【KAC20236】七井くんはこわがり

草群 鶏

七井くんはこわがり

「ねえ、七人ミサキって知ってる?」

「え、知らないしどうせまた怖い話なんでしょホントマジ本気でやめて」

「ホントマジ本気でってどんだけイヤなの」

 七井猛なないたけるは特段目立つところのない塩顔の男の子だが、極端にこわがりなことで有名だ。学校のトイレは何かいそうだからと絶対一人では行かないし、誰かが窓を閉め忘れたせいで本来揺れるはずのないカーテンがふわりと揺れた、ただそれだけでちびりそうになった前例がある。優しいしそこそこ賢いし上背もそれなりにあるのだが、〈彼氏にするなら誰〉という話題で大半の女子に「七井はないなあ」との評をつけられた。典型的ないい人止まりの例である。

 そんな猛にやたらとつっかかる女子がいる。それがいま、猛を怯えさせて高笑いしている八雲美香やくもみかである。

「あーあーまたやってる」

「美香も懲りないねえ」

 同級生は皆この光景に慣れている。高校生にもなると変わったやつをつまはじきにするなんて子供じみたことはしないのだ。ああいうのはちょっと距離を置いて観察するくらいがちょうどいいし、うまくいけばちょっと面白い話のネタになる。誰しもすべらない話のひとつやふたつ持っておきたいもの、そういう意味では猛はちょっとした都市伝説くらいのありがたみをもって級友たちに受け入れられていた。

「六花、まだそんなのつけてんの」

「うん、七井くん観察日記」

 だって面白いじゃん、と言いながら加藤六花かとうりっかが閉じたノートは、表紙に生き物の写真があしらわれた懐かしの学習帳。地元の人間ばかりだった中学までと違って、高校に上がるといろんな物好きがいるもんだ、と五島凛々也ごとうりりやは苦笑する。

「読みたい?」

「いや、いいや。なんか猛に悪いし」

「本人に許可はとってあるよ」

「どういう神経してんだあいつ」

 凛々也が呆れている間も、猛と美香の攻防は続いている。

「七つの大罪ってあるじゃん……」

「マンガの話?」

「ううん、映画の話」

「それ知ってるよめっちゃ怖いやつだろ思い出しちゃったじゃんもうなんなの」

「へえ、見たことあるんだ……」

「兄貴に騙されたんだよ!」

 美香の今日のテーマは「七」らしい。あの手この手で猛を怖がらせてきた彼女が、とうとう彼の大事にしている苗字に手を出した。俺の名前にはラッキーセブンが入ってる、だから悪いものは寄ってこないんだというのが猛の主張で、そのわりにありとあらゆるものを怖がってるなあとみんな思っているが突っ込まない。知れば知るほど残念度が増していくのが七井猛という男だ。

 だが、美香はそれがいいらしい。

「好きな子をいじめるのって、男の子がやるやつだと思ってたけど」

「俺も」

「ああやって美香に目をつけられてる時点で、もうラッキーじゃなくない?」

「アンラッキーセブン……」

 周囲の哀れみの目をよそに、美香は何かをひらめいたらしく顔の前で手をあわせた。

「七井って名前もいいけどさ、七より八のほうがよくない?」

 爪を鮮やかに整えた美香が自分の唇を指さす。八雲という苗字のことを言っているのだ。

「なんなんだよそのマウント」

「だからさあ」

 困惑する猛に向かって、色づいた口元がにいと笑う。

「うちに婿入りすればいいじゃん、末広がりだよ」

「は?」

 クラス中がざわめいて、六花ががばりとノートを開く。

「きたー!」

「え、なに、どういうこと」

「とうとう言った」

「マジか」

「そういうことか」

 浮足立つ級友のなかで、二人をずっと見てきた六花だけが冷静だった。

「でもまあ、案外うまくいくと思うよ」

 頬杖をついてフフンと笑う彼女を横目に、凛々也は黙って肩を竦めた。

 渦中の七井猛は、何も言えずに怯えた顔で凍りついている。

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