時事が辿る歴史

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

第1話 一議席の重み

 昨日、参議院の本会議でガーシー議員の除名が採決された。

 七二年ぶりの出来事ということで少々調べてみたところ、過去には小川友三元参議院議員と川上貫一元衆議院議員がこの処分を受けている。

 小川代議士の例では予算審議で行った反対討論と投じた賛成票のつじつまが合わぬという理由から除名されているが、実際にはそれ以外にも顰蹙ひんしゅくを買う行いがあったようだ。

 議員バッヂ紛失の虚偽申告と不正入手したバッヂの取り巻きへの配布が遠因とも書かれているが、その地位を悪用した商売の方が要因としては大きかったのかもしれない。

 一方、川上代議士の場合には、代表質問にて革命を称賛し議会政治を否認するともとられる発言をして陳謝を拒否したといういきさつがある。

 後者はGHQによる占領下という特殊な状況も勘案する必要があるのかもしれないが、いずれにせよ他の議員の反感を買う行いにより除名されたというのは変わらない。

 今回も国会への出席を正当な理由なく行わないということが引き金となって除名処分に至ったのであるが、本当に除名に値したのだろうか。

 それを「除名」の持つ重みとこの議員の「行い」を通して考えてみたい。


 まず、除名とは民主主義において最も避けられるべき処分である。

 単純に人をその職から解任するのではなく、市民の代表の一人をその任から解くということであり、これは他のどのような解職よりも慎重に行われなければならない。

 内閣不信任決議や衆議院の解散と同じではないかと言う方もいらっしゃるかもしれないが、そこには大きな違いがある。

 内閣不信任決議はあくまでも国民の代表の解職ではなく、立法府から選ばれた行政府の解散要求であり、制度上は等しく市民の権利が行使されたことになる。

 衆議院の解散も代表者が等しく選び直されるため、市民の権利は平等に扱われる。

 それに対してこの除名処分は、その議員を選んだ市民にとっては自身の意見の発露を一方的に奪われるものであり、次に自身の選挙までその市民の意見は浮いてしまう。

 これが落選という結果であれば、これだけの反発があるのだという数の力にもなろうが、除名の場合にはその数がなかったこととされる。

 今回は比例代表選出の議員であるため、政党名で投票した方にはまだ救いが残されるかもしれないが、議員名で投票した方は完全な「死票」となってしまった。


 これがまだ良識を以て扱われている間はよいが、一度暴走しだすと恐ろしい結末を生む。

 力を持つ一定の集団が自分たちの力を増すために利用し、政敵を排除するようになれば独裁者を生み、やがては国の変節に至る。

 古代共和制ローマでは「元老院勧告」という名で、行政官の長である執政官に裁判なしでの処罰を認める制度があった。

 初めは共和政体で起こる混乱に対応するためのものとして扱われたが、やがては権力闘争の道具としての色合いが強くなり、ひるがえって共和制終焉の引き金となった。

 善意や正義とは利用されやすく、また、暴走しやすいものであり、その結果が破滅に至る道となってはお終いである。

 全ての独裁は民主主義的な手続きから始まるというのは、常に頭に置いて損はあるまい。


 では、今回の除名処分が妥当でなかったかと言われれば、私は正当性があったと主張する。

 言い換えれば当該議員の「行い」に問題があったと主張していることになるが、それは次の三点に要約されよう。


 まず、一点目はやはり国会へ登院しないことである。

 議員の第一の仕事は立法であり、その放棄は国会よりも有権者への反逆である。

 無論、それを理解したうえで投票したと主張される方も多いのだろうが、ここで言う有権者とは成人全体を指す。

 たとえ自分の意見とは異なろうとも、立法に携わる限り市民から託された仕事は果たしており、故に支払う税より財産を得る資格があろう。

 しかし、代議士としての勤労を放棄した者にその資格があるかと言われれば、私はないと断言する。

 これを寄付すると言われたところで関係はない。

 寄付という選択ができる時点で財産として扱われるということであり、空費された歳費をそのように扱われること自体が問題である。


 問題の二点目は「不逮捕特権の濫用」である。

 本来の不逮捕特権とは、議員としての活動中に不当な逮捕を受けてその活動を制約されぬためにあるものであり、決して一個人の利益を守るためにあるものではない。

 犯した罪は素直に償われるべきであり、それを目的とする者に立法の資格を与えるのはいかがなものだろうか。


 そして、問題の三点目は「代議士による一個人への攻撃」であり、これが最も大きな問題ではないだろうか。

 代議士とは数万から数十万人の意見を基に選ばれた人間であり、その人の行いはそれだけの人間の力を持つことになる。

 無論、論戦の中で議員同士が相手とやり合うのは同等の力を持った者同士の戦いであり、それには何の問題もない。

 しかし、それが一個人に向けられるとすればいかがなものだろうか。

 たとえ、それが多少のスキャンダルであれ多くの人を巻き込まぬようなものであれば、個人として追及されるのはおかしい。

 それが国権の最高機関に属する者が心しておくべきことであり、有権者もその危険性を把握しておくべきことである。


 ただし、この議員の主張が必ずしも悪いものであったわけではない。

 リモートでの国会参加というのは、十分検討に値することであり、むしろ、けがによる入院や外遊の際には利用されてよいのではなかろうか。

 先立ってある外相会合に予算審議を優先して欠席した外務大臣が話題になったが、こうした非常識も失くしやすくなることだろう。

 折角の立場となったのだから、そうした立法に携わっていればと思うからこそ、今回の結末を残念に思うばかりである。

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