第3話 端っこのブッコロー

 お父さんと来たところは、人がすごくいっぱいいるところだった。

 私くらいの子もいるし、もっと小さい子もいるけど、大人のほうが多い。

 家族で来るところなのかわからないけど、こどもより大人のほうがずっと多かった。

 人とモノがいっぱいで、よくわからない。

 でもご飯の前なのにアイスクリーム屋さんでアイスを買ってくれたから、私は嬉しかった。

 アイスを持って外に出ると、公園だった。さっきまで大人がいっぱいだったけど、ここはこどもがいっぱいいる。

 空いてた椅子に座ってアイスを食べ始めると、お父さんはそわそわしながらスマホを見ていた。

 私はそんなのに慣れっこなので、公園で遊ぶ子たちを見てたら、気づいた。

 滑り台とか、雲梯とかに、馬のなんかがついてる。

 だから私はこの公園にお馬公園って名前をつけた。

「お父さん、ここお馬の公園なの?」

「うん、そうだよ」

 そのときどこからかワッとすごい音がした。

 遠くで、すごくいっぱいの人がみんなで急に大きな声を出したような音。

 びっくりしたのは私だけじゃなかったみたいで、周りの子たちや大人もそっちの方を見ていた。

 たぶんアイス屋さんの向こう側から聞こえたと思う。

 人が多くて全然見えないけど、たぶんそう。

 それから少しして、今度は公園の中で大人たちの声がした。

 もちろん私のお父さんも。

 お父さんは顔を真っ赤にして、私にここで待っててって言って走るように行ってしまった。

 私は置いていかれたのにびっくりして、慌ててお父さんを追いかけた。大きな声でお父さんを呼ぶけど、お父さんはすぐに見えなくなって、手に持ってたアイスも無くなってた。

 泣きそうになって、なんで私のお父さんはこうなんだろうって悲しくて、上を見たら――変なオレンジ色の鳥みたいなのと目が合った。


 目が合った、って言っていいのかちょっとわからない。

 だって右の眼と左の眼が別々なところを見てるから。なんだか大きいぬいぐるみに見えるし。

 建物の上の端っこでぼーっとしているし、やっぱりぬいぐるみかもしれない。

 じっと見ていると、どこかから小さな紙がひらひら落ちてきた。

 拾うと、難しい漢字がいっぱいと数字がいくつか書いてあった。空から落ちてきたんだから、あのぬいぐるみが落としたのかも。

「ねえ、落としたよ」

 ぬいぐるみはなにも言わなかった。

 ぬいぐるみは返事をしないから、普通かも。

「ねえってば。えっと、たかはしが、ぶっころ!」

「ぶっころ!?」

 驚いたように動いたぬいぐるみを見て、私も驚いた。

 変な声。

 扇風機の前で話したみたいな声だった。

 体をしっかり私に向けたぬいぐるみは、やっぱりどこを見てるかわからないけど、たぶん私を見た。

「お嬢さん今のはダメよ~」

「?」

「僕はねブッコローって言うの。ローって伸ばすの。伸ばすの大事だからね、よろしくね」

「ブッコロー」

「そうそう。そうよ~いいじゃない」

「これ、落とした?」

「え?あ、なんだそれ馬券?ううんブッコロースマホで全部決済してるから紙は落とさないの」

「?」

 よくわからない。

 首をかしげると、ブッコローは、

「それはたぶんゴミだから、ゴミ箱にいれるといいと思うよ」

 って言った。

「あ、でも念のため見ておこうか?なんて書いてある?」

「漢字読めない」

「そっかあ。数字だけでも読んでくれる?」

「えっとね、大きい数字が、3と4」

「あ~はいはいわかった。手堅いね~でもゴミだから捨てていいよ」

「わかった」

 ゴミ箱を探した。見つからないから、ポケットにいれた。

「ひとり?保護者の人は?」

 ブッコローがそういうから、私はお父さんに置いて行かれたことを思い出した。

 迷子?って聞かれたけど、迷子じゃない。お父さんに待っててって言われたことが悲しかったって話した。オレンジ色のでっかいぬいぐるみは、私の方をみてるのか見てないのかわからないけど、それはいけないね、って言った。

「同じお馬さん好きな家族持ちとして、それはいけないよぉ。お父さん優先順位間違っちゃってるね」

「そうなの?」

「あ、ごめんこれ君に言うことじゃなかったかも。そうだ。ブッコローがガツンと言ってあげるから、お父さんが帰ってくるの一緒に待ってていい?」

 知らない人と一緒にいちゃだめなんだよって言ったら、ブッコローは、僕は人じゃないけどダメなのかなって言った。

 だめじゃないかも。

 それから、お父さんが戻ってくるまでブッコローとお話をした。

 お馬さんの話ばっかりでよくわからなかった。

 でもいろいろ話すうちに、少しお馬さんのことが好きになった。近くで見たことないけど、いつか見てみたいなと思った。

 しばらくして、お父さんが嬉しそうな顔で帰って来た。

 お父さんは私がすごく怒っていることに気が付いて、ご飯なにがいい?とか聞いてくる。

 そんなお父さんの頭の上から、ブッコローがお父さんを呼んだ。変な顔をしたお父さんとブッコローが、私から離れたところでしばらく話をした。

 お父さんは最初すごくへらへらしていたけど、だんだん私をみたりブッコローをみたりしながら、泣きそうな顔になった。

 お母さんと喧嘩してしょんぼりしてるお父さんを見たことあるけど、それよりもなんだか変な動きをするから、私は笑った。

 暇だから、滑り台で遊んで、アスレチックで遊んで、またしばらくすると大きな声がして、その後ようやくお父さんが私のところに来た。

「ブッコローとお話しおわったの?」

「ぶっころー?」

「オレンジの、鳥さんみたいなの」

「うん。終わったよ」

「ふーん」

「ご飯食べて帰ろうか」

「お馬さん、いいの?」

「うん、いいよ。お馬さんはまた見られるから」

「私スパゲッティが食べたい」

「うん、行こう。いっぱい食べよう」

「やったー!」

 その後、お父さんと一緒にスパゲッティを食べにいって、帰って、次の日もお父さんと一日中遊んで、一緒にご飯を作って、食べて、お風呂に入って寝た。

 お父さんはその間、一度も本みたいなやつと赤い鉛筆を持たなかった。

 その次の日、学校から帰るとお母さんが弟と一緒に帰って来てて、ちゃんと片付いているおうちを見てびっくりしたって話してくれた。

 私はお父さんと一緒にお掃除をしたことや、ご飯を作ったことを話すと、お母さんもびっくりしてた。

 お父さんは今日、お母さんをおうちに送った後からお仕事に出かけてて、いなかったけど、お母さんはすごく嬉しそうで、たまにはお父さんの好きなものでも作ってあげようか、って言ってた。

 私はお母さんの嬉しそうな顔が嬉しくて、大きな声で、うんって言った。




 それが、私が夢を決めるまでにあったことです。

 そう締めくくると、私の目の前のJRA職員はぽかんとしていた。

「えっと?つまり秋山騎手がジュニアユースに入るきっかけは」

「父が競馬中毒一歩手前だったことと、ブッコローが馬についていろいろと話してくれたおかげ、ということですね」

「ブッコロー……というのは……競馬場にいる守護霊みたいなものですかね?」

「いや、もう忘れてください。ふふっ。たぶん、夢だったんです。あの後も父にお願いして馬のふれあいイベントに行ったりして、だんだん好きになったんです。決して早いデビューではありませんでしたから、通算100勝記念の、なんていうんですかあれ、カード?を渡されたときはすごく嬉しかったです」

「あのときはご家族と一緒に映っていましたね。私も見ていましたよ。とても素敵なご家族だなと思ってみていました」

「ありがとうございます」

「それではお話しありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。なんか変な話ばかりで」

「とんでもないです」

 椅子から立ち上がって、大きく伸びをした。

 インタビュー中にも何度か聞こえた地響きが過ぎた後、大きな歓声が聞こえてくる。窓から外を見た。

 観客席の屋根の端っこに、紅葉が始まった今の季節でも違う色のオレンジ色がぽつんと見える。私は、きっとこの大会でも全力を尽くすことができるだろうと、あの日拾った馬券をポケットの上から触っていた。

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空から降って来た馬券 @tomohito_s

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