無害な幼なじみをやめるとき
野森ちえこ
宣戦布告
「なーにが『いいわけはしない。僕は彼女を愛してしまったんだ。フッ』よ! いいわけくらいしろっての!」
ガンッとテーブルに叩きつけるようにグラスを置く。割るなよ、酔っ払い。
「なんで男ってああなの」
おまえに男を見る目がないだけだろ。
声にはださず、ちびちびとグラスをかたむける。
『今から行く』とスマホにメッセージが届いたのは二時間ほどまえのことだ。その十分後にはビールやら焼酎やらごっそり買いこんだ、このひとつ年上の幼なじみがやってきた。『行っていい?』なんて、しおらしくたずねられたことは一度もない。いつだってこちらの都合なんておかまいなし。以前は連絡すらよこさなかった。
まえに残業で帰りが深夜になったときには玄関ドアのまえで眠りこけていて、こちらの心臓が止まるかと思った。その際こんこんと説教したかいがあって、どうにか事前連絡だけはしてくるようになったのだが。
こいつは男と別れるたび、俺の部屋にヤケ酒を飲みにやってくる。
今回は浮気男にひらきなおられたらしい。
「あんたもあんたよ。なんであたしに手ださないのよ!」
「は?」
いきなりとんでもない方向から流れ弾が飛んできた。
「いったいこれまで何度あんたんとこ泊まってると思ってんの!」
「え、数えてんの?」
「んなわけないでしょう。数えきれないわよ!」
なんという理不尽な逆ギレ。
そうかと思えば、今度はまた急にしゅんと肩を落とす。忙しいやつだ。
「あたし、そんなに魅力ない?」
ぽそりと、ひとりごとのようにこぼれた問いに一瞬理性が切れそうになる。
聞こえなかったフリをして、またちびりとグラスをかたむける。
まったく、どの口がいうんだ。人の気も知らないで。
幼なじみだから。俺とは
「ねえってばー」
人がせっかく聞こえないフリをしてやったのに。わざわざテーブルをはさんだ正面から俺のななめ横に移動してくる。よつんばいで。
「シンちゃーん」
「いい加減にしろ」
思わずつかんだ手首の細さにドキっとする。
相手は酔っ払いだ。どうせ明日には忘れてる。そう思うとなんだか腹が立ってくる。
「マジで襲うぞ」
「襲ってよ」
「おい」
「シンちゃんが、悪いんだよ。シンちゃんがぜんぜん、あたしのこと、意識してくんないから。だか……ら……」
「……おい」
だから、なんだ。なんなんだよおい。
ぐでっともたれかかってきた、あたたかな身体のやわらかさに途方に暮れる。
信じらんねえ。この状況で寝るか。
つーかなんだよ。意識してくんないって。意識してないどころか意識しっぱなしだっつーの。
しかしこれは、どう考えたらいいんだ? まさか、俺がミチを女として見てないから、くだらない男とばかりほいほいつきあってきたなんていうつもりか?
それとも失恋のショックで血迷っただけか?
俺は、こいつのそばにいられるなら姉弟のような幼なじみのままでもいいと思ってた。
こいつにはじめての彼氏ができた高校生のときから十年間。叶わない恋を打ちあけて関係を壊すより、無害な幼なじみでいることをえらんできた。
でもそれも、そろそろ限界かもしれない。
この十年、誰とつきあっても長続きしなかった。こいつ以上に好きになれるような相手なんて、この世にいる気がしない。
「もう、たべられないってば……」
なんの夢を見てるんだか。
つーか、平和な顔してグースカ寝てられるのも今のうちだぞ、こら。
まったく、肝心なとこで寝落ちしやがって。
酔っぱらいの寝こみを襲う趣味はないからと、ベッドに寝かせてやったはいいが、今度は人の手をにぎってはなさない。……ホント、いい加減にしろよ、おまえ。
明日から覚悟しとけ。
手をだすなら、正々堂々とだしてやる。
❖
翌朝。のそのそとベッドからはい出てきたミチの顔色はゾンビのようである。
「うう、頭痛い……」
「飲みすぎだアホ。コーヒーいるか?」
「うん」
「ああ、そうだ。俺、おまえに手だすことにしたから」
「へ……?」
「とりあえず顔洗ってこい。シャワーつかってもいいぞ」
「え、いや、ええ?」
目を白黒させているミチを洗面所に押しこんでコーヒーの用意をする。
幼なじみだからなんていいわけはもうしない。
失恋の弱みにつけこむみたいだからなんていいわけもしない。
酔っていたからなんていいわけも、もちろん聞かない。
無害な幼なじみでいるのは、もうおわりだ。
(おしまい)
無害な幼なじみをやめるとき 野森ちえこ @nono_chie
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