不吉な同居人

陽澄すずめ

不吉な同居人

「実はこの部屋、出るんですよ……」


 いつ見ても顔色の悪い不動産屋が、両手をおばけみたいに垂らして言った。

 新たな入居希望者らしい男は、へぇ、と納得したように部屋を見回す。


「なるほど、だから家賃めちゃ安いんすね!」

「えぇ、まぁ……この価格でご案内できるのは、ここくらいですねぇ。事情をご承知いただいた上で、ということにはなるんですが……」

「俺、霊感とか全くないんで大丈夫ですよ! どうせ独り身なんで、呪われようが祟られようが心配してくれる相手もいないですしね! しかも部屋番号が107とか、ラッキーセブンじゃないすか! 気に入りました! ここにします!」

「そうですか! では早速、事務所でお手続きの方を……」


 ははは!と豪快な笑い声を上げる男とホッとしたような表情の不動産屋が揃って出ていくのを、は部屋の隅から見送った。


 そう、何を隠そう。

 あたしこそが、このオンボロアパートの107号室に住み着いている幽霊なのだ。


 何がラッキーセブンよ。

 ここがどれだけ不吉な部屋か思い知らせてやる。

 男なんか信用ならない。

 またすぐに追い出してやるんだから。



 新たな家主となった男は、がっしり体型で無精髭は伸びっぱなしで、年は三十代後半くらい。トラックドライバーをしているらしく、家には寝に帰ってくるだけだ。

 そのせいで食生活も酷い。いつも近くのセブンイレブンで済ませていて、あちこちに弁当の殻とかナナチキの袋とかが転がっている。

 洗濯も掃除もあんまりしないから、部屋は汚くなる一方。

 おまけにベビースモーカーで、灰皿にはセブンスターの吸い殻が山盛り。壁も天井も畳も、すっかり煙草の臭いが染み込んでしまった。

 その上、イビキがうるさくて就寝中は近づけやしない。


 最悪だ。

 早く出ていけ。


 だけどこの男は本当に霊感が皆無らしく、あたしが念力で物の位置を変えても、


「あれ? 心なしか部屋が片付いたな!」


 普通なら怖気を感じる怨念をぶつけても、


「この部屋、涼しくていいな! エアコン要らずだ!」


 などと、どこ吹く風だ。


 珍しく男が休みのある日。


「今日は家で映画でも観ようかな!」


 映画なら、二時間くらいはこの場にじっとしているはず。

 その間にありったけの怨念を送って、二度と立ち直れないくらいの目に遭わせてやる!


 男はタブレット端末に写したアマプラの画面から、一つの映画を選んだ。


「よし、これにしよう。ブラッド・ピット主演『セブン』!」


 ……

 …………

 ………………。


「あー! 面白かったなー!」


 いや?!

 え? え? 何この映画……? え? 何あのラスト……ウワァァァ……もう無理……あたししばらく立ち直れない……


 もう嫌! ほんと何なのこの男!

 出てけ! 早く出てけ!



 更に最悪なことが起きた。

 男が、真っ黒な子猫を拾ってきたのだ。


「生きてて良かったなお前! ひとまず水でも飲んどけ!」


 黒猫なんて、気味悪い。そんな不吉なものを拾ってくるなんて。

 しかもボロボロで、惨めでみっともなくて。

 まるで、あたしみたいだ。


 だけど男は水を飲む子猫を眺めながら、そっと目を細めた。


「お前も、俺と一緒だな。独りぼっちだ」


 その瞳の奥に一瞬よぎる寂しげな色。

 ……何よ、あんた、そんな顔できるの。


 男は猫に『ナナ』と名付けた。


「ナナ! 107号室、ラッキーセブンのナナだ!」


 そう言って、ぱぁっと無邪気な子供みたいに笑う。


 やっぱり最悪だ。『ナナ』なんて。


 ——奈々、出てってくれないか。


 生前の記憶が蘇ってくる。

 かつてこの部屋に住んでいたあたしの彼氏は、他に女を作って、邪魔なあたしを追い出そうとした。

 あんなに愛してたのに。

 あんなに尽くしたのに。

 だからあたしは腹いせにこの部屋で首を吊って死んでやったのだ。


 最悪。本当に最悪。

 出てってよ。早く出てっ——


「にゃーん」

「ナナ、どうした? 何もないとこ気にして」


 ナナがあたしを見上げて鳴いている。


「そこに何かいるのか? ああ、そう言えば、『出る』って言われたっけ」


 男が、あたしの方を見た。

 初めてあたしの方を見た。

 無精髭だらけの厳つい顔をぐっとしかめて、睨むようにして。


 何よ。どうせ、あんたも言うんでしょ?


 ——奈々、出てってくれないか。


 彼は眉間のシワを開いて、うーんと首を捻った。


「あー駄目だ、やっぱ何も見えねえわ。でも、そこに何かいるんだな?」


 何よ、今更——


「今更だけど、よろしくお願いします! って、聞こえてるかどうかも分かんねえけど! ははは!」


 ぱぁっと無邪気な笑み。まるで子供みたいな。

 何よ。何よ……


 男は猫と遊びながら、その辺で眠りこけてしまった。

 酷いイビキ。本当にうるさい。

 しかもお腹も出ちゃってるし。


 仕方ないわね……


 あたしは部屋の隅でぐちゃぐちゃになっていた毛布を発見し、もう何度目かも分からない念力を使った。


 翌朝。


「あーよく寝たー! ん? 何だこの毛布」


 男は傍らで丸くなっている黒猫を撫でた。


「もしかして、ナナが掛けてくれたのか?」


 バッカじゃないの? そんなに優しい顔しちゃってさ。

 勘違いしないでよね。こんなんで体調崩されたら、幽霊としてのあたしのメンツが立たないだけよ。


「よーし、今日も仕事だ! ナナ、良い子にしてろよ! 行ってきます!」


 ナナと一緒に、バタバタ出ていく男を見送る。


 ふん、うるさい男ね。

 片付けして待っててあげるから、さっさと無事に帰ってきなさいよ。



—了—

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