愛の評論家
夏目一馬
愛の評論家
愛が限りない相補性を担保して首を吊って次々と階段から落ちていくさまを眺めながら、僕は街を歩いていた。
「愛についてどうお考えで?」
となりを歩く赤髪の女性は首を傾げるとこちらに視線を向けた。
「愛は性とは異なるんだ。人はそれをどうにも誤認してしまう。混同してしまう。パレードが夜を駆け抜けていくとき、果たして誰がビルの屋上から投身自殺を図るだろうか? 僕はね、バラの花が太陽の代用となる時を夢見ているんだよ」
「素敵な理想ね。ただ現実はそうかしら」
「現実なんて不確かなもの、あるかどうかさえ怪しいのだよ」
縁側に腰を掛けていた僕は着物の袂から煙草を取り出すと、コインを弾くときのように親指をピンと弾いた。すると火が付いた。吸って吐く。すると青い蝶が何羽も口から飛び出していった。煙草の先からも蝶が次々と飛び立っていく。
「夕暮れだ。美しい。私はあれを求めているのだよ」
すると彼女はいとも容易く太陽をつまんで取ってしまった。手首を捻っていろんな角度から見てみると、平べったい円盤のようだ。彼女は浜辺を走っていき、海の水面に向けて投げた。水切り石のように海面を何度か跳ねた後、沈んでしまった。
「斜陽ですらないようね。夜よ」
「いいや、まだ希望はあるさ」
僕は立ち上がりながらスーツの裾を直した。くわえていた煙草をカエルに飲ませると、頭上にひまわりが咲いた。そのひまわりをむしり取って、裏についたピンを空に突き刺して固定した。
「太陽そのものじゃなくていい。いつか花が大地を照らすだろう。本棚のような発想だね」
「いいえウイスキーよ。私たちが飲んでいるようで、私たちを飲み込むの」
赤いドレスを纏った彼女は、手に持っていたグラスを離した。パーティー会場の、これまた赤い床に落ちて割れ、ウイスキーが飛び散った。
「呑まれるなかれ。深淵はまた私たちを覗くのよ。それで、愛の真実には気づいたのかしら?」
「いいやまだだ。まだ本当のところはわかっちゃいない。子供がサッカーボールを蹴るんだから仕方がない。君、冷凍食品を机の引き出しでチンしたことがあるかね」
「ないわ、それがどうピアノの奏でる旋律に繋がるの?」
「それが愛なんだ。実際ピアノの音色なんだ。どこまでも清く美しく、そこに穢れはない。主観的な認識の問題だけではないんだよ。パイナップルジュースを零したときと同じ視点での認識さ」
僕は手に持っていた本を引きちぎると、森の中に投げ捨てた。すると木々は我こそがと争って真っ赤な口を開いて、真っ白な歯で咀嚼した。チェーンソーの泣く如くセミが鳴くのなら、そこにカーテンを閉めてしまえばいいのだ。僕にはそれがわかっている。だからこそ、今はまだ眠りに就いたまま、形而上学的な王子様のキスを待ち続けている。
愛の評論家 夏目一馬 @Natsume_Kazuma
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