【KAC20236】徒然なるままに~KAC2023⑥

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

第六段 表裏一体

 今回のお題が発表され、不幸なのはこの題材で八百字弱のエッセイを書くことではないかと苦笑する。

 思わず話を一行で済ませてしまおうとしたが、ここで投げてしまえば一巻の終わり。

 折角だからと気を取り直して筆を執ることとした。


 幼少の頃、母から私の出産予定日が七月七日であったことを聞かされた。

 八七年生まれの私は、もしその通りに生まれていれば七が三つ揃い、なかなかに縁起が良かったのではなかろうか。

 しかし、赤子の頃からせっかちだったのか、実際の生まれはそれよりも一ヶ月早い。

 成程、これなら幸運に恵まれ続けるということから縁遠いのも納得がいく。

 短気は損気とはよく言ったものだ。


 そもそもラッキーセブンの語源はアメリカの野球によるものという説があるが、日本でも七という数字は特別な扱いを受けてきた。

 喜寿という言葉があるが、喜という文字が七を三つ書いて表したのに由来するから、七と喜びとは近しい関係にあったのだろう。

 こう考えれば、スリーセブンもスロットの独擅場とは言い難い。

 別に張り合おうなどとは思っていないが、なに、こうした「遊び」も許されよう。


 一方で、初七日から始まり四十九日に至るまでの法要を思えば、七は折れ口の顔も持つようだ。

 これは極楽へ行く裁判が七日毎に行われることに由来するようだが、そのような事を知らぬ八歳の私は、祖父の法要で七の段を苦労せず覚えられた。

 このような在り方をしていてはとても極楽に行くことはできぬだろう。


 禍福かふくあざなえる縄のごとしとはよく言ったもので、あまり一つにこだわっていても仕方ない。

 最も肉体と精神に鞭打って働いたとき、セブンイレブンのおろしそばに救われたが、棚に並ばぬ日はその不運に舌打ちをしたものである。

 まさに余裕のなかった証左だが、今にして思えば、食に一喜一憂できたことが命を繋いだのかもしれない。


 笑い抜け 天に唾せよ 不運にも 隠れた味を 探す楽しみ

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