『アンラッキーと呼ばれた女』

龍宝

「アンラッキーと呼ばれた女」




 東の空が、明るくなっていた。

 早くから野良仕事に出ていた農夫が、轟音に気付いて顔を上げる。

 味方だと勘違いして手を振る男に、〝ビッグ・ジョー〟はコクピットから振り返してやった。

 大口径のエンジンを唸らせて、数十のプロペラ機が田園地帯を飛ぶ。

 帝国軍の主力戦闘機『ユドニグ』の群れだった。

「――『編隊指揮官から各機。間もなく目標地点だ。警戒を厳とせよ』」

 無線からの指示を受けて、〝ビッグ・ジョー〟が肩をすくめる。

 ようやく王国の連中を痛め付けられると思えば、遥々前線を迂回して飛んできた甲斐かいがあったというものだ。

 本日の正午過ぎに迫った地上の反攻作戦を支援するため、前線の王国軍砲兵陣地を後方から奇襲襲撃する、というのが、自分たちに課せられた任務だった。

 そのために、制空戦闘機である『ユドニグ』編隊の内、半分は爆装してある。

「はっ。ちょいと陸戦で勝ってるからって、図に乗りやがって。いきなり後ろから100㎏爆弾を雨と降らされりゃ、王国兵もさぞびっくりするだろうぜ」

 丘陵の影を抜けて、編隊が高度を取る。

 遠目に、積み上げられた物資の集積所が見えてきた。

 大柄な身体をコクピットの中で窮屈そうに伸ばしながら、〝ビッグ・ジョー〟の操縦桿を握る手にも力が入る。

「『爆撃隊はこのまま直進。護衛隊は上空で旋回待機だ。焦るなよ。出撃前のブリーフィングでも言った通り、敵機は友軍の陽動に引っ掛かって、ほとんど出払ってるはずだ。我々が試合ゲームの主導権を――』」

「――ッ⁉ 何だァ⁉」

 突然、編隊のやや中央に占位していた指揮官機が火を噴いた。

 風防へ顔を押し付ける勢いで振り向いた〝ビッグ・ジョー〟の眼前、立て続けに数機が黒煙を上げる。

 主翼を折られ、発動機を撃たれ、あるいはコクピットに機銃弾を直接叩き込まれた僚機が、ばらばらになって落ちていく。

 不意をかれ隊列が乱れた編隊の只中を、何かがぎった。

「敵機! 王国軍かっ⁉ いないって話じゃなかったのかよ⁉」

「『小隊長ォ! 何です一体――』」

「――馬鹿野郎が! 敵襲だ! 奇襲するつもりで、こっちが不意打ちを食らっちまってんだよ!」

 操縦桿を思い切り引いて、〝ビッグ・ジョー〟の『ユドニグ』が機首を上げた。

 振り返って部下が付いてくるのを確かめてから、周囲に視線を走らせる。

 上を取った王国軍の戦闘機『テンペスタッド』が、次々と降下して突っ込んできていた。

 数はそれほどでもなさそうだが、こちらはすっかりばらけて・・・・しまっているし、半分は重たい爆弾を抱えて動きがにぶい。

「〝ブルー・ノーヴェンバー〟、爆弾を捨てろ! カモにされるぞ!」

「『〝ビッグ・ジョー〟、助けてくれ! 後ろに付かれた! 俺のケツを狙ってやがる! 振り切れない!』」

「今行く! こらえろ!」

 旋回して敵機を追うよりも早く、爆装している『ユドニグ』がハチの巣にされる。

 地面に激突した瞬間、派手に爆炎が立ち上った。

「――ッ‼ 何だよ! ふざけやがって!」

「『小隊長っ⁉ アレを見てください! 敵機の尾翼に――』」

 思わず、風防を殴り付けた。

 背後を固めていた部下の声に、たった今友軍を撃墜した『テンペスタッド』を探す。

 見つけた。

 降下して得たエネルギーを使って、また上空に占位しようとしている。

 濃い灰色に塗装された機体の垂直尾翼に、『L』『7』の字を『★』と組み合わせた標章が描かれていた。

「――ッ⁉ 〝ラッキー・セブン〟! モニカ・ブラッドリーだとォ⁉」

 旋回する機体の真下を通り過ぎて、とっさに〝ビッグ・ジョー〟が叫んだ。

「くそったれ! どうして王国軍のエース・パイロット様が、こんなところで油売ってやがる!」

「『小隊長ッ⁉ 爆撃隊が、全滅しました!』」

「『こっちに向かってきます! うわあああああ⁉』」

 動揺する部下に怒鳴り散らしたい衝動を堪えながら、操縦桿を振り回す。

 すぐ横を走っていった曳光弾に舌を打って、周囲を見渡した。

 編隊は、もうおしまいだ。

 指揮官機を真っ先に墜とされ、作戦の要である爆戦『ユドニグ』も生き残ってはいない。

 あとは、浮き足立って孤立した制空隊が、逃げ回る獲物のように追い立てられ、そして狩られるだけ。

 自分にしても、例外ではない。

「各員、機を捨てて脱出しろ! 任務はここまでだ! 命まで取られるなよォ!」

「『小隊長も――』」

「ふざけろ! 一矢報いずに終われる状況か! これが!」

 数機の『テンペスタッド』から撃ち掛けられる機銃弾を懸命に躱しながら、他の僚機を攻撃中のブラッドリー機に食らい付いていく。

「『小隊長ォ! 脱出してください! 早く!』」

 また撃墜スコアを伸ばした灰色の『テンペスタッド』を、照準に収める。

 いける。

 向こうはまだ、こちらに気付いていない。

 引き金に掛けた指に力を込める寸前、突然とブラッドリーの機体が姿を消した。

「――な、んだっ⁉ どこに……⁉ 回り込まれたァ⁉」

 風防越しに天を仰いだ〝ビッグ・ジョー〟の視界で、主翼を傾ける敵機が距離を詰めてくる。

 次の瞬間、猛烈な衝撃が襲い掛かった。

「ぐァ⁉」

 身体に食い込むシートベルトの痛みを無視して、脱出用のレバーに腕を伸ばす。

 風防が吹き飛んで、座席ごと空中に放り出される。

 落下傘を開いた〝ビッグ・ジョー〟の頭上で、愛機が音を立てて爆散するのが分かった。

「ちくしょうめ……何てついてねえ日だ」

 地上に落着した〝ビッグ・ジョー〟は、空戦を終えて引き揚げていく敵機の群れを、ただ座り込んで見送るしかなかった。




 開戦から四年。

 帝国を相手に勝ち戦を重ねる王国軍を危惧した連邦の参戦によって、戦争は泥沼の様相を呈している。

 技量優秀、無敵と謳われた王国陸軍の搭乗員たちも、この頃になると次第にその数を減らし、訓練課程を繰り上げで卒業させられた若年兵が多数を占めるようになっていた。

 それでも戦闘機や爆撃機の要員はまだマシな方で、戦闘に参加する機会が少ない輸送機の搭乗員――それも機銃手とくれば――には、わたしのような徴兵学生が主に配置される。

 メイベル・リットマー。十七歳の二等兵。

 眼前の十三ミリ機銃の銃把を握って、わたしは思わず悲鳴を上げた。

「――何してる、リットマー! 怯むんじゃない! 撃て、撃てっ! 撃ち続けろ!」

「バクストン、そっちへ行ったぞ!」

「くそ! わが軍の制圧地域じゃなかったのか⁉ これじゃあ護衛機が少なすぎる!」

 回転するプロペラの模様が見えるほどの近さで、戦闘機が馳せ違っていった。

 そのまま次の獲物に狙いを定めたらしい敵機の背中を、反対側の機銃座から放たれた曳光弾が追い付けずに垂れていく。

「リンドバウ基地、聞こえるか⁉ こちらは第二十一飛行輸送大隊所属、バルフ・オルゴック大尉! 機体識別番号『M-275-34』! 現在、連邦軍の『ワイルドホース』に攻撃を受けている! 数は十二! 直ちに増援を送ってくれ! 繰り返す――」

 半年ほどの促成訓練を受けて、連邦の侵攻が続く西部方面に着任した初日である。

 これが、初めての実戦。

 まったく、ついてないとしか言いようがない。

 わたしの乗った王国軍の中型輸送機『メイヤード』は、前線の航空基地があるリンドバウへ物資を輸送している最中に、いきなり敵機の襲撃を受けたのだ。

 まだ敵勢力から離れた地域を飛行するということで、護衛もわずかに二個小隊、つまり八機が付いてくれているだけだった。

 それも、旧式の『テンペスタッド改』のみ。

 群がる敵の『ワイルドホース』と友軍機が格闘戦を演じている中、編隊を組んでいた輸送機の一機が、発動機に被弾して黒煙を上げた。

「四番機、被弾!」

「編隊を崩すな! 速度合わせ!」

「左から敵機! また左だ! 弾幕が薄いのを読まれてる!」

「リットマー!」

 機長のオルゴック大尉から、わたしの背中に怒声が飛ぶ。

 ちょうどベルト給弾式の機銃が、弾切れを起こしたところなのに――!

 ぐんぐんと下から突き上げるように距離を詰めてくる敵機に、焦りが腹を衝く。

「何してる⁉ 二等兵、早く撃て!」

「給弾中だ! バクストン、手伝ってやれ!」

 震える指先で何度も弾込めに手こずっている間に、『ワイルドホース』が眼鼻の先に迫っていた。

 二機。

 相手は、二機だ。

 搭乗員の表情が、はっきりと見えた。

 眼が合う。

 とっさに短く息を吸ったわたしの前で、敵機の風防が真っ赤に染まった。

「――え?」

 後続のもう一機も、同じく赤い花を咲かせたまま、機銃を放つことなく落ちていく。

 つと、視界を灰色の機影が過ぎ去っていった。

「『……こちら第四十七飛行戦隊、モニカ・ブラッドリー中尉。直掩に付く』」

 無線から入ってきた女性の声に、思わず機銃座を乗り出して下方を覗き込む。

 早く弾を込めろ、と襟首を掴まれたが、わたしは夢中になって、滑るように飛び回る機影を追っていた。

 王国軍の現主力戦闘機『ベルキャット』の改良型だ。

 垂直尾翼に描かれた『L』『7』の標章は、見覚えがある。

 ニュースメディアや雑誌の特集記事、そして最近では訓練所の教本に載っていた写真で何度も目にした。

「〝ラッキー・セブン〟の到着だ! 見ろ、敵さん逃げてくぞ!」

「助かったァ……!」

 にわかに、機内のあちこちで歓声が上がった。

 撃墜王の異名を持つ、モニカ・ブラッドリー陸軍中尉。

 王国軍のエース・パイロットを挙げれば、必ずその名が入るほどの、ベテラン搭乗員。

 彼女の成し遂げてきた逸話を講義で聞かされる度、友人たちとどんな人物なのか想像し合ったことを思い出した。

 また一機、まるで赤子の手をひねるように、敵機が撃ち落されて遠ざかっていく。

「このまま、逃げていくみたいだな。助かったぜ、〝ラッキー・セブン〟」

「『間に合ってよかった。このまま、最寄りの飛行場まで護衛する』」

「あァ、頼む。どうも、ここはホームってわけじゃないみたいだからな」

 無線機を片手に敬礼してみせたオルゴックに答えるように、ブラッドリー機とその僚機が編隊に加わった。




「――あ、あの! ブラッドリー中尉、でありますか?」

 どうにか、一番近くの友軍飛行場にたどり着いた。

 被弾した輸送機や、護衛に付いていてくれた『テンペスタッド改』の損傷が激しく、前線近くのリンドバウ基地まではとても持ちそうになかったのだ。

 実際、燃料タンクに被弾した護衛機が、着陸の際に燃料切れで墜落し掛けるという事故も起きている。

 オルゴックの話では、ここで修理と補給を済ませて、再出撃は明日になるだろう、とのことだった。

 滑走路の脇に『メイヤード』を固定させ、数時間ぶりの地面に降り立った感動を噛み締めるわたしの前に、搭乗員の恰好をした一団がやってくる。

 どうしようもなく身体が震えているのは、初めての実戦を無事に生き残ったという安堵感か、あるいは、人間離れした絶技を目の当たりにした高揚からか。

 自分でもよく分からない感情のまま、先頭を歩く女性に声を掛けた。

 肩口に届かないくらいに、短く切り揃えられた金髪。

 宣伝の部隊写真では、確かポニーテールにしていたはずだが――。

 しかし、田舎娘丸出しな顔立ちの自分とは比べるのも烏滸がましい美貌は、確かに彼女のものだ。

 こうして向き合ってみると、小柄な自分よりもけっこう上背がある。

「あんたは……さっき、『メイヤード』の機銃座にいた」

「み、見えてたんでありますか⁉」

「それくらい見えないと、搭乗員は務まらないよ。しかし、元気そうで安心した」

 わたしの驚きを笑い飛ばして、ブラッドリーが近付いてくる。

 簡単に言うが、互いが数百キロで飛び交っていたあの状況で、わたしの顔まで覚えていたブラッドリーは、なるほど搭乗員としての優秀さの片鱗を感じさせた。

 と、機体確認を終えたオルゴックたちが、後ろからやってきた。

 ちょうど食堂で夕食が出る時間らしかったので、そのままみんな揃って移動する。

 硬いパンとイモのスープが並んだ食堂で、わたしは話の流れでブラッドリーの正面に座ることになった。

 彼女は士官なので、本来は別に食事が出るはずなのだが、本人の意向でこうして下士官や兵と一緒になって夕飯を囲んでいる。

「そ、それで、助けていただいたお礼を、と思いまして! 自分は、メイベル・リットマー二等兵であります」

「随分と若いな。歳は?」

「はい! 17です。先日、訓練所を卒業したばかりであります!」

 慣れない口調に苦戦しているわたしを見かねて、ブラッドリーが苦笑する。

 だが、返事を聞いたとたん、隣にいた彼女の僚機搭乗員までが、顔をしかめてしまった。

「学生、か。内地じゃ、訓練課程も繰り上げになってるらしいね」

「この前来たやつは、一年切ってた。嬢ちゃんは?」

「半年であります」

「「…………」」

 まさに絶句という反応を返してくるふたり――オルゴックたちも似たような表情だった――に、今度はわたしが苦笑いを浮かべる。

 正規の訓練を受けたことがないので比較はできないが、それでも学生のわたしが「大丈夫か?」と何度も不安に思ったのだから、その内容の不充実ぶりは推して図れるというものだ。

 訓練弾薬の節約だとかいって、機銃をベルト一杯撃ち切ったのも今日が初めてだった。

「同時に、二機を撃墜した中尉の妙技には感動しました! 自分は適性で戦闘機にはハネられてしまいましたけど……憧れます」

「はっはっは! 〝ラッキー・セブン〟は、伊達じゃないってもんだろうさ」

「――はんっ。〝アンラッキー・セブン〟の間違いじゃあねえのか?」

 戦友が褒められて気分を良くした搭乗員――〝ブルズアイ〟二曹――の笑い声を遮って、わたしたちの傍で一団が足を止めた。

 不意に割って入ってきたのは、元々輸送隊の護衛に付いていた『テンペスタッド改』の搭乗員たちだ。

「……もういっぺん言ってみろ」

「聞こえなかったのか? ふざけたコールサインしやがって。幸運なのは、この女ひとりだけだって言ったんだ」

 小隊長と思しき男に、立ち上がった〝ブルズアイ〟が顔を近付けて至近距離でにらみ合う。

 わたしの後ろでは、オルゴックたちも剣呑な気配を発していた。

「てめえらも、知らねえわけじゃないだろう? こいつが参戦する戦場じゃ、必ずと言っていいほど何かしらの問題トラブルが起きてるらしいじゃねえか。悪天候で見失った敵機に殺されかけただとか、原因不明のエンジン不調だとか。今回だって、普通じゃ考えられねえ場所で敵機が現れた」

「口を、閉じた方がいいぞ。くだらん与太話で、殴られたくなかったらな」

「エース・パイロットだとか持ち上げられて調子に乗ってるのか知らねえが、いい迷惑だ。一緒に出撃する連中からしたら、不幸をまき散らす疫病神でしかねえだろうよ。それでいて、本人だけは毎回戦果を上げてるんだから、死神って言った方がいいか? 自分で不幸を呼んどいて、マッチポンプもいいところだ」

「――ッ! そんな言い方……!」

 堪らず声を上げたわたしに視線をくれて、男が肩を竦めた。

「新兵。俺は、お前のために教えてやってんだぜ? 何にも知らねえまま、殺されたくはねえだろう?」

 わざとらしく、男は正面に立ったブラッドリーを一瞥する。

 挑発されているのは明らかなのに、彼女は拳を握ったままだ。

「――この女の、仲間みたいにな」

「黙れっ!」

 堪え切れない、とばかりに、〝ブルズアイ〟が男の顔面を強かに殴り付けた。

 とたんに、双方の男たちが加わってあちこちで取っ組み合いになる。

 手近なひとりがわたしに向かってきて、机に押し倒された。

 余裕ぶった表情の搭乗員を、横合いからブラッドリーが引きはがして拳を叩き込む。

 わたしを庇うように立った彼女も、乱闘の中心になってしまった。

 それから、騒ぎを聞きつけた基地司令が警備兵を連れてやってくるまで、夜の食堂は荒れに荒れた。

 数十分後。

 場所を移して、わたしはブラッドリーに連れられるまま滑走路へ来ていた。

 さすがに、あの大人数を全員拘束して営倉に入れるわけにもいかなかったのか、それともどうせ明日にはいなくなるからと思われたのかは分からないが、無理やり解散させられた後で、特にお咎めがある様子はない。

 警備兵から逃げ出す時には、ブラッドリーが手を引いてくれた。

 彼女の愛機、『ベルキャット』の傍に腰掛けたまま、沈黙の時間が続く。

 先ほどの男が言っていた話が、気にならないわけはなかった。

 本国では腕利きの搭乗員として有名な彼女が、前線の兵士からはまるで正反対な悪評を立てられている。

 男の口ぶりでは、どうもひとつやふたつの隊内だけで収まるようなうわさではないのだろう。

 オルゴックは、ブラッドリーをそういう風に扱う素振りも見せなかった。

 戦闘中だったし、本心のはずだ。

 他の仲間たちも、特別彼女に悪い感情を持っている様子もない。

 仲間、と言っていた。

 もちろん、わたしはブラッドリーに命を救われた身である。

 どちらのことを信じるのか、考えるまでもない。

 ただ、何があったのか知りたかった。

 学生の好奇心というよりは、戦場に、彼女の生きる大人たちの世界に足を踏み込んだ一員として、眼を逸らしたくなかったのだと思う。

 聞いてみたいが、そんなことができるような雰囲気でも、また話題でもない。

 そもそも、聞いたところで、わたしのような新兵に受け止められるのか、という不安もある。

 どれだけ運命的な出会い方だったとしても、彼女とは会ったばかりの、他人なのだ。

 虫の鳴き声ばかりが響く滑走路脇の原っぱで、不意にブラッドリーが立ち上がった。

 手招きされて、尾翼の標章に近付く。

「……〝ラッキー・セブン〟の名付け親は、私の戦友だった。開戦からずっと、同じ戦隊、同じ小隊で戦ったよ。良いやつだったが、賭け事が好きすぎるのは厄介だった」

 月明かりでぼんやりと照らされた塗装をなぞって、ブラッドリーが静かに言った。

「〝ジャックポット〟と〝ラッキー・セブン〟。怖いものなしだった。調子の良いことばかり言って、『あたしの幸運のお守りは、あんたしかいない』ってのが口癖でさ」

「……中尉」

「あの日も、いつも通りだったんだ。いつも通りに出撃して、敵機を追い散らして、基地に戻るところだった。あいつの『テンペスタッド』が、いきなり火を噴くまでは」

 ふと、かつて見た部隊の集合写真に写っていた彼女と、現在のブラッドリーの違いが分かったような気がした。

 髪型だけではない。

 あの時戦友に囲まれて自信にあふれていた彼女が、今ではどこか陰のある悲壮な笑みを湛えている。

「運悪く、そのタイミングで別の敵機と遭遇した。劣位での空戦で、私は必死に戦うことしかできなくて――気が付いたら、飛んでたのは自分だけだった」

 淡々と告げるブラッドリーに、わたしはただ黙ってその横顔を見つめていた。

「それから、私の出撃には不幸が付いて回るようになった。いつからか、一緒に出撃する部隊の連中にも、さっきみたいな態度を取るやつが増えていったね。まァ、〝アンラッキー・セブン〟なんて、よく言ったもんだ」

 乾いた笑い声をこぼすのが見ていられなくて、わたしは思わずその手を取っていた。

「――わたしは、あなたに命を救われました」

「リットマー……?」

「大事なのは、それだけです。配属された初日に、敵機の襲撃を受けるだなんてツイてない、そう、くそったれな場面を、あなたは助けてくれた」

「……それだって、元はと言えば――」

「――違います!」

 うつむきかけたブラッドリーに、一歩踏み込む。

 図らずも、先ほどの〝ブルズアイ〟たちと同じような姿勢になってしまった。

「あなたが、すごい人だから。本当なら、もっと絶望的な状況だったのに、あなたが居たおかげで救われた人がたくさんいたはずです」

 わずかに、ブラッドリーが息を詰まらせた。

 この人は、持ち主を亡くして何もかも見失ってしまったのだ。

 だったら、わたしの想いを。

 あの時、死すら覚悟したわたしが、どれだけの希望を与えてもらったかを、ありったけ伝える。

「あなたが、不幸を呼ぶんじゃない。あなたが〝ラッキー・セブン〟だから、不幸に立ち向かって来れたんです」

 モニカ・ブラッドリーは、絶対に死神なんかじゃないのだ、と。

「少なくとも、わたしは――あなたと出会えて幸運でした」

 この想いを伝えたくて、きちんと伝わってほしくて、握る手に力を込める。

 じっ、と、わたしの眼を見つめ合っていたブラッドリーが、しばらくして口を開いた。

「リットマー。約束するよ」

 夜に溶けて消えてしまいそうな、そんな声だった。

「明日の出撃は、何があっても――私が護衛に付いていて、幸運ラッキーだったって言わせてみせる」

 まっすぐに言った彼女の拳は、震えるほどに握られていて――。

 出撃は、明朝と決まった。




「敵編隊を発見! 右上方、約十機!」

「下からもさらに二十機! 雲の中から突っ込んでくる!」

「『ワイルドホース』だけじゃない! 双発のも混じってる!」

 リンドバウ基地を目指して出撃したわたしたちは、やはりその途上で連邦軍による襲撃を受けていた。

 前線に近付いているのだ。

 敵機が増えるのは当然のことで、不幸でも何でもない。

「直掩の『ベルキャット』隊と空戦が始まった! 『テンペスタッド』隊も右の敵に当たるみたいだ!」

「……ブラッドリー中尉」

「リットマー! 弾幕しっかりな! 敵機を近付けるなよ!」

 黒煙と曳光弾の瞬きが、空を埋め尽くす。

 真っ向から撃ち合った『テンペスタッド』が炎上して火だるまになる。

 一撃離脱を図った敵の『ツイン・ワイルドホース』が、『ベルキャット』の二十ミリ機関砲を食らって派手に空中分解する。

 濃灰色の影が視界を過ぎる度、敵機が離れていく。

 それでも強引に近付いて失速した一機を、わたしの操る十三ミリ機銃が仕留めた。

 初戦果に歓声を上げる。

 ツイてる。今日のわたしは、絶対にツイてるんだ。

 撃てども撃てども湧いてくる敵機に、次第に編隊はばらけて追い詰められていった。

 オルゴックの『メイヤード』も、敵機を振り切ろうとするうちに編隊から離れてしまっていた。

「周囲に敵影なし!」

「このまま、リンドバウ基地まで飛べ!」

 あちこちに機銃の弾痕を刻まれながら、『メイヤード』はまだ飛行できる状態だった。

 稜線に沿って飛ぶわたしたちの頭上から、不意に轟音が響いた。

 近付いてくる。

「直掩機か⁉」

「いや――なん、だ、あれは⁉ 見たこともない!」

「敵の、新型……⁉ こんなタイミングで――‼」

 プロペラを機体の後部に据えた、見慣れない形状の機体が、まっすぐにこちらへ突っ込んでくる。

 教本で覚えさせられた、連邦のどの機種にも一致しない。

「――速すぎる! 追い着かれます!」

「何としても逃げ切れ! 基地はすぐそこだぞ……‼」

 必死に弾幕を張る。

 対空砲火が当たらなくとも、あれだけ高速の一撃離脱だ。

 わずかに進路をずらせれば、修正の時間を稼げる。

「見えた! リンドバウだ!」

 オルゴックの声。

「――しまった! 真上を取られた!」

「何ィ⁉」

 その場の全員が、見上げていた。

 次の瞬間には、敵機の機関砲に身を引きちぎられる恐怖で、顔を引きつらせながら。

「『――リットマー‼』」

 影が差した。

 わたしたちと、敵機の間に、濃灰色の影が飛び込んでくる。

「『……私は、〝ラッキー・セブン〟なんだ――――――‼』」

 けたたましい機銃と機関砲の音が轟く。

 わたしの眼前で、ブラッドリーの『ベルキャット』が、銃弾を受け止めてハチの巣になっていった。

「中尉……‼」

 狙いを外した敵機が、『メイヤード』のすぐ傍を掠める。

 その時に、空中で散らばったブラッドリー機の破片を巻き込んだのか、プロペラが勢いよくひしゃげて、機体を立て直せずにそのまま地面に激突していった。

「そんな……中尉、そんなのって……‼」

 この空戦で、王国軍はほぼ全滅の被害を出した。

 そして、わたしの乗った『メイヤード』は、敵の新型による襲撃を辛くも躱し、幸運にもリンドバウ基地へたどり着いたのだった。




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