幸運の社
九十九
幸運の社
お呪いがあった。幸運が訪れるお呪い。決められた道筋を踏み、学校裏の社に訪れ、社を開け放つと言うお呪い。そう言うお呪いが囁かれていた。
少女は困った様に微笑みながら、そっと引かれる手を引いた。少女の胸元の赤いリボンが揺れる。
「そう言うのはきっと碌な事にならないよ」
少女がそう言えば、少女の手を引く胸元が青いリボンの少女が振り返り、首を傾げる。
「碌な事?」
「きっと幸福じゃないものが訪れる」
「でも」
少女の言葉を受けても、青いリボンの少女は引き返そうとはしなかった。どうしてもお呪いに惹かれているらしい。もしかしたら少女の言葉を真に受けていないのかも知れなかった。
「帰ろう?」
「でも」
「何かがあってからじゃ引き返せないよ」
「でも、きっと大丈夫だよ」
青いリボンの少女は根拠も無くお呪いが幸福なものであると信じているらしい。希望を望む瞳が夕焼けを写しきらきらと輝くのを、少女は困った様子で見つめていた。
「どうしても行くの?」
「皆も行くって」
少女はため息を飲み込んで曖昧に笑う。少女に声を掛けたのも、皆で行くためらしい。皆で行ったからと言って不運が幸運に変わる訳では無いのだが、この少女達にとっては共に行動する事が一つの力となるらしい。
「ね、行こうよ」
青いリボンの少女に手を引かれるまま少女は歩き出す。
愚かしい、と思う。待っているものが幸福だと信じて止まない少女達は愚かしく、幼い。
「辿り着いたら戻れないのに、ね」
小さく呟いた少女の声は誰にも拾われず落ちて行った。
「ねえ、ここかな?」
「こっちじゃないかな」
「これはあっちかな」
何処から持って来たのかも分からない順路が書かれた古い紙を真剣に見つめながら、胸元が青いリボンの少女達はあちらこちらへと彷徨い歩く。
「ねえこの道もう一回通るの?」
「この道はこう行くんじゃ無いかな」
一度辿った道を帰り、何度も道を交互させて、時には人の通らぬ道すら開いて少女達は進んで行く。
時折、迷った拍子に少女が帰らないか、と声を掛けては見たけれど、少女達の決意は固い様だった。ぼんやりとした幸運は少女達にとって魅力的なものらしいと少女はそっと溜め息を吐く。
「学校裏にこんな所があったんだね」
「こんな所初めて来た」
「夕焼けが差し込んで燃えてるみたい」
少女達が社に辿り着いたのは夕焼けが傾いた頃だった。夕焼けが社を赤く染め上げ、社の影が色濃く映る。
人の気配のしない社はしんと静まり返り、木々が揺れる音だけが嫌に耳に届いた。生き物の声はせず、唯静かで普段の生活と隔離されたその場所に、それまで少女の声でも止まる事の無かった少女達の足が止まった。
少女達は互いの手を握りながら、社を窺う。
「暗いね」
「ね、中が見えない」
「あれ開けて大丈夫なのかな」
暗い影に覆い尽くされて中の様子が窺えない社に、少女達は互いの顔を見合わせた。僅かな躊躇いと怯えが少女達の顔に浮かぶ。
「帰ろうよ」
少女がそう言えば、皆が少女の顔を見た。
「でも、お呪いがまだ」
一人が小さくそう呟けば、皆が一様に首を縦に振った。僅かな躊躇いと怯えが希望へと塗り替わる。どうやらお呪いを終えるまでは帰らないらしいと少女は困った顔になる。本当は帰してあげたいのだけれど、と少女は社を見る。
少女がどうしようかと考えている間にも少女達は意を決したようで、皆で社に近づいて行ってしまう。
「開けるの?」
少女は最後に声を掛ける。もうきっとここで止められなければ少女達は進んでしまう。
「開けてしまって良いの?」
少女達は一瞬息を呑んで、恐る恐る頷いた。頷かれてしまってはそれ以上少女に出来る事はない。
少女達の中で一人が前に出ると、社にそっと手を掛けた。一度振り返り、頷き合うと手に力を込める。固く閉ざされているように見えた社の扉は、思ったよりも簡単に開いた。
嗚呼、可哀想に、と少女は開く社の扉を見ていた。少女の胸元の赤いリボンが、少女の髪が、風に妖しく揺れる。
社の中から風が吹き抜け、少女達の胸元の青いリボンを揺らした。少女達は強い風に目を瞑り、やがてそっと目を開けた。
社の中には何も無かった。がらんとした空間だけが少女達の目前に晒されている。
「開けてしまったね」
何だ何も無かった、と肩の力を抜き掛けた少女達は背後から聞こえた声に身を竦ませた。大きな声だった訳でも無いのに、妙に耳に入ってきたその声はそれまで一緒に居た少女のものだ。
「どうやって幸運が訪れるか知っている?」
先程まで優し気だった少女の声が、少女達には嫌に冷たく感じられた。いや、口調は柔らかく先程と変わらない。それなのに、何処か恐ろしかった。
「幸運はね、七つの不運の後に訪れるの。だから、あなた達は七つ不運を越さなければいけない」
そう言えばこの子は誰なのだろう、とふと思う。先程まで気にしていなかったのに、今少女が誰なのか酷く気になってしまう。誰かの友達だろうか、と考えて、そう言えば誰も名前を呼んでいない事に気がつく。
少女の胸元で揺れる赤いリボンが、そう言えば少女達と同じ制服なのに色が違う、と今になって考える。学年ごとに色を変えている訳では無いから、学年が違ったってリボンの色は変わらない筈だ。それなのに何故違うのか。リボンの色が変わったと聞いたのはずっと、ずっと昔だったような。
思考は纏まらず、少女達は震える様に息を漏らしながら少女を見つめる。
「ね、七つの不運、越せると良いね」
少女がそう言って微笑むと、社の中から風が吹き上がり、少女達の意識はそこで途切れた。
少女は社の中、月を見上げた。少女達の身体は送り届けたからもう此処には無い。
少女は溜め息を一つ吐いて、少女達を想う。これから彼女達には様々な不運が訪れる。時には大きな怪我もするだろうし、心が折れる事も有るだろう。最後まで耐えられなかった子供だって居た。それがお呪いの代償だ。一つの小さな幸運を得るために七つの不運を越さなければならない。
「何時もの姿を見ている方が良いのだけど」
唯、少年少女達が学び、遊び、暮らしている姿を見て、時々中に紛れるくらいが良いと少女は溜め息を吐いた。社に遊びに来てくれるのならお呪い無しが良い。
少女は困ったように笑って、手を一つ打った。
社の中から少女の姿は忽然と消え、社の扉が固く閉まった。
幸運の社 九十九 @chimaira
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