創世記・1K版
髙 文緒
第1話
1Kの部屋の床が海のようになり、窓の外の明かりが矩形を描いて海を区切っている。
床がこのありさまだが、階下からクレームがつく気配は無い。
それどころか階下とつながる壁を通じて、団らんの声までが聞こえてくる。
はじめに僕は光あれと言った。
腰まで水に浸かって暗闇のなかに居るのは嫌だったからである。
電気のスイッチを入れるが、入らない。正確には二度明滅してからブレーカーが落ちた。
漏電対策のされているブレーカー、偉い。
つぎに、暗闇のなかで、水よ分かれよと言った。
天井に雨雲が生まれ、部屋の中に雨が降り出した。水族館のアマゾンの魚たちコーナーみたいな音をたてて、本物のスコールが降っている。先週彼女と行ったばかりなのでよく覚えているのだ。
事態は悪化の一途である。しかし次の一手は僕を救うかもしれない。
三つ目に、陸が生まれてくれると助かるんだけどなあ、と言った。
窓辺に置かれて難を逃れていたサボテンの鉢から、大量の土が流れ込んでくる。
玄関からキッチンまでが土で埋め尽くされ、そこにサボテンが鎮座した。
僕は水から出ると、土の上に腰を下ろした。
水を吸った土が泥になり、水浸しのズボンを汚す。よく見ると土のなかに小さな虫が蠢いていて、キモい。
四つ目、これはかなり良いだろう。昼と夜を作りたいんですけど、いいっすかねえ、と卑屈に言った。
彼女が勝手に置いていった、ニョロニョロ(ムーミンのあれだ)のルームライトが天井に浮かんだ。
これが月ってことですかね? うーん、ちょっと思っていたのと違うんですけど。
太陽は何かな、と思って見渡すと、4℃のオープンハートネックレスが恥ずかしそうに顔を出した。
あ、これはあげようと思ったけどネットでダサいって言われてたから止めたやつですね。出てくるな。
五つ目、これは正直飛ばしたい。
あのう、まあ無理なら無理でいいんですけど、魚とか鳥とか必要っすかねえ、ヘヘ。あ、無理ならホント無くていいんですけど。
そう言うと冷蔵庫が開いて、天井にはサラダチキンが飛び、水浸しの床の海にはカニカマが泳ぐ。率直に言って、うねうねと身を捩らせて泳ぐカニカマは悪夢だ。
これは僕がダイエットをしたくて用意したものですね。冷蔵庫のなかで忘れられていましたが。
ああ、花の咲いたブロッコリーがサボテンの隣にやってきてしまった。
土にはプロテインが撒かれ、豆が生えてくる。大豆プロテインを買っていたからですね。
あっ、牛乳よ勝手にプロテインに混ざろうとするんじゃない! 牛乳はモーモーと鳴きはじめてうるさい。
6つ目、これ大丈夫かな。ちょっと怖くなってきたけど、やんなくていいかな。
僕は失恋の痛手による引きこもりという身の上を一旦置いておいて、玄関ドアに向かう。開きません。そうね、開かないね。分かったよ。
はい、人間を作ります。人間、怖いけど、これ不完全だともっと怖いから、できれば完全な感じでお願いします。
あ、やっぱりそうなりますよね。
冷凍庫から出てきちゃった。はい、彼女の頭部でーす。あと砕ききれなかったデカい骨でーす。
他の部分はミキサーで砕いて流しました。結構たいへんだった。
しかし顔とでかい骨だけになった彼女は、以前の彼女とくらべて素直である。ちゃんと笑いかけてくれるし、よく見たら大腿骨もセクシーだ。
そんなわけで7つ目。安息です。
僕は彼女の頭を抱いて、上腕骨と大腿骨に抱きしめられて、あ、骨盤をそんなところに当てるなんてちょっと大胆。とか思っている間に床の海に沈み込んでた。
目の前をカニカマが泳ぎ、陸地からは牛乳の鳴き声が響く。
朝になれば天井には4℃のオープンハートネックレスが輝き、サラダチキンがコケコッコーと鳴くのだろうか。
僕はそれを知れないけれど。
創世記・1K版 髙 文緒 @tkfmio_ikura
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