小説というかエッセイというか只の独り言

かみまみた

第1話 修羅場2009

誰しも一度は修羅場と呼べるような出来事を経験したことがあるあろう。

なにも今現在の僕が修羅場の渦中に直面しているから、このような書き出しになっているわけではない。修羅場はいつだって突如として僕たちの眼前に訪れるものであり、台風のように気づけば過ぎ去っていくものでもある。

 先日、終電間際の新宿駅で、周りの目も気にせず激しい口論を繰り広げる若いカップルを目撃した。男は連れの女に対し、「お前のそういう性格に吐き気がする」などと言い放ち、一方で女の方は闘牛のように鼻息を荒くし、思いっきり男の頬に平手打ちを食らわせていた。

あまりにも混沌としたカップルに仲裁の手を差し伸べられる人間はその場にはおらず、口論は次第に過激さを増していき、最後には、地面に両手をついて咽び泣く女を残し、男は歌舞伎町方面へと消えていく始末だった。

このカップルにとって今回の出来事はおそらくかなりの修羅場であったに違いないし、それを目撃した僕たち傍観者もこれを修羅場と認めずにはいられなかったと思う。

そんな修羅場に立ち会った僕は、そういえば過去に自分の身に起きた修羅場はどのようなものだっただろうかと記憶の綱を手繰り寄せてみた。

 

 昔、転勤の多かった父の仕事の都合でタイのバンコクに住んでいたことがあった。

タイには「ソンクラン」と呼ばれるお祭りが毎年4月に開催される。

簡潔にお祭りの概要を説明すると、ソンクランの時期には国中の人々が水鉄砲やらバケツやらを手に持ち、見ず知らずの人間たちと水を掛け合うという、冷静になって考えると意味のわからない慣例行事である。

元々は仏像や仏塔、年長者に水をかけてお清めを行っていたことが起源ではあるそうだが、いつしか行事はアグレッシブな方向へと変化していったようだ。

小学生だった当時の僕にとって、祭りの起源などどうでもよく、とにかく視界に入る人間に容赦なく放水して祭りを存分に楽しんでいた。(その様子たるや、猟奇殺人鬼そのものだったに違いない。)

小学校4年の頃だっただろうか、待ちわびていたソンクランの時期を迎え、例によって友人と水鉄砲を装備して街に繰り出した。

スーツを着た男性や車道を走る自転車、屋台を営むおっちゃんに水をかけ、文字通りケタケタと笑い楽しんでいたのだが、僕はとんでもない過ちを犯すこととなる。

日も沈み、そろそろ引き上げようかと友人と話していた時のことだ。

目の前を一台のバイクが通過しようとしていた。

僕は動くものには反射的に水をかけてしまうほど祭りに脳が支配されていたため、躊躇いもなくそのバイク目掛けて放水した。水は美しい放物線を描き、バイクに命中した。

次の瞬間、水をかぶったバイクの運転手は急ブレーキを踏み、近くに立てかけてあった鉄パイプを手に取って僕を追いかけてきた。

近くにいたタイ人の男性は、僕を庇おうとして仲裁を試みたが、鉄パイプは容赦なく仲裁者の頭上に振り下ろされた。

初めて人間が頭から血を流す残酷な様子を目の当たりにしそれまで盛大に盛り上がっていた僕の中のお祭りムードは、せっせと作った砂の城が波に飲み込まれるように消え失せていった。

僕は友人と腕をブンブンと振り、なんとか自宅まで逃げ切ることに成功した。


 今思えば、僕の人生の中でもトップ5に入るくらい、ソンクランの出来事は歴とした修羅場だったと思う。

いたいけな日本人少年を救おうとして怪我を負ったあの不幸な仲裁者は無事だったのだろうか。あれから20年近くが経つが、毎年4月になると僕は今でもふと彼のことを思い出してしまう。

当時僕の招いた修羅場は、大人になった今でも完全に水に流せていないようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小説というかエッセイというか只の独り言 かみまみた @kamimamita0618

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る