緑の幻想

音崎 琳

緑の幻想

 頭のなかで、もう一度人数を数える。やっぱり七番目。

 今は一人目が、テキストの一段落目の訳を読み上げている。言いよどむ気配はない。きちんと予習してあったらしい。

 このまま進めば、訳が当たるのは七段落目。だが油断はできない。別の質問で当てられる生徒がいれば、そのぶん順番はくり上がる。とりあえず、七段落目からとりかかるけど。神妙な顔でテキストの上にかがみこむ。

 教師が一段落目の解説を始める。その声をBGMのように聞き流しつつ、単語の意味を片っ端から調べて書き込んでいく。内容を検討している暇はない。

「――じゃあ、この場合、主語と述語はそれぞれどの部分?」

 順番が変わる! 慌てて一つ前の段落に移る。それにしても、知らない単語が多すぎる。緊張を通りこして、ふっと意識が逸れる。何でもいい、何か、授業どころではなくなるような出来事が起こらないものか。

 たとえば、空から大輪の花が、雪のように降ってくるとか。教室にいれば安全だろうけど、その状況で授業が続くとは思えない。でも外に出るわけにもいかないから、やがて校舎は花で埋まってしまって、帰るに帰れなくなるかもしれない。

 あるいは、教室のそこかしこから、にょきにょきと蔦が生えてくるとか。そうしたら急いで教室の外に避難しないと危険だ。閉じこめられてしまうかもしれない。

 教師が握っているチョークが、突然果実に変わってしまうかもしれない。きっと、びっくりしてチョーク(だった果実)をとり落してしまうだろう。もちろん板書もできない。

 あるいは――

 がら、と、勢いよく教室の引き戸が開いた。ぎょっとして顔を上げる。

 入ってきた人物が、こちらをまっすぐ見つめる。その顔は、わたしとそっくり同じだった。ただ、五月の森のように、あざやかな緑色をしていた。

 わたしの手からすべり落ちたペンを、床を覆い隠した羊歯の葉が音もなく受け止めた。

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