ぶり大根 完結編【KAC20235『筋肉』】

石束

ぶり大根 完結編【KAC20235『筋肉』】


「村を捨てるほかない」



 ある異世界に、現代世界から転移した転移者たちが暮らす村があった。

 村とそれを取り巻く大地、建物、財貨などを全部まとめて巻き込んだ集団転移だった。

 

 特に理由もない。召喚されたものでもなく。勇者でも魔王でもない。

 死んでいないので帰りたいのだが、帰還方法のアテもない。彼らは自分たちの生活を成り立たせ、帰還方法を探すためにささやかでゆるやかなコミュニティを作り、助け合って生きることにした。

 そんな営みが、ようやく形になってきた頃――


 ある年の冬。

 何故にか、いつにもまして手ごわくなった植物型モンスターの侵攻によって、集落は存続の危機に陥った。


 異世界からの転移者である村人たちは、唯一のよりどころである村を何とか守ろうとしていたが、自警団が砦を放棄せざるを得なくなり、最後の「決断」を迫られていた。

 もとより戦える人間は多くはない。村の境界の柵を破られれば、女子供や年寄りがあつまるこの自治会館も安全ではない。


 しかし、彼らは異世界からの転移者で、現代からの建物や物資がある村から離れては生きてはいけない。


 そもそも村の周囲はすべて、得体のしれないモンスターが闊歩する森。どこへ向かえば人類の生息域があるかすら、わかっていない。

 村を捨てたところで、逃げる場所などどこにもないのだ。


 ――だが、それでも、このまま座して全滅を待つよりは。


 重い沈黙が、集会場を覆う。

 村長的な立場にある長老が再び口を開こうとした時、一人の男が静かに挙手して発言の許可を求めた。


「――あと一つだけ、手がある」


 ――もはや現状を打開できるのは、その男、ただ一人――


 現・花が瀬村自警団戦闘班長。そして、転移前は現役総合格闘家の肩書をもち、近隣の町でジムを開いたばかりだった人物。


 元プロレスラー、千波内蔵助。

 リングコールのキャッチフレーズは「生まれてくる時代を間違えた男」。


◇◆◇


 柔道部に所属した高校時代。体格に恵まれ、おそらくは才能にも恵まれていた千波内蔵助は、その可能性を開花させることなく、三年間を終えた。


 一つは、あまり裕福ではなかった家庭の経済状況。二つには、集団生活に馴染めぬその愚直で融通の利かない、言い換えれば「ノリの悪い」性格。そして最後の三つ目が、共働きの両親に代わって体の弱い妹の世話をしなくてはならないという事情。

 学校が終わるとアルバイトへ行き、帰りに妹が入院する病院に寄って、学校での話をしたり差し入れをしたり、そして洗濯物を持って帰り夜遅く帰ってくる両親のために食事を用意する。


 それが不自由だと、あるいは不幸だと思うことはなかった。日々を過ごすことに精一杯だったし、折々に家族で笑い合えた。だが、どこかで負担と疲労は積み重なっていたのだろう。ふとした事故で父がなくなり、それを追うようにして母が病没。天涯孤独の身となった兄妹は、部品を落としながら空を飛ぶ整備不良の飛行機のような生活を送りながら、なんとか人生を繋いでいく。


 転機が訪れたのは内蔵助が19歳の時。この年、彼は住み込みの練習生を募集していた格闘技系ジムの採用試験をパスしたのだ。

 その結果を今やただ一人の身内となった妹がどれほど喜んだことか。


 内蔵助は骨惜しみをせずに働き、そして得られた環境を利用して、ある意味したたかに自らを鍛え上げた。

 練習台でも、スパーリングでも、やられ役でも、コメディでも、悪役でも、引き立て役でも、噛ませ犬でも。

 ありとあらゆる役目を引き受けた。


 いまだ病と闘う妹に、十全の医療を施すためにも、内蔵助には金が必要だった。

 露出が増えることはショービジネスにおいての絶対の正義。彼はそんな冷徹な視線で自分自身の立ち位置を客観視する。

 武骨な風貌と、玄人好みのストロングスタイル。それでいて、ヒーローに花を持たせる繊細な試合運び。場合よってはずっこけてみせて笑いを誘った。

 師匠を尊び、先輩に尽くし、同僚を励まし、後輩のために心を砕いた。

 自分が不器用であると知るがゆえに、彼は必死に周囲の人間関係に気を使った。

 だから誰もが彼を重宝した。 

 ジムの指導者、経営者、スポンサーの信頼。いつの間にか増えた彼自身のファン。

 十年の苦闘の末、彼は多くのものと、チャンピオンベルトの一つさえも手に入れ、フリーに転向した。


 リングコールの「生まれてくる時代を間違えた男」はひどい皮肉だと思った。


 内蔵助はひそかに自嘲する。プロレスも格闘技もパフォーマンスも好きだ。だけど自分は別に目的があってそれを利用しているだけだ。ファンが望む、戦国時代からやってきたような武骨な自分を演じているだけなのだ。


 体を鍛え上げたのも、技を覚えたのも、ぜんぶ金のため。

 儲けが出るなら、自分が闘う意味もない。だからフリーになってジムを開く。

 鍛えた筋肉も用なしだ。飾りとしても重りとしても、すでに役割を終えている。


 ここからさらに、ジムの経営、メディアへの出演へと進んでいくつもりだった。

 空気が良くて過ごしやすい花が瀬村に『別荘』を用意して妹を移して、何もかもこれからという時――


 ようやく、幸せをつかみかけていた兄と妹は、異世界転移によってすべてを失った。

 

◇◆◇


「――今回の『大根』は手ごわいが、それだけじゃない。決定的に今までと違う。どう考えても集団戦をやってきているとしか思えない」


 色が白く、青い葉っぱのような頭髪らしいものがあり、だいたい円筒形で細い足が生えたような植物系モンスター。


 彼らはそれを仮に『大根』と呼称している。


 集団転移当初に遭遇し、食料の枯渇が問題になっていたのもあり、モンスターを退治して食べるゲームをやったことがある村人の意見で試食を試みた結果「食べることができた」という、花が瀬村の住人にとっては色んな意味で深い因縁と業をもつ『敵』であった。

 厄介なことに常に群れで行動し、採取のために森に入った村人に襲い掛かってくるため、生活圏の維持のためには定期的な駆除が欠かせない。

 しかし、そこまでだった。

 所詮はモンスター。不利なら逃げることも闘って倒すことも出来る敵だった。


――そのはずだった。


 それがこの冬は違った。動きに一貫性があった。

 一斉攻撃をし、情勢を見て一斉に撤退する。そんな規則性ができた。

 それだけではない。

 村から森へ向かう途中に設けられた拠点、通称『砦』の攻防戦では、猛攻を加えられた門を必死に守っているうちに、別部隊に背後をとられたのだ。

 殿を守った内蔵助の奮戦で犠牲はなかったものの、ケガ人が出た。そのうち幾人かはもはや最前線では戦えないくらいのダメージだった。


 この戦況からあきらかなことは、たぶん一つしかない。


「指揮を執っている特殊個体がいる。そいつを誘い出して仕留めれば、おそらくこの大侵攻は終わる」


 ――だから、奴らの勢力圏へ忍び込んでそいつを自分が『釣る』。村の防護柵まで引き付けて、残りの戦力で打倒する。


 内蔵助のその言葉に誰もが納得した時、村人の一人が立ち上がった。


「それじゃだめだ! あいつは、『青首』は千波さんじゃなきゃ倒せない!」


 それは内蔵助がこの撤退戦で一番近くで聞いていた声だった。彼は指揮官である内蔵助の傍にいて、伝令役を務めていた。そして村との連絡をとって、撤退戦の受け入れ状況を整えた立役者でもある。だが、一番の年長とはいえ、まだ子供。


「『青首』を釣るのは俺がやる!」

「ガキの出番じゃねえぞ。だまってろ!」


 再度の主張に勿論譴責の言葉がとぶ、だが、少年は揺るがなかった。


「俺が釣る! 俺が村で一番、足が速い!」


 ――確かな事実。それに付け加えるならとっさの判断と身のこなし。純粋な『戦闘力』の点からもこの人選には異論は出ない。

 内蔵助は内心で一つ、それまでの想定を組み替える。


 ――年長の子供ではなく、一番年下であっても村の『男』か。


「――よかろう」


 長老の断は下った。花が瀬村最終防衛戦の大綱が決したのだ。


◇◆◇


 森の境界から一〇〇歩足らず、絨毯の様に背の低い草が地面を覆っている。本来であれば『大根』どもは自分の縄張りである森からは出てこない。


 だが、この日はやはり違った。大小さまざまな個体が群れをつくって襲ってきた。

 それぞれに簡単なこん棒などの武器を持っているが、中には投石器のようなものを振り回して岩石を飛ばしてくるものもいるし、槍を構えて突っ込んでくるものもいる。

 草原はたちまちそれらの軍に埋め尽くされた。


 村人はあえて前に出ない。柵の内側からこちらも投擲や弓で応戦している。弓は矢をつがえているものもいるが、中には弾弓を使っているものもいる。

 これは実は相手である大根の内、少数のエリート(通称『大根アーチャー』)の武器であった。

 それをなぜ使うかといえば、大根がこちらに打ち込んでくる石などを確保して打ち返すためであった。

 今まで長く戦ってきたからこそ身に着けた技術であり、これから先も戦い続けるために編み出した戦法である。


 投擲の武器の間合いを越えて、敵が踏みんでくると、今度は殴り合いだ。柵を越えようとする大根と、柵の間から攻撃する村人という構図が防衛線のいたるところで展開する。

 一見膠着しているように見える戦線であるが、実のところ双方にそれほど余裕はなかった。

 当然村人は数が少ない。大根は数が多い。柵があるから五分になっているが、士気はあっという間に下がった。とっくに体力的には限界なのだ。

 そして攻め手の大根側はといえば。


「ばらばらだな」と、内蔵助の隣の村人が言った。数こそ最大規模だが、昨日まであった一貫性がない。

 ということは――


「ふっ。やってのけたか」


 内蔵助は一人、防護柵の外へ出た。当然攻撃が集中する。

 だが彼はそれを敢然と迎え撃つ。


 投擲武器をよける。槍をさばく。こん棒を叩き落として、他の個体をなぐる。

 突撃を受け止め、弾き飛ばし。少しずつ前進する。


「どうした! かかってこいよ! おらあ!」


 受けてやろう。向かってこい。叩き潰してやる。

 脳でない、体が命じる。心ではない、血が猛っていた。

 内蔵助は前進する。腕で拳で、足で膝で、打倒しなぎ倒し蹴とばし殴り倒した。

 全身の筋肉が躍動する。興奮が熱を伴って背骨を駆けあがる。


 ――ああ、俺は。こんなにも、戦いが好きだったのか!


 モンスターの渦の中心で拳を振るい続ける内蔵助の耳に、森の方向、モンスターの群れを貫くようにして、声が聞こえる。


「千波さんっ! 釣ってきたぞーっつ」

 その声を待ちわびていた。

「でかした! 健太っ!」


 見慣れた小さな体の向こう、怒りに我を忘れた巨大で白い影。

 全身の上部4分の一までが鮮やかに青い特殊個体――通称『青首』だった。


 内蔵助の上腕二頭筋が膨れ上がった。

 あえて、肘を曲げて腕が振り上げられる。

 アナウンサーが「マサカリ」と譬えた腕が、すれ違いざま『青首』の首のあたりをとらえて――そのまま、地面にたたきつけた。


 一撃、必殺。

 渾身の、全身全霊の、カウンターラリアット。

 

 村を壊滅の際まで追い詰めた特殊個体『青首』を、男は、ただ一合で切って落とした。


 内蔵助は、天高く人差し指を突き上げて雄たけびをあげた。現役時代にも記憶がない程の、渾身の雄たけびだった。


『生まれてきた時代を間違えた男』に、いま、『世界』が追いついた。


◇◆◇



「――とまあ、今年の『大根』は結構大変だったわけだ」

「へいへい。悪かったよ。留守して、さ」


 村の真ん中あたり、自治会館の向かい側。

 コミュニティというかいつの間にか村を超えて宿場町ぽくなってしまった彼らの集落の中央の、なんとなく居酒屋っぽい店。

 カウンターを挟んだ向こうで、地元青年団のまとめ役的立場の枡居寛治が肩をすくめた。


「見たかったなあ。千波さんの雄たけび。俺が高校ん時はチケット即完で手に入らなくて、一度も生でみてなかったんだよ。ここじゃテレビもないしさ」


 ほい。おまち。の一言とともに内蔵助の前に深鉢の料理が置かれた。

 ぶ厚いぶりの切り身と、透明な琥珀色に輝く――大根。

 あまい醤油の匂い、しょうがとゆずの香り、食欲中枢を刺激どころか殴ってくる感じだ。


「ぶり大根、か」


 感慨にふけるのも一瞬、箸を差し入れて大根を割る。すっとはいって、心地よい弾力が返ってきた。

「……」

 口に含む――甘い。砂糖の甘味ではない、甘いとしか表現できない、多幸感が舌を通じて脳を焼く。


「うまい!」

「へへ、そりゃどうも」


 寛治は笑って、次の作業に取り掛かった。

 竹製の鬼おろしで、大根をすり下ろし始める。――大根おろしだ。

 すぐにどんぶり一杯くらいの大根おろしになったが、そこで寛治は作業を眺めている内蔵助の視線に気づいた。


「千波さん、食べるかい?」


 みずみずしく真っ白い大根ろしだ。焼いたブリや一緒にとらえてきたサバ用のものと見えたが、内蔵助も大根おろしは嫌いではない。


「おう。いいな貰おうかな」などと軽く言って小鉢にとりわけ、すすったところ

「――っ」

 脳までしびれる辛みが来た。我が意を得たりと寛治がわらった。


「おろしたばっかは辛いんだよ」


 大根おろしが辛いのは、アリルイソチオシアネートという物質によるものだ。

 だが大根には元々この成分が存在しない。すりおろした際に細胞が壊れる事でおきる化学反応によって、生成される。

 細胞を破壊しないようにゆっくりすり下ろすか、それ自体が揮発性の物質なのでしばらく置いておけば辛みは飛ぶ。


「『俺たちは辛くてまずいんだぞー』て捕食者に思わせて、食う気をなくさせるためだとか、なんとか。俺も聞きかじりなんだけどね」


 自らの死によって生まれる物質によって、己を食らおうとするものに味覚を通じて一撃を加え、もって捕食者をして同胞を狙う意思を失せしめさせんとする――か。


「なるほど」といって、内蔵助はどんぶりを掴んだ。そこにはたった今寛治がすり下ろした大根おろしが山になっている。


「お、おい。千波さん……」


 ず、ずずずーっ――

 驚いたことに内蔵助は一息にこれを飲み干して、当たり前だが「……ぐうっ」とこめかみを押さえてうつむいた。


「あーあーあー もう。俺は言ったよ? 辛いんだってば」


 辛かった。口だけではない。全身がしびれるほどに辛かった。

 これが奴らの意志の表れであるとするならば――ならば。

 ふ。と彼は笑った。ああ、だとすれば


「……俺の血や肉は、どんな味がするんだろうな」


 その言葉は喧騒に掻き消えて誰の声にも聞こえなかった。

 千波内蔵助は目の高さにどんぶりを掲げた。


 願わくば、我が血肉の、しびれるまでに辛くあらんことを。


『花が瀬村最強の男』は、にやりと不敵に笑った。





補遺


 ぶり大根の「大根編」完結。

 三年前にブリを獲りに行って本日ようやくぶり大根ができました。

 ……これを書ききるのに、三年かかりました(笑)


 

 

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