第 25 幕  悪趣味ふたり Ⅰ


 仄暗い部屋の中、男が一冊の本を手に取っている。

ランプの僅かな光で照らされる深いローアンバーの壁に、二つの人影が描かれていた。

無駄のない動作で本を差し出され、ルークスは何も言わずに厚い表紙へと指をかける。


 「……で、では。また二日後に」

 「はい。お休みなさい」


 緊張からか言葉を詰まらせる男がおかしくて、青年は光の少ない緑の瞳を静かに細めた。


 「……楽しみに、待っていてくださいね」


そんなルークスの笑顔に、男はついぞ感じたことのない類の震えを覚えていた。





 磨かれた革に連なり上品に煌めく飾りが、長めの赤毛の間から踊るように顔を出す。

マウイとマーシャが彼にチョーカーを送ってから、既に両手の指では数えられない程の日数が経っているが、あの日からルークスはこの首輪を片時も離そうとしないでいた。

送った張本人であるマーシャが、ずっと着けていて苦しくないのか、と彼に聞いてみれば


 「まだ違和感はあるけど、コレがあると少し落ち着く……と、いうよりかは無いと安心できなくなってきちゃってね」


 とのことだ。

それはそれで不味いのではないかとマーシャは眉をひそめたが、幸いにも彼は正しく手入れを行っているらしい。

極端に着け外しし過ぎなければ、そう簡単に壊れてしまうこともないだろう。

想像以上にルークスの精神を支えているらしいチョーカーが今日も彼の首に着いていることを確認し、彼の横を歩く彼女が安堵の息を吐いたのもつかの間。


 「ちょっと、貴方最近クマが酷くないかしら?どんどん濃くなってきてるわよ」


 マーシャからの鋭い指摘に、ルークスの口角が不自然に跳ね上がる。

これは偽っていない彼の素のリアクション、それも図星だったときのものだ。

そっと顔を背けるルークスに爪先立ちで詰め寄り、彼女は呆れた目で睨みつけた。


 「私、しっかり睡眠は取るように言ったわよね。漸く貴方も処刑任務に入れるようになったのに……直ぐに死なれちゃ困るのよ?」

 「ごめん、出来るだけ早く眠るようにはしてるんだけどさ」

 「言い訳は?」

 「しません……」

 「よろしい」


 ばつが悪そうに眉間にシワを寄せるルークスを、マーシャがぴしゃりと叱責する。

しかしいくら素直そうに見えても、この男の言動をそう簡単に信用する訳にはいかなかった。

周囲からは察しが悪いだの無神経だのと酷い言われようなマーシャだが、これからは洞察力を磨いていくつもりなのだ。


 「で、どうして寝不足になったの?」

 「どうしてって?」

 「理由よ、理由。貴方、意味もなく夜ふかしするような人じゃないでしょ」


 マーシャが答えを催促すれば、彼はわざわざ膝を折り、彼女に小さく耳打ちした。


 「ロンドさんからの ” お願い ” があってね」

 「お願い?」

 「うん。二日に一回のペースで俺が渡された本を読み切って、返すの」

 「どうしてそんなもの受けたのよ」


 訝しげに聞くマーシャに何も答えず、ルークスは悲しげに眉を下げてみせる。

その様子にマーシャは目を伏せかけたが、僅かに上がっている口角に気がつくや否や、マーシャは彼の脛をそれなりの強さで蹴飛ばした。

直撃した骨同士が、鈍く振動する。


 「いっ!?ちょ、ちょっとマーシャちゃん!そこまだ痛いんだって!」

 「あら、ごめんなさい。忘れてたわ」

 

 涙目で左脚を抑える彼の訴えに、マーシャはふと思い出した。

その場所は、ルークスがつい先日に罪人のタトゥーを掘られていたところだったと。


 「やっぱりそれ、痛いの?」

 「痛いよ……絶対あえて痛い場所に彫ってあるよコレ……」

 「罪人だもの。罰の意味も兼ねてるはずよ」

 

 彼女が返した至極真っ当な意見に、ルークスは反論を諦める。

一連の流れのせいで痛みを増してしまった左脚だったが、幸いにも今日のルークスに与えられたのは事務仕事だ。

緊急で処刑員の招集でも行われない限りは、業務に支障をきたすこともないだろう。

そうこうしている間に、周りはすっかり朝食を食べ終えてしまったらしい。

未だ食堂へと続く通路で立ち止まっている二人の横を、エラとマウイが軽い挨拶とともに通り抜けていく。

マウイに手を振られ、ルークスの表情が僅かに穏やかなものになった。


 「早くご飯を済ませて仕事を始めなきゃ、行こう」


 マーシャよりも一歩だけ前に出たルークスが、彼女を急かす。


この調子ならば、彼は案外すんなりと役に立ってくれるかもしれない。


 そんな浅はかな期待に笑みを浮かべながら、マーシャは食堂へと向かうのだった。




 近日のモルスについての記録をファイリングしていたルークスが、不意に作業の手を止める。

突然、頭痛を感じたからだ。

重い息を吐きながら、片手をどくどくと脈打つこめかみへと持っていく。


 (参ったな……ここに来てからはあまり無かったのに)


 新参者、そして今や罪人であるルークスにも暖かく清潔なベッドが与えられているため、ギロティナでの生活ではいつも心地良く眠ることが出来ていた。

しかし元々の計画が破綻したことで、固まり始めていた覚悟が揺らいでしまったのだろうか。

ロンドからの要求を叶えるために睡眠時間を削ってしまったのは本当だが、それとは別に彼自身の寝付きも悪くなってしまっていた。

ぼんやりと霞がかった悪夢や、胸の痛み、突然に吹き出す嫌な汗がルークスの眠りを妨げてくるのが今の現状だ。


 (弱いなぁ、俺)


 近くに置いていた水差しに指をかけ、与えられたカップに中身を注いでいく。

カップの半分以上まで注いだ茶を一息に飲み込むと、少しだが頭痛が和らいだような気がした。

十中八九、原因は寝不足と緊張だろう。

せめてミスだけはしないようにと、ルークスは一つ一つ丁寧に仕事を進めていく。

書類の山を着実に仕分け、指定された場所に書き込みを続けた。


 「よし、これでまぁ、大丈夫……」


 そう口にした途端、くらりと視界が歪む。

咄嗟に足に力をこめたことで転倒は免れたが、依然として体調は安定してくれない。

仕事も一段落したため休憩するべきなのだろうが、自分の立場を考えるとルークスはどうしても休む気になれなかった。

怠けていると思われない程度に身体を楽にしようと、ルークスは暫し目を閉じ、深呼吸を繰り返す。

気分の悪さは多少軽減されたものの、これだけでは回復には不十分だった。


 (そろそろ仕事に戻ろう……あと少ししたら、あと少し……)


 少々鞭を打ちすぎたのだろうか。

身体はなかなか言うことを聞かず、深呼吸をやめるどころか瞼を開ききることすら出来ない。

早く止めなくてはと緊張した喉が、ペースはそのままに呼吸を浅くしていく。

息苦しい、とみとめたその時にはもうルークスはその場に座り込んでしまっていた。


 (これ、もしかしたら不味いのかな)


 酸欠でもやがかった頭では、危機感も鈍るらしい。

すると、動けぬままおかしな呼吸を繰り返していたルークスの身体を、誰かが強くゆさぶった。


 「しんだの?」


 声の主は失礼な言葉をかけながらしばらく揺らしていたが、ルークスが何も返せないのだと察したらしい。

悩む素振りもなしに、方向性を変え彼を横にはたき落とした。


 「えいっ」

 「はっ!?」


 左半身が床に叩きつけられた衝撃で、彼の喉が息をいっぺんに吸い込んでしまう。

乱暴ながらも酸素を得られたことで、ルークスの視界が大きくひらけた。

咳き込むルークスを無表情に見下ろしているのは、小柄な少女 ―― 女性。


 「きがついた?」

 「は ぃ゛……お陰様で」


 今度は反応を返してきた彼に、ポプリは自分で助けたにも関わらず不機嫌そうに鼻を鳴らす。


 「そう、ざんねん」


 彼女のピーズアニマが、ルークスを立ち上がらせる。

そしてそのまま彼の歩行補助を続けると、最終的に彼を備え付けのソファへと転げ落としていった。

怪訝な顔で見てくるルークスを無視し、ポプリも隣に腰掛ける。

彼女の碧眼が、静かに鮮やかさを失っていった。


 「えっ?」

 「……今日のぶんの仕事はもう終わり。進められるものも無いから、わたし達は休憩だよ」


 靴を脱ぎ、小さな身体を丸め、ポプリは寝の姿勢に入る。

背を伸ばして座り直しているルークスを一瞥してから、顔を背けてこう続けた。


 「あなたも横になって。休めるときに休まないと、この仕事では生き延びられない」

 「でも」

 「四の五の言わない」


 強い調子で咎められ、ルークスもゆっくりと体勢を変えていく。

柔らかなソファに頭をつけると、心地良さとともに瞼が重く下がってきた。

ポプリが起き上がる気配がしても抗えず、意識が下へ下へととろけていく。


 「ポプリさん、は」


 ルークスを見張るポプリの指が、緊張で跳ね上がった。

当の本人は眠気に抗えないのか、回らぬ呂律でぽつぽつと言葉を溢していく。


 「俺のこと、うらんでますか。今なら、誰も……」


 そこまで口にされた声が、寂しげに途切れる。

警戒しつつポプリが近づいてみると、ルークスは規則正しい寝息を立てて寝入っていた。

彼の目の下に構えるクマを眺め、ポプリは口を引き結ぶ。


 (どんなにあなたが嫌いでも、あなたにどんな自滅願望があったとしても。わたしじゃ、あなたを裁けない。あなたと同じ悪人のわたしには、いい事をなぞることしか出来ないから)


 少し迷ってから、ポプリは端に置かれていた毛布をルークスへとかけてやった。

子どもにするように布の上から優しくさすり、彼が目を覚まさない程度の小さな小さな声で囁きかける。


 「マウイはあなたを赦すよ。だから、あなたもそれに報いてね」


 ルークスの呼吸は、もう乱れなかった。

         




 翌日のルークスの当番は、処刑職員にとって最も重要である処刑担当だった。

とはいえ、モルスが発見されるまでは特にやることもないため、いつでも出られるようにさえしていれば比較的自由である。


 「おぉ……これがルークスん仕事服か!」

 「うん。不思議なつくりだけど、案外戦いやすくて驚きました」


 ルークスの服が見たいというマウイの要望を受け、二人は最近支給されたばかりの処刑服を眺めていた。


 「でも……マウイさんたちもそうですけど、わざわざ個別のデザインにする必要ってあるんですか?俺のとか、わざわざ刺繍まで入ってるし」

 「僕もエラに渡されたときにはそげ思うたな。ばってん、意外と利があるもんなんばい」

 「へぇ」


 処刑服は皆違う構造の服となっており、遠距離・中距離戦を主とするポプリやエラはフリルなどで見栄えを意識しながらも軽いもの。

近接戦闘が多いマウイやルークスは足の可動域を意識した、トップスの下方が切れ込んであるものとなっている。


 「ルークスん服、切れ込み多かね。両手両足に、胸元……僕よりもずっと多か」

 「たしかに、これ便利ですよ。憑依して手足がボワッとなっても服が駄目になりませんし」

 「あ〜、やけんたまに袖が短うなっとったんか」


 穏やかな会話を続けながら、ルークスは指先で服の表面をなぞっていった。

簡単な装飾まで施されている処刑服は、明日死ぬかもしれない罪人へ支給されるとはとても思えないもので、薄っすらとした不気味さすらある。

鎖を描いた刺繍を辿っていくと、服の端から垂れ下がる細い鎖へとつながった。


 (服について、俺はよくわからないことばかりだけれど。でも、これはきっと印だ。俺が忘れないように、周りの人が知れるように)


 黙りこくったルークスを心配したのか、マウイが名前を呼んでくる。

ルークスはそれに控えめな笑顔で返し、なんでもないように服を軽くはたき始めた。


 「そういえば、マウイさんは今日お休みでしょ?街に出かけたりはしないんですか?」

 「今日は特に予定は……って、あっ!ロンドからおつかい言われとったんやった!」


 しまった、と頭を抱えるマウイを前にしてルークスの表情が緩む。


 「ロンドさん、最近お休み無いですもんね。今日も処刑担当ですし」

 「そう!忘れとったってことが知られたりしたら、『まったく、貴方に頼んだ私が馬鹿でした。貴方は更に馬鹿ですけれどね』とか言わるーかも……!すまんルークス、僕もう行くわ」


 大げさにロンドを真似てから、マウイは軽くルークスに謝ってきた。


 「ロンドと二人で処刑任務して大丈夫か?色々とあったことやし、あいつ結構ねちっこかし……」


 どうやらロンドとマウイは普段衝突しがちならしい。

ルークスも気遣ってもらえて嫌な気はしないが、ロンドを悪者のように言われるのは複雑だった。


 「そこは仕方がないことだから。大丈夫ですよ、自業自得ですし」

 「そうか……それじゃあ、気を付けてな!」


 手を振って駆けていく彼を見送り、ルークスは再度処刑服へと視線を移す。

鎖に強く爪をかけると、美しかった光沢が傷つき歪んで見えた。


 (……このデザインにしてくれたエラさんには、感謝しないとね)


 どんなに見てくれが善くとも、悪くとも、ルークスが罪人であるということを触れ回してくれる、印。

母のことがこの街にも広まってしまった際には、また露悪的な振る舞いを心がけなくてはならなくなるだろう。

その時にルークスが怖気づき、周りに同情を求めてしまってもこの印があればきっと思い出してもらえる。

あいつは、正常な者ではわかりあえない悪人なのだ、と。

ルークスはきつく目を伏せ、縋るように服を抱きしめた。




 モルス発見の鐘がけたたましく鳴り響く。

慣れた、されども充分な緊張感を持った職員が詳細を報告してくれる。


 「大きさは不明、攻撃性高、11番エリアです!処刑担当の方は至急向かってください!」

 「そういうことだ、ロンド、ルークス君出てくれ。応援が必要になったら煙弾を撃つように!」


 エラの指示のまま手速く服を着替え、ルークスは自分用のナイフを持つ。

ギラギラと輝く刃先をホルダーへ収めると、そんな彼の一挙一動を注視していたロンドと目があった。

ルークスが口を開く前にロンドは目をそらすと、「急ぎますよ」とだけ口にして外へと走っていってしまう。

まだ土地勘のないルークスは道に迷わぬよう、慌ててロンドの後を追い始めた。


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スティグマの断頭台 夜猫シ庵 @YoruNeko-Sian

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