後編

          ◯

 マツモトは神父を礼拝堂に呼び出して写真と資料を見せつけた。

 そこには、神父が人攫いから子供を受け取る写真や、人身売買をしていた証拠。子供たちに性的な暴行を日常的に加えていた証拠などが全て示されていた。

 

 神父はそれを確認して顔を青くした。震える声で言う。

 

「何が、目的なのかね?」

 

「リリを貰いたい。保護権だか何だか知らないが、俺がリリの保護者になれるようにしてくれれば良い。そしたら俺は暴露をしない」

 

「そんなのお安い御用だとも、リリは厄介者でね。買い手もつかないし、世話も面倒だし、容姿が気に入って受け入れたが、

私の相手をさせるにもあの身体じゃあ──……」

  

 マツモトは隠し持っていたナイフを素早く取り出し、目にも止まらぬ速さで神父の右手に突き刺した。神父はぎゃあっと悲鳴を上げたが、マツモトが体を拘束し、さらに手で口を抑えた。

 

「それ以上くだらない事を話すな、耳が腐る。口をナイフで切り取られたくなければ、黙って従えば良い。俺も黙ってここを出て行く」

 

神父は怯えたような目でマツモトを見ながらうなづいている。マツモトは神父を離した。

 

「すぐにやれ。いいな」

 

「分かったとも、乱暴はよしてくれ」

 

 マツモトは神父に釘をさして礼拝堂を後にした。神父がその時、マツモトを呪い殺さんばかりに睨んでいた事には気がつかなかった。

 

          ◯

 マツモトは翌日、町に出て旅の支度を始めた。空港までは自力で向かわねばならない。車椅子のリリを連れての旅だ。車を今すぐに用意するのは難しいし、殺し屋時代の銀行口座を使うのは足が残るリスクがある。金庫番に連絡しても返事までは数日かかるだろう。

 必要な道具を少ない資金で何とか調達し終えたマツモトは、帰路を急いだ。リリに旅の事を話さねば。今日の散歩にも連れて行かないといけない。ほとんど走って教会を目指していた。

 

 

 教会に到着して、マツモトはすぐに違和感を覚えた。見覚えのない車が四台も教会の前に停まっていたからだ。それにやけに静かだ。この時間は子供たちが庭で遊んでいるはずなのにだ。

 理由はすぐに分かった。元雇い主のマフィアたちが来たに違いない。車を調べると、奴らの組織の構成員の証である紋章が刻印されていた。

 マツモトの動悸が鐘のように激しくなった。リリはどうなった? 子供たちや神父は?

 

 マツモトは教会の裏口に周り、見張りを一人始末すると中へ入った。そして、凄惨な状態を目の当たりにした。

 

 そこは血の海だった。子供たちやシスターたちの遺体がそこかしこに放置されていた。所々に争った後や弾痕が残っている。しかしリリは見当たらない。リリはどうなったんだ。

 何故か分からないが、遺体や荒れ果てた教会を目に焼き付けるたびに激しく怒りを覚えた。

 マツモトはリリの部屋を目指しつつ、ここを襲ったマフィアを一人ずつ始末していった。途中、ナイフで刺され、肩を銃で撃たれたが彼は止まらなかった。傷の痛みよりも胸の苦しみの方が遥かに大きい。

 

 十人以上も相手をし、全て殺してやっとリリの部屋まで辿りついた。

 扉を開けると、ベッドから落ちたリリが部屋の窓際の壁に寄りかかる様に座っていた。逃げようとしていたらしい。彼女はマツモトに気づいて微笑んだ。

 

「どこ行ってたの、こんな大変な時に。とても怖かったんだから」

 

リリが弱々しくそう言うと、マツモトはすぐに駆け寄った。そして座る彼女の身体を支えた。

 

「神父だ、あいつの遺体はどこにもなかった。奴が俺を殺す為にマフィアに垂れ込んだに違いない。だが俺がいないからその腹いせに……こんな……こんな」

 

 マツモトは自分が泣いている事に驚いた。なぜ泣いているんだ。すると、リリは震える手でマツモトの涙を拭った。

 

「優しいから。本当は、優しかったんだと思う。私を見捨てなかった。話を聞いてくれた。外に連れ出してくれた。そして、最後には話してくれたわ。殺し屋だったけど、優しかった。それが貴方」

 

「リリ、そうだ。俺は殺し屋だ。ガキの頃からそうしないと生きていけなかった。でももう違う。君が教えてくれた。散歩したのは初めてだった。湖のほとりで風を浴びて季節を感じた事なんてなかった。殺すのも生きるのも怖くなったのは初めてだ。君のおかげなんだよ」

 

 マツモトがそう言うと、リリは微笑む事で答えた。そして、震える手は力無く落ちた。マツモトの顔にはべったりと残る。

 

「そんな、リリ……」

 

リリの腰の辺りから血が滴っていた。既に撃たれていたらしい。リリの顔から生気が少しずつ失われていく。

 リリはもう一度、震える両手でマツモトの顔に優しく触れた。

 

「まだ、間に合うから。私を殺してマツモト」

 

「嫌だ、君は生きたいと言ってたじゃないか」

 

「そうだけど、お願いよ。私を誰かも知らない暴漢なんかに殺させないで。なら貴方に殺してほしいの。動かないくせに血ばかり出て役立たずなんだから……私を、解放して」

 

「駄目だ、俺にはできない。もう殺せない」

 

「殺すんじゃなくて、救って」

 

 リリの言葉にマツモトはそれ以上何も言わず、両手をリリの細い首へもっていって掴んでみた。力を入れれば簡単に壊れてしまいそうに感じた。

 マツモトに両手で首を掴まれたリリは掠れた声で言った。

 

「その調子よ。私は身体から解放されて自由に、なる。日本で会いましょう、マツモト。桜を見たいの」

 

「ああ、桜を見よう。君が自由になったらまた一緒に出かけたいんだ」

 

「もちろんよ、楽しみだわ」

 

 リリは微笑んだ。マツモトも笑う。

 

「それから海も良いかもな、ほらこの町に海は無いから。君は前に見たいと言ってただろ」

 

「あと山にも登ろう。紅葉を見せてやりたいんだ。すごく綺麗だぞ」

 

「ピクニックに行こう、サンドイッチを作ってくれ。俺は料理が下手だから」

 

「全て行きたい場所に行った後は、二人で静かに暮らそう。誰も俺たちを知らない土地で静かに。なあ、リリ」

 

マツモトは震える声で言葉を続けた。

 

「どうして答えないんだ。俺がやっと、自分から話しているんだぜ。俺の話を聞きたがっていたじゃないか。なあ、返事をしてくれ。頼む……リリ」

 

 リリの手はとっくに地面に落ちていた。その表情は穏やかで、開かれた瞳はずっとマツモトを見つめている。

 マツモトはリリの瞼を優しく閉じてやった。彼女の首には痕一つ残っていない。マツモトは結局、首を絞める事は出来なかったのだ。

 彼女の最後の願いも叶えられず、最後に見た世界は自分。本当にそれで良かったのか。マツモトはまた悲しくなり、声を上げて泣いた。

 

 

          ◯

          

 神父はここまで語り、また桜の木を眺めた。

 

「マツモトにとって筋肉とは『武器』だった。鍛える度に強くなりそれは人を殺す為に磨いたもの。そして、リリにとっては『檻』。彼女の美しい精神や心を縛る牢獄でした。マツモトはきっと後悔したでしょう。何故、自分だけが自由になったのだろう、と」

 

景虎は一呼吸おいて、「逃げた神父は?」と聞いた。

 

「ああ、彼は──……」


 ────。


 神父はコートで身を隠しながら、町を出ようと足速に歩いていた。まさかあの男が殺し屋で、しかもマフィアに命を狙われていたとは。人身売買にやってくる業者に聞いたらすぐに判明したのだ。因果応報というものか、殺しまくった人間は最後には殺されて終わる。神父はほくそ笑んでいた。

 その時だった。神父は男とぶつかった。酔っ払いの様だった。手には酒瓶を持っていた。

 神父は怒鳴った。

 

「気をつけたまえ。愚かな社会のクズめ。私は神に仕える使徒だぞ」

 

「うるせえ、俺を馬鹿にするんじゃねえ、どいつもこいつもよ、俺を馬鹿にしやがって」

 

男も怒鳴り返してきた。しかもその異様な雰囲気はとてもまともとは思えない。

 神父は慌てて「落ち着け」と繰り返し言ったが、気づいた時には酒瓶で頭を殴られていた。

 

 ────。


「神父は死に、その男…リリの父親はその場で駆けつけた警官に射殺された。罪人も罪なき人も、みな死んだ。生き残ったのは殺し屋だけです」

 

「……そうか」

 

「私が思うに、身体や筋肉というものは単なる器なのではないでしょうか。そこに宿る魂や心というもの、精神が気高くあれば美しく輝く。彼女の様に。それが大事なのではないかと思います」

 

 景虎も同じように桜を眺めてみた。ただの器、筋肉は時に武器になり人を傷つけ、時に檻となり精神を縛る。だが、与えられた単なる器に過ぎない。どう付き合い、どう使うかはその人次第という事なのか。

 

「答えを出すのは無理でしょうね。私でさえ、あの時から何十年も答えを出せておりません」

 

「あの時? あんたの知り合いの殺し屋の話じゃなかったのか?」

 

景虎が笑うと、神父も困ったように笑った。

 

「ええ、そうですとも。私の知り合いの殺し屋の話です。もうかれこれ、何十年も彼には会っていません」

 

「俺もいつかその殺し屋に会えるかな、聞いてみたいんだよ。桜は見れたのか、って」

 

景虎に言われ、神父は視線を落とし両手を眺めた。傷だらけで、皺がれた手だ。「あの時」の感触を今も忘れていない。

 

「私が思うに、彼はうなづいて言うでしょうね。“彼女も一緒に”とね」

 

「それだけ聞けたら充分だよ」

 

 大きく伸びをして景虎はベンチから立った。すると、神父は優しく声をかける。

 

「私はこれからも貴方の武器を作りますよ、景虎さん。貴方の武器は人を救うものだと信じていますから。筋肉も武器も、使い方、使う者次第ですから」

 

「大袈裟な言い方だな、荷が重いぜ」

 

景虎は振り返って頭を掻いた。神父の方はまだベンチから立たない。もう少しここで「彼女」と語らうのだろうか。

 微笑みながら神父は言った。

 

「ええ、期待しています。

 もうお帰りですか?」

 

「ああ、話してくれてありがとう。今日は帰るよ。また話しに来るから」

 

 景虎は桜と神父に見送られながら教会を後にした。

 

 使い方次第、それはただの器。

 俺は多分、上等な器を神に与えられたのだろう。その証拠に、無茶はしてるが今も大病も大怪我も何ともなく無事に日々を過ごせている。

 ならば、幸運にも、極めて健康で強い「器」を授かった俺は、何を成すべきなんだ。少なくともその器に相応しい気高い精神で在るべきなのかも知れない。

 

 景虎はふと街を見てみたくなり、少し散歩に出かけた。




KAC2023お題⑤『筋肉』

────「ただの器」完

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ただの器 星野道雄 @star-lord

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