魔法使いの弟子と健康ダイエット

葛瀬 秋奈

第1話

 今日の私にはある目的があった。その目的を達成するべく、私は店の棚を整理するふりをしてレジカウンターの奥に座る師匠の様子をうかがった。


 男性にしては長い銀髪と紫の瞳を持つ、私の師匠は魔法使いだ。今はお客さんがいないので本を読んでいる。文庫サイズだからたぶん娯楽用の文芸作品だろう。暇そうではあるが機嫌はそんなに悪くない。つまり、頼み事をするなら今がチャンス。


「僕に何か言いたいことでもあるのか?」


 よし、と意を決して話しかけようとしたところで向こうから話しかけられた。動揺してよろけた拍子に手を棚にぶつけてしまう。痛い。


「おい、大丈夫か?」

「商品は無事です……というか、気づいていらっしゃったんですね」

「あれだけ挙動不審なら気づかないほうがおかしいぞ。それで、どうした」

「いえ、その……」


 なんと切り出したらよいものか迷っていると、ベルの音と共に扉が開いてお客さんが入ってきた。


「いらっしゃいませ!」


 私と師匠の声が重なる。入ってきたお客さんは眼鏡をかけたサラリーマン風の男性で、私の横を通り過ぎてまっすぐに師匠のところへ向かった。


「頼んでたもの、ありますか?」

「はい、水木さんね。今日くると思ってちゃんと用意してありますよ」

「ああ良かった。どうしても明日必要なんだ」

「余計なお世話でしょうが、くれぐれも公式試合では使わないように。ドーピングになるので」

「明日の大一番さえ乗り切れればいいんです。ありがとう。やっぱりここのが一番効くから」

「そりゃどうも。うちは一応雑貨屋なんですけどね」


 師匠が小さな紙袋を手渡すとお客さんは大変感謝しながらお金を払って出ていった。遠目にチラッと見た感じでも結構大金だった。


「ヤバいお薬じゃありませんよね?」

「お前は自分の師匠をなんだと思ってるんだ。ただの筋肉増強剤だよ」

「あの人、サラリーマンに見えて実はアスリートだったりするんですか」


 ぱっと見は増強する筋肉があるのかすら怪しいヒョロガリ体形だったが、マラソンランナーとかならあり得るかもしれない。


「いや、相撲でライバルに勝ちたいんだと。河童だからね」

「河童……河童?」

「気づかなかったのかい。河童の一族は総じてひょろっとした痩せぎすなんだけど、相撲はその辺の人間よりずっと強いんだ」

「……なるほど」


 なんとなく為になる話だった。が、それはそれとして。


「師匠、その筋肉増強剤を私にも分けていただけませんか」

「……理由によるな」

「もちろん筋肉をつけたいからです」

「豆でも食ってろ」


 辛辣すぎる。こっちはボケてるわけじゃなくて大真面目なのに。


「言っておくがこの薬は一時的なものだし副作用でひどい筋肉痛になるんだぞ。成長期に使うもんじゃない」

「じゃあ、それ以外でてっとり早く筋肉つける方法を教えてください」

「このマグカップなんかどうだ。願いが叶う」

「それって飲み物注ぐと妖精が出てきて契約結ばされるヤツですよね」

「そのレプリカだがな」

「真面目に相手してくださいよ!」

「だから豆でも食ってろって言っただろうが。だいたい、なんで筋肉なんか欲しがるんだ」

「……筋肉量が増えると痩せやすくなると聞いたので」

「あー……つまり、ダイエットしたいのか」


 師匠はものすごーく嫌そうに深いため息をついた。


「師匠にはわかりませんよね。師匠と同じ食事のはずなのに一ヶ月で2kgも増えてしまった私の気持ちなんて、何年経っても容貌の変わらない師匠にはわかりませんよね」

「わかった。いや、はっきり言ってダイエットの必要性を感じないし共感はできないがお前が追い詰められてるのはわかった。というか年齢も性別も違う相手と比較して勝手に絶望するのはやめろ」

「その程度でそんなに変わりますか?」

「基礎代謝が違うからな。だから、まず体質改善用の特製ハーブティーを朝夕に飲む」

「ふむふむ」

「それから、食事を制限する。寝室に使い魔をおいて夜更かしもしないようにする。運動と勉強の量も増やしたほうがいいな。しばらく店番しなくていいからその分は運動に回せ」

「……あの、そこまでは頼んでませんが」

「体重が戻るまで八つ当たりされるなら僕が監督してお前の生活を徹底管理するほうが早い。一ヶ月もすれば元通りだ。安心しろ、僕がついてるぞ」


 だからそれが嫌なんですよという私の心の叫びは、当然ながら届かなかった。


 それから一ヶ月後。体重は師匠の宣言通り一ヶ月で増えた分──つまり2kgが綺麗に消えて二ヶ月前の数値に戻っていた。


「なんというか、健康的な数字ですね」

「僕は健全な魔法使いだからな」


 (了)

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