東京には空がない
帆尊歩
第1話 東京には空がない
知っているのはこの空だけ
とあたしはぼそっとつぶやいた。
教室から青い空を見ていたら口から出た。
「なにそれ」と横に座っている砂羽が言ってくる。
「沙智が良く言っていた」
「沙智って。圭が中学の時知り合った友達だっけ」
「うん」
「病弱で、学校に行けなかったんでしょう。かわいそうに。今どうしてるの?」
「さあ。ぜんぜんわからない。急に家族で引っ越したから」
「まさか。なんてことはないよね」
「それも含めて全然分からない。何しろあたしも子供だったから。沙智の詳しい病状とか分からなかったし。でも家から数十メートルの本屋に行くのがやっとだった。沙智自身はそれがリハビリだったらしいんだけれどね」
「何だかあたしたちには想像出来ない状態だよね。うかつにかわいそうとか、そんな言葉も言えない」砂羽は、中学生のロックミュージシャンに間違って恋してしまったり。笑顔を忘れた先輩に怪しげな体操を教えたりと、結構変なやつだけれど、道理はわきまえているとあたしは思っている。
「でも沙智は無限の詩の世界で暮らしていた」
「詩の世界で暮らすって?」
「詩の世界の様々な場所、季節、匂い、あたしは沙智がうらやましかった。想像の世界でも旅が出来るってね」
「凄いね」
「でも一度沙智はあたしに言った。(知っているのはこの空だけ)って。沙智はね、好きな詩があったの。彫刻家でもあった詩人が、その妻を詠う詩集のなかにあった一つの詩。
東京には空がない、ほんとうの空は故郷の空だという詩。でもその詩を二人で詠んでいて沙智は一言、言ったの。
でもあたしが知っているのはこの空だけ
そう言った。
確かに沙智は病弱で学校にも行けず、ずっと家にいた。唯一の外の世界は、家からちょっとの本屋さんだけ」
「そこで知りあったんだよね。その沙智ちゃんと」
「うん」
「あたし詩なんて全然分からないけれど、そんなに良い物なのかな」という砂羽の感想はまっとうな物だ。
「あたしも分からないよ。そもそも形がない。決まりがないから、だからこれは詩なんだと言い張れば全て詩になる。でもだからこそ難しいんだろうね」
「そうか」
「沙智にとっての空は、家から本屋さんの間にある建物と建物の間に切り取られた空。それしか沙智は知らなかったんだよ。だから(知っているのはこの空だけ)なんて言っていた」
「圭は沙智ちゃんに同情しているの?」
「そんなつもりはない。沙智には、いろんな物を教えて貰ったし、いつだって沙智とあたしは対等だよ。同情というのは上から見ることでしょう。でもどうしても拭い去れない気持ちはある。
かわいそうという気持ち。
あたしは沙智に優しくしてあげられたのかな、もっと沙智にしてあげられることが有ったんじゃないかな。沙智はあたしと詩の話をして楽しかったのかな、なんてね」
「圭はさ、憧れってあった方が良いと思う」
「なにそれ」
「憧れというのは、その物が手に入らないから欲しいと思う。
それが憧れ。
そこにはいつだって、その物がないという渇望が生まれる。
欲しいのに、手に入らない。
それは不幸だけれど、憧れという宝を持てる。
ではそれが手に入ったら。そこに憧れはなくなる」
「何が言いたいの」
「沙智ちゃんはいつだった空に憧れていた。
そんな空でも見ることが出来る沙智ちゃんは。
空に対する憧れなんて無い。空を見ても、ああ空だ、位にしか思わない人よりも幸せだったんじゃないかな」
「どこにも行くことが出来ないから。その空を本当に愛せた?なら沙智は不幸じゃなかったって事かな」
「きっと沙智ちゃんは幸せだったんじゃないかな」
本当は沙智がどう思っていたかなんて誰にも分からない。でもそれがあたしの心の負担になっている事を砂羽は知って、あたしを慰めてくれた。やっぱり砂羽はあたしの親友だ。
「砂羽は優しいね」
「今頃気付いた?」
「うん。今頃気付いた」
「ひどい」
東京には空がない 帆尊歩 @hosonayumu
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