七人のアンラッキー

lager

アンラッキーセブン

「で、誰がやったの?」


 青い空の下、おんぼろアパート『くわがた荘』の住人たち七人が庭に集められていました。

 みなさんそれぞれ生活スタイルが違いますから、こうやって一堂に会する機会というのは本当に珍しいんです。昨年庭でバーベキュー大会をやったとき以来ではないかしら。


 長い長い黒髪を垂らし、背中を丸めた男の人は、ヤナイさん。

 彼は101号室と201号室を借りていて、201号室は炊事洗濯などに使っているんですが、下の階の101号室は床から天井まで全て彼の本で埋まっているんです。お探しの本があったら、彼に相談すればなんでも見つけてくれますよ。


 いかにもお人好しな顔をした青年は、マー君。

 102号室の住人で、今のくわがた荘では一番の新顔です。今年大学二年生になる文学青年で、他の住人のみなさんにも可愛がられています。


 今にも死にそうな顔をしたサラリーマンは、ハジメさん。

 103号室の住人です。その顔からは想像もできませんが、彼の心身はいたって健全で、毎年の健康診断も常にA判定だそうです。死にそうな顔つきは生まれつきなんですって。


 鍛え上げられた体つきのおじいさまは、ゴロウさん。

 104号室の住人で、このアパートの最古参の方。よく庭先で筋トレをしている姿が見られます。昔は全国各地を練り歩き、武者修行の旅をしていたのだとか。


 度の強そうな眼鏡をかけたお姉さんは、シズクさん。

 202号室の住人で、お仕事でエッチな小説を書いているそうです。締め切りが近い時には彼女に近づかないように、というのが住人全員の暗黙のルールです。


 しっかりと腕を組んで仲睦まじく寄り添っている兄妹が、ナオ君とマオちゃん。

 204号室に二人で住んでいます。二人ともまだお若いのですけど、ナオ君は外でお仕事をなさってて、マオちゃんはいつもお留守番。時折お部屋から物騒な音が聞こえることがあるんですが、マオちゃんが普通にお料理をしているだけですので、どうかお気になさらず。


 さて。

 どうしてこの七人がアパートのお庭に集められているのかと言いますと……。



「さあ、早く白状しなさい。今なら来月から家賃三倍で許してあげるから」



 このアパートの管理人であるクミちゃんが大事に育てていた盆栽の鉢が、壊されてしまっていたからなんですね。


 二段の花台に置かれたいくつかの鉢のうち、三つの鉢が割れ、松や楓、桜の枝が土に塗れて投げ出されています。

 クミちゃんは年齢不詳なところがあって、二十台と言われれば落ち着いた二十台にも見えるし、四十代と言われれば若々しい四十代にも見えるのですが、趣味に関しては少々渋いものを持っているんです。

 クミちゃん。お家賃三倍って、それはもう許していないのではないかしら。


 鬼の形相で七人の住人を睥睨するクミちゃんを、ある人は不安そうに、ある人は憮然として、ある人は無表情に、ある人は死にそうな顔をして見つめ返しています。

 何も自分たちにだけ疑いをかけなくても、とシズクさんが言い返していますが、残念ながらこのアパートの付近で遊ぶような近所のお子さんはいません。


 昨日の夜までは、確かに盆栽たちは無事でした。

 それが、今日の朝にクミちゃんが庭の掃除をしようとしたとき、初めて壊された盆栽に気づいたんですね。


 真っ先に疑われたのは、毎日お庭で筋トレをなさっているゴロウさんでしたが、彼が腕立て伏せをしたりスクワットをしたりプランクをしたりダンベルを上げたりバーベルを上げたり縄跳びをしたり站椿をしたり四股歩きをしたりしているのは、盆栽を育てている場所からは離れていますし、それは住人全員が承知しています。

 そもそも頑固なところはありますが一本気なゴロウさんのこと、鉢を割ったなら割ったと素直に謝りそうなものです。


 そこへ行くと、次に疑われたのはシズクさんでした。単純に、クミちゃんを怒らせて平気な顔で白を切れる人物に、みなさまシズクさんしか心当たりがなかったのです。

 どうせ原稿明けのテンションでお酒を飲んで、酔った勢いでお庭に出て妙な独り芝居でも始めて鉢を割ってしまって、全然気にしないでお部屋に帰って、今それを思い出したところなのではないかと、住人の何人かが同じ想像をしましたが、マー君の、昨晩シズクさんは僕の部屋で原稿明けのテンションでお酒を飲んで、酔った勢いでベッドの上で妙な独り芝居をしてゲーム機を壊し、全然気にしないでお部屋に帰って、それをさっき思い出させたところです、という証言により、疑いは晴らされました。


 そうなってくると次に怪しいのはマー君です。

 シズクさんに付き合わされる形でお酒を飲んでうっかり鉢を割ってしまい、それをシズクさんから口止めされる形で嘘を吐かされているのではないかと疑われてしまいました。

 なんにせよシズクさんのせいにされているところに、マー君の人望が見えています。

 ただ、これもマー君の証言を隣室の二人が認めたことから却下されました。

 くわがた荘はとっても壁が薄いので、隣室の話し声なんかは常に丸聞こえなんです。シズクさん。ご近所迷惑はほどほどにしましょうね。


 ことのついでにマー君の隣室の二人、ヤナイさんとハジメさんにも疑いがかけられましたが、人畜無害という言葉をその身で体現しているお二人です。ハジメさんは昨晩は趣味のボトルシップに没頭していたといいますし、ヤナイさんは指輪物語の原書を通読していたとのことで、特に疑わしいようなこともありません。


 残る住人は204号室の仲良し兄妹です。

 昨晩もなにやら、アンドレ・ザ・ジャイアントのヒッププレスのような衝撃音が轟いていましたが、それはマオちゃんが本格的なうどん打ちに挑戦していたとのこと。

 その出来栄えについてはナオ君のみぞ知るところですが、ナオ君が帰宅したのは夜七時頃のことで、その時点で鉢植えが割れていたということはありません。

 そして、一度ナオ君が部屋に帰った後で、二人が外に出てくることはまずあり得ません。


 さて。

 困ったことになりました。

 一通り住人全員に疑いの目を向けてみましたが、それだけで犯人が分かるはずがありません。クミちゃんの眉はどんどん吊り上がり、住人のみなさんも困惑していきます。

 ああ、このままでは平和な『くわがた荘』のみんなに亀裂が入ってしまいます。


 うふふ。だけど、ご安心あれ。

 あのう、と恐る恐る手を挙げたのはマー君でした。

 とりあえず、この盆栽を直しませんか、と提案したのです。


 事件現場は鉢の破片と土で大変な散らかりようです。元通りにするのも大変そうでしたが、幸いマー君のスマートホンの中に写真が残っていました。


 壊れた鉢をどうするかも問題でした。割れた三つの鉢の内、カエデを植えていた小ぶりな鉢は陶器製だったのですが、ヤナイさんが自宅に引っ込み、金継ぎ修理のハウツー本を探してくれました。


 仲良し兄妹とマー君が三人で分担して修理の材料の買い出しに行ってくれました。

 

 ゴロウさんは重たい鉢の修理を、ハジメさんは陶器製の鉢の金継ぎを買って出てくれました。


 金継ぎ修理は、しっかりと接着するのに日数がかかるとのことで、取りあえずそれまでこれに植えといたら、と言ってシズクさんが持ち出したのは、何かの賞を取ったときのトロフィーでした。


 そんなこんなで、ほとんど丸一日かけてクミさんの盆栽の復元は進み、その頃には流石のクミちゃんも怒りを収め、せっかくの休日を丸々潰してしまったことを謝り、その日の夕飯は、久しぶりに庭でのバーベキューとなったのです。


 うんうん。みんな仲良しが一番ですね。

 結局鉢が割れた原因は分からずじまいでしたが、みんなで力を合わせてそれを直したんですから、クミちゃんもこの件は水に流すことにしたようです。

 一件落着。



 そして、その日の晩。

 バーベキューパーティーも終わり、みんながそれぞれの部屋に引っ込んだ後で、クミちゃんがアパートの階段を上ってきました。


 そして、のドアを開け、中に入ってきました。


「今日はお騒がせしてしまってすみませんでした」


 そう言って、がらんどうの部屋の中にぽつんと立つ小さな神棚に、お団子をお供えしてくれました。


 うふふ。いえいえ、いいんですよ。

 賑やかなのはいいことです。


 そんな私の声を聴くことが出来ないクミちゃんは、そのまま踵を返して部屋を出ていきました。

 律儀な子。お母さんやお祖母さんにそっくりです。


 大丈夫ですよ。

 あなたが受け継いだこの『くわがた荘』では、悪いことなんか起こりっこありません。

 ただ、ううん……。そうですねぇ。

 今回のことは、なかなか珍しいケースでした。


 ナオ君あたりは気づいていたみたいでしたけど、今回、誰がどうやって鉢を割ったにせよ、一つだけおかしなことがあるんですよね。

 それは、どうして誰も鉢が割れたことに気づかなかったのか、ということです。


 くわがた荘の壁は薄く、お隣の音も外の音もよく聞こえます。

 三つの鉢があれだけしっかり割れたのであれば、それなりの音がしたはず。

 けど、そんな音を聞いた人は誰もいなかったのです。


 なぜでしょう。

 答えは簡単。もっと大きな音にかき消されたから、です。

 そう。マオちゃんクッキングの轟音ですね。

 鉢植えが割れたのは、まさにその時でした。 


 では、一体どうして鉢植えは割れたのでしょう。


 それを説明するためには、時間を前日の朝にまで遡らなければいけません。



 その日の朝、マー君はお寝坊をしてしまいました。

 前の日の夜遅くまでゲームで遊んでしまっていたからです。

 慌てて部屋を飛び出したマー君は、咥えていた朝食のサンドイッチを地面に落としてしまいました。


 当然すぐに拾おうとしましたが、拾ったところでもう食べられるものではありません。その様子をたまたま見ていたゴロウさんが、自分が片付けておいてやると言って、マー君を先に行かせたのです。


 ゴロウさんは自分の部屋から何か適当なゴミ袋でも取ってこようとしたのですが、彼が目を離したほんの少しの隙に、カラスがそれを見つけて、咥えこんでしまいました。


 飛び上がったカラスは、くわがた荘の二階の手摺に留まり、戦利品を平らげようとしました。しかし、丁度そのタイミングで201号室の扉が開き、中からヤナイさんが出てきました。びっくりしたカラスは、サンドイッチをお隣の202号室の扉の前に落とし、そのまま飛び去っていきました。


 ヤナイさんはカラスが落とし物をしたことに気づかず、サンドイッチはそのままとなってしまったのですが、その日のお昼過ぎ、今度は202号室からシズクさんが出てきたとき、シズクさんはやはり足元のサンドイッチに気づかず蹴飛ばしてしまいました。


 手すりを通り抜けて下に落ちたサンドイッチは、しばらくそのまま放置されていましたが、夜になり、今度は近所の野良猫がそれを見つけたのです。

 ふんふんと匂いを嗅ぎ、ぱくりと齧りついたところで、仕事から帰ってきたハジメさんに出くわしました。


 ハジメさんとしては驚かせるつもりはなかったのですが、ネコはサンドイッチを咥えて逃走し、庭に飾ってあった盆栽の裏側に隠れました。

 逃げられてしまったことに少しだけショックを受けながら、ハジメさんはそのまま自分の部屋に入りました。


 しばらくはぐはぐとサンドイッチに齧りついていたネコは、アパートの一室から突然聞こえた轟音に飛び上がりました。

 彼が隠れていた盆栽の鉢が二つ倒れ、その内一つは下の段に置いてあった別の鉢にぶつかりました。


 割れました。

 けれど、その時の音は、マオちゃんがうどんの生地を叩く轟音にかき消され、誰にも聞かれることはありませんでした。


 ナオ君は、どうやらマオちゃんの出した音に何か原因があるのではと気づいたようでしたが、命より大事な妹に、余計な嫌疑をかけさせるはずがありません。


 ええ、見ていましたよ。最初から最後まで。

 今回の件、悪い人は誰もいません。

 ただ、七人全員、ほんのちょっとだけ運が悪かっただけです。

 でも大丈夫。

 くわがた荘に住んでいる限り、本当に悪いことは起こりません。

 みんな、私にとって家族みたいなものですからね。

 ちゃんと見守っていますよ。

 うふふふ。

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