天狐の頼み

彩霞

一年前

 木々の葉が青々と生い茂り、そこらで蝉の鳴き声が聞こえてくる。そんな葉月のある日のことだった。天狐てんこである桜が人間の少女を抱きかかえ、鷹山のぬしである、あまの元へ


「何しに来た」


 天つ日は地べたに歌膝うたひざの状態で座り、くっと笑って尋ねた。特定の人間にしか興味のない彼が、全く関わりのない人間の小娘を抱えてきたのが面白かったのだ。(「彼」といっても性別はないので、便宜上そう呼んでいる。天つ日も同じ)

 すると桜は美しい顔に不機嫌な表情を浮かべて、つっけんどんに頼みごとをした。


「こいつをここに置いて欲しい」

「失礼な奴だ。理由もなしに言いよって。それが我に物を頼む態度か」


 拒否する天つ日に対し、彼は七面倒な態度を隠そうともせず大きくため息をつく。


「事情は分かっているだろうに、よくそんなことを言う」


 桜の指摘する通り、天つ日は分かっている。桜が連れて来た少女を、人間の村に置いていたら災いになることも、この山にいる半鬼の子と因縁深い関係にあることも。

 だが、物事には手順というものがある。力の強い妖は天つ日のことを恐れていないが故に、敬おうとしない。それが少しばかり腹が立つ。だから、困らせてやろうと思った。


「我にお前の頼みを聞き入れる義理はない」

あま、貴様は本当に山の主か。この娘をここに置かなければ、後々面倒になることも想像できよう」


 天つ日は、うん、うんと頷いた。


「分かっているよ。だが、お前の態度が気に喰わない」

「私情を持ち込むな。たかが百年早く生まれたくらいで偉そうに」


 確かに天つ日は桜よりも百年ばかり早く生まれたが、それは「代替え」である。天つ日の魂を入れた前の身が老いたため、天狐として桜が生まれる百年前に再生させただけのこと。故に、たかが「百年早く」ではない。


(全く、口の悪い天狐だ)


「よいよい。いくらでも私の悪口を言えばいいさ。お前の大切な人間がどうなってもよいならな」


 すると彼は僅かに眉をひそめる。それは困るということだろう。

 全ての天狐がそうであるとは限らないが、少なくとも天つ日の知る天狐は変なものたちばかりだ。

 妖のなかでも強い力を持つにも拘わらず、特定の人間に興味を持ち、家族愛も、恋愛も、全て彼らに対してのみ注がれる。桜もある家族を深く愛していた。


 だがいつも偉ぶる態度の天狐が、大切な相手に対して一喜一憂する様は見ていて面白い。そして桜が大切にしている者たちが脅かされることをちらつかせれば、簡単にひざまづかせることができるのも、天つ日にとっては一つの興である。


「態度を改めよ」


 にやりと笑いながら言うと、天狐は再び大きくため息をつく。桜は抱えた少女を地面にそっと寝かせると、渋々と天つ日の前にひざまずき頭を垂れた。


「お願いいたします、お天道様てんとうさま。この者が人間に危害を及ぼさないように。そして私の大切な人たちを傷つけさせないために、ここへ置いてくださることをお許しください」


 天つ日は天狐の頭を垂れる姿に満足すると一言言った。


「よかろう」


 すると彼はまたしてもため息をついて、着物についた土を払いながら立ち上がる。


「その娘の面倒は茜にさせるが良い。因縁だろうからな」


 天つ日が指図すると、桜は当然だとばかりに「最初からそのつもりだ」と答える。


「そっけないなぁ。因縁によって少女たちが傷つき合うかも知らぬのだぞ?」

「貴様とて、茜にさせようと思っていたのなら同じだろうが」

「まあな。だが、我は何かあっても手出しはせぬぞ」

「それは私も同じだ」

「そうかな?」


 試すように言うと、桜は不愉快な表情を浮かべる。「お前に私の何が分かる」と言っている顔だ。だが、天つ日も桜とは長い付き合い。少しは気持ちを察することもできるというものだ。


「話は変わるが、そなたの傷はまだ癒えぬか?」

 聞くと彼は、眉を寄せた。

「傷?」

「心の傷だ。友を人間に殺されたであろう」


 天つ日は胸のあたりを指で示した。心というのがどこにあるのか分からないが、人間は感情が動くとき胸のあたりが騒ぐという。そして妖は、人間と同じように感情を持つ。ゆえに、そのあたりに「心」というものがあって、友が殺されたときに傷ついているのではないかと思った。

 すると桜は何かを思い出して少しばかり目を見開いた後、顔を俯ける。


「殺されたわけでは……、いや、そうだな……」


 桜には友人と言える鬼がいた。人にも妖にも優しい、赤い鬼。鬼とは思えぬほど繊細で、心優しく、我ですら気に入ってしまうような男だった。

 だが、その鬼は守ってやっていた人間の手によってその命を、そして優しい心を奪われた。


「今もずっと考えている。何故、あの心優しい鬼が人にうとまれたのだろうかと……」


 呟いた彼の言葉に、天つ日は応えた。

 

「人が人間と分かり合えぬというのに、人が鬼のことなど分かるわけがない。どんなに鬼が優しかろうと、鬼は鬼だからな」


 すると桜は自嘲気味に笑う。


「分かっている」

「妖は辛いな。我らのような存在とも違う。人間とは姿がまるで違うのに、同じように心を持ち、それによって苦しむ」

「……」


 天つ日は彼が言い訳めいたことを言うのを期待したが、何も言わなかった。


「……この子を山小屋へ連れていく」


 そう言って少女を抱き上げると、来たときと同じように妖術を使い、ふわりと地面から浮き上がる。


「流れが変わると良いな」


 優しい声を掛けてやったが、不愉快だったのだろう。桜はふいと顔を背け「私は何も望んでいない」と捨て台詞をはいて行ってしまう。


たわけ」


 天つ日は桜が去った後に呟いた。

 心があるから苦しんでいるだろうに、少しは弱音をはけばいいものを。

 彼は多くのものを背負いすぎる。


「……」


 天つ日はその辺りに生えていた草を手に取ると、両手で揉み、息を吹きかけた。すると草は吐息から風に乗って、空へ向かって飛ぶ。あれには念を込めた。


「優しき赤鬼と天狐のために情けをかけてやろう。もし、あの娘に対し茜が怒ったならば、一度だけ機会をくれてやる」


 この先、我が想像するような状況が起きれば、茜が因縁に立ち向かう際の手助けとなろう。

 人を殺す鬼となるか、情を持つ鬼となるか。

 理想とする未来はあるが、どうなるのかはあの子たち次第。


「どうなるのか、楽しみだな」

 

 天つ日はそう呟くと上を見上げ、木漏れ日の眩しさに目を細めるのだった。


(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

天狐の頼み 彩霞 @Pleiades_Yuri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ