんだよ、勉強代を本当に勉強に使ってる人になんで勝てると思うの?
でも、やっぱり君はヘラヘラ笑ってる。
わかるよ。
だって、今更諦めるわけにはいかないもんね。
八年――私と付き合う前からバンドはやってたから、本当はもっと長いのかな。
それぐらいの長い期間、仕事もバイトもしないで夢だけを追って――ううん、夢を見るフリか。
君以外が就職してバンドがなくなったら、あっという間にやめちゃって。
動画配信も続けたらまた伸びたかもしれないのに、諦めちゃって。
小説執筆だって、評価されることから逃げ出して。
バカな女の子たちに見放されたら、次はどうするのかな。
そんな夢を見るフリだけでやり過ごしてきたのに、その夢が取り上げられたら、空っぽな人間になっちゃうよね。
でもね、私もそうだよ。
実家に来たお見合いの話、断ったよ。
同窓会で気になってたクラスメイトに「付き合ってみない?」なんて半分冗談半分本気みたいに言われたけど、それも断ったよ。
友だちが世界一幸せな笑顔で結婚するのを、次は私の番、みたいな世界一幸せな笑顔で祝福したよ。
だって、私も君と別れたら、人生全部なくなっちゃうぐらい何もないから。
君の夢を応援することがもう、私の全部だから。
愛してるよ、夢を追ってる君のこと。
心の中でそんな言い訳をしながら、私はミルクティーに口をつけた。
甘ったるい、地獄の味がする。
幸せの味だ。
ラブラブ♡インフェルノ 春海水亭 @teasugar3g
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