男の筋肉(筋肉視点のお話)

水定ゆう

第1話

 男は体を鍛えていた。

 毎日のようにジムに通い、三時間みっちり体を酷使した。


 筋肉達は悲鳴を上げ、その度に壊れた。

 しかし一つずつ、着実に成長していた。


 しかし男には悩みがあった。

 それは最近彼女と別れたことだった。

 付き合ってから二年は経った。しかしちょっとした理由から口論になり、自然と消滅してしまった。


 その原因こそ、まさにこの筋肉にあった。


「おいおい元気出せよ。彼女と別れたからってそんな落ち込むなって」

「そうだよ。見る目がなかったんだよ」


 大胸筋が男を励ました。

 しかし男には届かない。

 当然だ、筋肉は言葉を交わさない。


「はぁ。ほんと分かってないよな」

「そうだよ。ずっと彼女を守るために体を鍛えてたのにね」


 男は無骨な性格だった。

 彼女を守るために体を鍛える。万が一に備えて常に体を鍛えることに執着していた。


 しかしそれが彼女を一人にさせてしまった。

 そのせいで、筋肉を見せることもなく男は一人ぼっちになってしまった。


「まあ仕方ないではないか」

「「ファーザー!」」


 大胸筋兄弟は叫んだ。

 背筋父さんが語りかけてきたのだ。


「我々がここまで引き締まったのはこの男の努力故。我々はこの男の最善を尽くした。その結果でしかない。この男の行く末はこの男にしか測れるのだ」

「そうだけどよ」

「何だか可哀想だよ」


 筋肉達は男の武器だ。

 男の成果と言っても良いが、それがこうしてマイナス面に働くとは思ってもみなかった。


「時を待つしかない」

「「そうだけど」」


 そんなの時だった。

 突然男の視線が移動した。

 ビルを睨みつけ、灰色の煙が噴き上がっていた。


「コレってやばくね?」

「人間の世界でいう火事だよね?」


 女の悲鳴が上がった。

 如何やら取り残されてしまったようで、消防車も到着していない。


 このままではマズい。

 そう思った男は体が自然と動き出した。


「おっ、行くのか!」

「そうだ。今こそ我らが活躍の時。皆、行くぞ!」


 背筋が呼び掛けた。

 男は女の真下に向かうと飛ぶように叫ぶ。


 このままでは火に飲み込まれる。

 女は飛んだ。

 男は全身を使って女を救助した。


「うおっ、コレやべぇ!」

「い、痛い……」

「皆、固まれ!」


 筋肉達が叫んだ。

 男は悲鳴を上げそうになる体を押し殺し、女を救った。


 頬が赤く染め上がり、男のことを見ていた。

 恐怖から救われた喜びが女の心を掻き立てた。


「おっ、この展開は!」

「良かったな」


 大胸筋兄弟が喜んだ。

 背筋父さんも「うむ」と訴えた。


 男にも春がきた。

 かなり早い春だと感心したが、一つ問題もあった。


「は、早く下ろしてくれ」

「頼む。もう限界だ!」

「く、苦しい……」

「もう駄目だ」


 両膝が悲鳴を上げた。

 太腿も脹脛も死にそうになり、母指と踵が地獄を見た。


 男の筋肉もまだまだ発展途上だった。

 それもそのはず男は鍛え方を待ち構えていた。

 上半身だけ集中的に鍛えていたのだから。

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男の筋肉(筋肉視点のお話) 水定ゆう @mizusadayou

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