第5話 開門前の平穏



 柔らかい陽の光が降り注ぐ昼下がり、夕映ゆえ天月あづきは、地下深くに存在する自身たちの仕事場でなく、活気に溢れる街を歩いていた。夕映ゆえはウィッグを被り、天月あづきはカラコンだけ装着し、服装も今どきのメンズ服を身に纏っている。


 「必要なものは、これだけだった?」


 「えーっと……うん。頼まれたものは、全部買ったよ。夕映ゆえちゃんの買い物は大丈夫なの?」


 天月あづきはスマホの画面と荷物を確認し、夕映ゆえに伝える。


 「じゃあ、あの美味しいマロングラッセが売ってるお店に、寄ってもいいかしら?」


 「……マロングラッセ? あ、もしかして遥架はるかくんに?」


 「そうよ。うちの花瓶用の花束を、お願いしたくて」


 「遥架はるかくん、いつもすっごいセンス良い花束作ってくれるもんね!」


 夕映ゆえ天月あづきは、近くにあるデパートでマロングラッセを購入し、地下へ戻った。





 「頼まれたものは俺が届けとくから、夕映ゆえちゃんは遥架はるかくんのとこ行って来ていいよ」


 「ありがとう。じゃあ、私は遥架はるかさんのところへ行ってくるわ」


 「うん。またあとでねー!」


天月あづきと二手に分かれ、夕映ゆえは、右側の二番目に位置する扉の前で足を止める。すると、夕映ゆえが動くより先に、扉が開いていく。扉が開ききったあと、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した夕映ゆえは「いい香り」と小さくつぶやき、足を踏み入れた。


 


 





 花で埋め尽くされた庭園のような部屋に足を踏み入れた夕映ゆえ。そのちょうど正面にあるガゼボの中で、背を向けて立っている男性がいた。


 「遥架はるかさん、こんにちわ」


 声を掛けると、気だるげな瞳が夕映ゆえの姿を映す。


 「ああ、いらっしゃい」


 白衣を翻し、ガゼボから出て来た遥架はるかは、丸いガーデンテーブルの真ん中に、白いユリの花束が挿してある花瓶を置いた。その花瓶を一瞥したあと、笑顔を作る夕映ゆえ


 「これ、頼まれていたものです。それと、これは私たちから」


 夕映ゆえは大きな紙袋と小さな紙袋を一つずつ、遥架はるかへ差し出す。それを受け取った遥架はるかは、紙袋に視線を落とした。


 「いつも悪いね。ありがとう。これは、マロングラッセ?」


 「はい。うちの花瓶の花束をお願いしたくて。ほんの気持ちです」


 「わざわざよかったのに。まぁ、ありがたく頂くけど……買い物頼んだの、僕だけじゃないだろうし、大変だったでしょ?」

 

 「いえ、いつもとっても素敵な花束を作っていただいているので、それとこれとは別です。私も天月あづきも、遥架はるかさんのお花のおかげで、地下にいるのに華やかな気持ちでいられるんですよ」


 部屋の中の花を見渡し、目を輝かでる夕映ゆえを見て、


 「そう。お礼に、色付けとくね。せっかくだから、お茶でも飲んでいきなよ」


遥架はるかは目を伏せて、嬉しそうに微笑む。






 

 ガーデンテーブルの上に、ティーポットとお菓子が並べられている。その中には先ほど、夕映ゆえ遥架はるかに手渡したマロングラッセも含まれていた。


 ティーカップに口を付けた夕映ゆえの表情が綻ぶ。


 「お花に囲まれて飲むハーブティーって、何だか贅沢ですね」


 「このくらい、いつでも出すよ。次は、天月あづきも呼んであげなきゃだね」


 「ありがとうございます。今度、天月あづきとお邪魔しますね」


 「うん。いつも代わりに買い物に行ってもらって、本当に助かってるからね。僕は外に出ようと思えばいつだって出られるけど、出来るだけここを離れたくないから」


 感情の読み取れない瞳で、ガゼボを見つめる遥架はるか


 「……私たちは、みんなお互い様じゃないですか。私も、他の方にお願いすることもありますし」


 「僕らは、神の領域に踏み込んだもの同士。みんなそれぞれに代償を背負ってるから、お互いに意識し合ってる部分はあるよね。だからって“仲間”なんて綺麗な言葉で纏まるような関係でもないけど」


 「ふふ。そうですね。私はそういう関係性、結構好きですよ」


 「僕ら、やっぱり似た者同士だね」


 フッと表情を緩めた遥架はるかは、マロングラッセに手を伸ばした。








 「夕映ゆえちゃん、おかえりー!」


 遥架はるかの部屋から戻ると、先に帰っていた天月あづき夕映ゆえを出迎える。


 「ただいま。あら、何かたくさん頂いて来たのね」


 天月あづきの後ろのテーブルには、紙袋や小箱などがいくつか置かれていた。


 「うん。なんか二人へって、お菓子とか化粧品とかいっぱい貰っちゃった。みんな夕映ゆえちゃんにも、よろしくって言ってたよ! 遥架はるかくん、元気だった?」


 「ええ……とっても、とは言い難いけど」


 「えっ、どこか具合でも悪いの?」


 「……の花束を、用意されてたわ」


 「ああー、そっか……白いユリかぁ」


 少し眉を下げた天月あづきは、夕映ゆえの言葉から拾ったキーワードをつぶやいた。


 「白いユリってことは、遥架はるかくんが、一番嫌いな案件だもんね」


 「そうね。ここでは、好きな案件なんてものがある人も、ほとんどいないと思うけど……今回の案件は遥架はるかさんにとって、底知れぬ嫌悪感を感じるものでしょうね」


 二人の会話に反応するようなタイミングで、始まりの鐘が鳴る。







 昼と夜の狭間、今日も羅針盤が動き出す。


 



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現世の羅針番 水月 尚花 @shouka-m

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