沖崎志歩は、髪が長い。

響野京

第1話 沖崎志歩は、髪が長い

 沖崎志歩は、髪が長い。まだ出会ってすぐの頃、彼女はよくその髪の毎日の手入れがどれだけ大変かということを、嬉しそうに説明していた。吸い込まれそうなくらい美しいその髪を惜しげもなくたなびかせて、思わず見とれた僕に満足顔をする彼女は、世界一素敵だったと思う。

 その彼女が、「髪、そろそろ短くしようかと思ってるんだよね。」と言うので、僕はとっさに、なんで、と半分呟くように返した。彼女は、肩にかかるその毛先をいじりながら、

「大変なんだよ、とかすのも洗うのも乾かすのも。君にはわかんないと思うけどさ。」

と言った。以前のような自慢ではなく、愚痴に近い言い方だった。どうしようもなく切なく感じた。彼女の髪はまっすぐな彼女自身の象徴だと思うし、間違いなく彼女の魅力のひとつだ。沖崎志帆が、髪を切る。

「やめなよ、長い方が絶対素敵だよ。」

思わず少し早口になってしまった。彼女はそれを聞くと、少し笑ったような顔をして、言った。

「私、変わったのかも。」

僕は少し答えに困って、目を泳がせた。彼女がアイスティーに口をつける。僕は重い口を開く。

「確かに、君は変わったよ。——高校の頃はカフェに来たら絶対、クリームが乗っかった甘いのを頼んでたのに。」

彼女は意外そうな顔をして、答える。

「言われてみればそうかも。最近はああいうの、頼まなくなった。今日は甘いのはいっか、って毎回思ってる。」

「あと、服の趣味も変わった。」

僕が指を指す。彼女が自分の服に目をやる。小綺麗で、少しくすんだベージュのブラウス。彼女が顔を上げて、わざとらしく笑う。

「確かに」

そういうと彼女は、僕の服を指差して、にやける。

「君は全然変わんないね、服の趣味。」

そう言われると僕はどこか恥ずかしくなって、目を逸らして、はぐらかす。

「沖崎なんかが、大人になりやがって。」

「…まあ、もう二十歳だからね、私たち。やっぱり、綺麗なストレートのロングヘアが似合う時期は、もう終わりな気もする。」

彼女は相変わらず毛先をいじりながら、少し名残惜しそうに言った。僕はその綺麗な毛束を見ながら、ぼんやりと聞いた。

「短く、ってどの辺まで切るの?」

そりゃあ、と彼女が大げさに返す—「この辺まで切る。バッサリと。」

彼女が両耳のすぐ下に、手刀を入れる。その毛束が揺れる。彼女の大きな目が「どうよ!」とばかりに僕を見つめる。僕は思わず、彼女の髪が美容院の床に切り落とされるのを想像する。沖崎が不満そうに言う。

「何よ、その顔。やめてよ。」

「…ごめん。」

沖崎がアイスティーに口をつける。僕もコーヒーを一口すする。氷がだいぶ溶けてしまっていた。僕はぼんやりと考えて、呟く。

「でも、きっと沖崎はショートでも、似合ってしまうんだろうな…想像できないけど。」

彼女が満足そうに微笑む。細めた目で僕を見て、「でしょう。」と言う。僕は確かめるように、言った。

「うん。きっと似合うよ。絶対。」

そんな風に思うのは、沖崎が高校を出てからの2年間を、僕がよく覚えているからだ。

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沖崎志歩は、髪が長い。 響野京 @ky0nky0

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