でぶ

香久山 ゆみ

でぶ

「……99、100! 先生、すごいじゃん。先週は腕立て10回でへばってたのに、成長したねえ」

 弟子が言う。俺が汗水流してトレーニングに励む隣で、涼しい顔して長い黒髪を靡かせている。

「ほら、お腹もちょっと引っ込んだんじゃない」

「……」

 俺は一言も体形を気にしているなんて言ったことはないのだが。たんに筋力をつけるためにトレーニングしているつもりなのに、そう言われると多少気になるし、傷つく。

「太るのも生きてる証拠だよ。あたしは全然太らないから羨ましいよ」

 ワンピースから細い腕を伸ばして言う。「太りたいなー」だなんて、嫌味にも聞こえる。そもそも彼女は食べないから太らないのだ。 

 プロテインを飲み、トイレ休憩してから、再び黙々とスクワットを始める。CMが明けたのか、彼女はもう恋愛ドラマに夢中だ。俺はトレーニングに集中する。

 男には、負けられない戦いがある。


「息子が長らくひきこもっているのは霊のせいに違いないから、何とかしてほしい」

 そんなとんちんかんな依頼を、依頼者である母親から半ば強引に押し切られて、引き受けることになったのが、先週のこと。俺の仕事は幽霊関係が専門であり、ひきこもりは専門外であるのだが。

 とりあえず本人を部屋から出せばいいということで、お宅訪問した。とっとと引っ張り出して、母子ともにしっかり現実と向き合ってもらおう。

 息子の部屋の前に案内される。

「おーい、部屋から出てこいよ。お母さんも心配しているぞ」

 ドアの外から声を掛けるも、「知るかよ」とにべもない返事。しばらく説得を試みたが、当然出てくるはずもない。

「開けるぞ」

 一応、宣言してからドアノブに手を掛ける。廊下では、エプロン姿の母親と、万年白いワンピース姿の我が弟子が、固唾を飲んで見守っている。

 ぐっと、外開きのドアを引く。

 開かない。

 ぐっ、ぐっ。開かない。

「あれ?」

 鍵掛かってます? 母親に視線を送ると、静かに首を横に振った。だよな。ドアノブに鍵穴はないし、初手で一瞬わずかながらドアを引いた手応えがあったから、掛け金をしているとも考えられない。外開きなので、内側からバリケードで塞ぐこともできない。となると、答えは一つだ。

「くっくっくっ」

 ドアのすぐ向こうから笑い声がする。やはり。

「霊能探偵なんて軟弱な奴にこのドアを開けさせるかよ」

 ドアが部屋側にがっちり引かれる手応え。部屋の内側から息子がドアノブを掴んで引いているらしい。

「お前こそ、数ヶ月もひきこもってたら、デブになるぞ」

「なっ。オレは出不精なだけだ。デブでもねえ。ちゃんと鍛えてるっつーの。ばーか」

 高校生だと聞いているが、幼い物言いだ。どうせ部屋に籠って、ゲーム三昧でスナック菓子を暴飲暴食しているに違いない。そのウェイトでドアが開くのを防いでいるのだろう。「うわー先生、力負けしてるからって、すごい偏見」心の声が漏れていたのか、弟子が俺に白い眼を向ける。

「大人を舐めるなよ」

 ぐっ! と渾身の力を込めてノブを引くも、微動だにしない。

 ぐい、ぐいっ。何度かチャレンジするも、もはや動く気さえしない。

「くそっ。また来るからな」

 そんな捨て台詞を吐いて、依頼者宅をあとにした。

 それから一週間、俺は鍛え続けている。筋肉がすべてを解決する。

 そうして臨む、因縁の二戦目。再び俺は奴の部屋の前に立った。これは男同士の戦いだからついて来なくていいと言ったのに、弟子もついてきた。

「来たぞ」

「また来たのか」

 締め切ったドアのすぐ向こうから息子の声がする。奴もすでに臨戦態勢のようだ。

 鍵のない部屋だが、不意打ちのような真似はしたくなかった。思春期の少年の部屋に押し入ったところで、事態が余計にこじれるのは火を見るより明らかだ。

「いくぞ」

「おう」

 ドアノブを握ると、向こう側からも握り返す手応えがある。

 ぐっとノブを引く。わずかにドアが動くが、すぐに引き返される。引く、引き返す。引く、引き返す。一進一退の攻防が続く。持久戦になりそうだ。

「どうして学校も行かず、ひきこもっているんだ」

 このまま説得を試みることにした。

「母さんから聞いたんじゃないのかよ」

「ああ、聞いたさ。だけど、幽霊のせいでひきこもるなんて、聞いたことねえよ。つくならもっとましな嘘にしろよ」

 そう言うと、相手の力が弱まり、ぐっとドアが引けた。片足が入りそうなくらい。しかし、すぐにぐいっと引き戻され、バタンとドアが閉じる。

「……嘘じゃねえよ……」

 少年の掠れた声が聞こえたあと、ぐっとノブに力を込めたのが伝わってきた。しまった、完全に心も閉ざしてしまった。ドアを引くも、もう開きそうな気配もない。それでも引き続ける。びくともしない。彼は、最後に吐き捨てるように言った。

「幽霊が出るから学校に行けねえんだよ。通学のバス停に、女の幽霊が」

 その言葉を聞き、俺は弟子を振り返ったが、そこに彼女はいなかった。

「う、うわああ~」

 代わりに、部屋から情けない悲鳴が聞こえ、先程から引き続けてもびくともしなかったドアの手応えがなくなり、込めていた力のまま勢いよくドアが開き、勢い余った俺は廊下に引っくり返った。

 いてて。顔を上げると、ドアは全開で、部屋の入口には高校生とは思えぬ屈強な男がいる。「息子はラグビーをやっているんです」脇から母親が誇らしげに補足する。ひきこもり中もトレーニングは怠っていないらしい。しかし、その屈強なラガーマンは腰を抜かして青い顔をしている。その視線の先には、我が弟子の姿があった。壁から上半身を出して、下半身は壁を挟んで廊下に残っている。

「ねえ。その幽霊って、あたしのことだよね?」

 長い黒髪に白いワンピースを着た女幽霊がにこっと笑った。


「オレ、昔から幽霊が視えるんだけどさ、自分の生活に関わる場所で、あんな近くで視るのは初めてで。しばらく視ない振りしてたんだけど、毎日いるし、恐怖感とか寒気とかもう堪らなくなって、学校行けなくなったんだ」

 新学期になったらあのバス停も撤去されるって聞いたから、それまでの間だけ休むつもりで……。と、大きな体の彼は小さな声で言った。まさか、本当に幽霊が原因でひきこもっていたとは。怖さの欠片もない女幽霊は、俺の隣で「なんかごめんね、えへへ」と笑っている。

 少年の部屋で話を聞いている。カーペットの上に置いた盆には、母親が持ってきてくれたオレンジジュースのコップと、シュークリームが二人分載っている。母親には弟子が視えていないようだ。

 我が弟子は、もともとバス停の地縛霊だった。先月から、バス停を離れて俺に憑いている。少年は、ひきこもりの理由を母親には話したものの、級友には話さなかったのだろう。「幽霊が怖いから学校を休む」だなんて、格好悪くて男友達に言えない。だから、級友達から、すでに幽霊がいなくなったという情報が回ってくることもなかったのだろう。

「なあ、それって本当に幽霊なの?」

 少年が弟子をまじまじと見つめる。

「いやん、そんなに見ないでよ。照れちゃう」

 弟子が色気のないしなを作る。俺は溜息をついて答える。

「ああ。こんなうるさい幽霊、視たことないだろ」

「……え。やっぱりあんた、この幽霊と喋れるの?」

 少年が驚いたような視線を、俺と弟子に向ける。俺も驚いている。

「え。お前には、こいつの声が聞こえないのか?」

 尋ねると、少年がこくこくと頷く。

「オレ、昔から幽霊視えるけど、視えるだけで、声とか聞いたことない。それ……その人も、ぱくぱく口動かしてるけど、何言ってんのかは分からない」

 そう言いつつも、少年は付け足した。「けどオレも、こんなにはっきり視えて、ころころ表情が変わる幽霊は、初めてだ」

「俺だって、ふつうはただ視えるだけさ。こいつが特別なんだ」

 二人分の視線を受けて、彼女はでへへと舌を出して笑う。緊張感のない奴だ。彼は物心ついた時から視えていたらしいので、視えることに関しては俺より年季が入っている。そんな彼が、彼女の存在はやはり異質だと言っている。

「オレ、昔一度だけ自分以外で視える人に会ったことがあって、その人が言っていたんだけど」

 少年がぽつりと言う。

「ふつうと違うものには、何か理由があるんだって。たとえば、い……」

 と言い掛けて、言葉を止めた。「それ、オレんだから」と、弟子がそろりと伸ばした手をかわして、シュークリームを奪取して口に詰め込む。「あー……」弟子が悲哀に満ちた声を出すが、どうせお前は食べられないだろ。そう思ったが、チワワのような涙目がさすがに哀れで、お供えのように彼女の前にシュークリームの皿を置いたら、喜んでいる。

「へんな奴……」

 その様子に、少年が呆れたように呟いた。

 俺は、彼が先程ことばを飲み込んでくれたことに感謝していた。さすが心優しきマッスル。

 ――ふつうと違うものには、理由がある。――

 彼は、そう言い掛けて、やめた。それが、とても残酷な推測だからだ。

 死んだと思っていたが、実はまだ自分は生きているかもしれない。そんな希望を与えておきながら、結果、そうでなかったとしたら? その時の絶望は計り知れない。そうして、そんな思いを抱えた霊がどうなってしまうのか……。

 彼女が生霊かもしれないということは、俺も考えた。

 知人の協力も得て、彼女の身元を当たった。けれど、一ヶ月かけて調査しても、彼女については何も分からなかった。

 生霊にせよ、死霊にせよ、ふつうとは違うものに成るだけの「何か」があるはずだ。それが、恨みや憎しみなどの怨念である可能性は高い。

 けれど、今はただ、お喋りでお節介で、無邪気な彼女の笑顔を信じるしかない。

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