第3話

 カランカランというベルの音とともにドアが開いた。

 どうせ間髪入れずにドアを閉じ出て行くだろうと雨戸は気にも止めなかったが、意外にも音の主はそのまま店内に入ってきた。

 雨戸は流石に手を止める。様子を察してか荒屋も手を止めたが、最後に一発とばかりに雨戸の頭を叩いた。雨戸はやり返そうと腕を上げたが、ヴァーシャの刺すような視線を感じて、舌打ちを残して腕を下ろした。

 入ってきた客は三人組の男だった。男たちのうち二人は立ち振る舞いから察するに新参者らしかった。もう一人は見覚えがある。小柄でゴツゴツとした見た目に、洞に似つかわしくない角刈りの温和な顔。便利屋の武市だ。武市は少しだけ驚いた表情を見せたが、すぐにもとの人の良さそうな顔に戻り小さく頭を下げた。雨戸も手を挙げて返す。


「いらっしゃい」


 ヴァーシャの声を無視して新参者はふてぶてしい態度でテーブル席に座り、これ見よがしに持っていた拳銃を、わざとらしく大きな音を立ててテーブルに置いた。いかにもチンピラですとでも言いたげな態度な上に、見た目もチンピラそのもので、まさしくチンピラのテンプレートと言ってもいいような二人で、洞ではあまり見ないタイプだ。チンピラの専門学校でも出たのだろうか、と雨戸は思った。

 武市もヴァーシャに仕草で謝りながら席に着く。ヴァーシャも妖艶な笑みで応える。このぐらいのことは日常茶飯事で騒ぐほどのことでもない。


「おい! この店は注文も取りに来ねえのか? はるばるアメリカから来てやったのによ!」


「まあ、いいじゃねえか。いい女には優しくだ。姉ちゃんどこの人? こっちで相手してよ」


「おい、やめろよ君たち。二人ともビールでいいんだろ? ごめんよ、ビール三つ」


 武市がなんとも頼りない様子で二人を諌めた。ヴァーシャは「ここが人間ですよ。半分はロシアですけど」と気にした様子もなく答え、ビールと肴の準備を始める。

 雨戸は物珍しさからチラチラとチンピラたちに視線を送った。

 あの髪型は美容院で注文しているのだろうかとか、さっきの肩で風を切るような歩き方は練習したのだろうかとか、少し舌を巻くような話し方も演出の一部なのだろうか、などと想像が想像を呼び雨戸は口元をピクピクと引きつらせた。笑ってはいけないと思えば思うほどに思考が弾み雨戸の表情筋を刺激する。

耐え忍ぶ雨戸に、おかしさを隠そうともせず荒屋が話しかけた。


「なあ」


 雨戸は眉をひそめ、小声で言った。


「なんだよ。ニヤニヤするな。絡まれたら面倒くさいだろ」


「あいつら車高めちゃくちゃ下げてそうじゃねえか?」


 一応声を潜めながら言った荒屋の言葉に雨戸は思わず吹き出した。


「わかる。それでちょっと坂になってるところに入るときは底を擦らないようにスピード落とすんだろ?」


「そうそう。それに車に乗る前には靴の泥を丁寧に落とす」


 二人から押し殺した笑いが漏れる。無理に押し殺したせいで余計にチンピラたちを馬鹿にした感じが強くなった。


「おい! お前らさっきから何話してんだ!」


「チラチラこっち見やがって、舐めてんのか?」


 雨戸と荒屋は息も絶え絶えに「いや、ホント、馬鹿に、してるとかじゃないから」と顔の前で手を振るが、言い終わった瞬間にまた吹き出した。


「おい! マジでぶっ殺すぞお前ら!」


「まあまあ、落ち着いてくれって。雨戸と荒屋もあまりからかわないでやってくれ」


 立ち上がろうとしたチンピラを武市がなんとかなだめた。いかにも困っていますとでも言いたげに眉を八の字に下げている。

雨戸と荒屋は「悪い悪い」と笑いをこらえながら片手を上げた。


「ん? 雨戸と荒屋? おいおい、聞いたことあるぞ。お前らなのか」


 今にも飛びかかりそうに毛を逆立てていたチンピラは、武市の言葉を聞いた瞬間、突如声に嘲笑を滲ませた。


「ああ、あのイカレポンチのキチガイコンビか」


「はっ! こいつらがか? どれだけ恐ろしい奴らかと思えば甘ったれ顔のお坊ちゃんたちじゃねえか。噂っていうのは当てにならないらしい」


「全くだ。この間抜けどもじゃデトロイトでは一週間も持たんぜ」


 そう言ってチンピラたちは嘲るように大声で笑った。

 どうやらチンピラたちはデトロイトから流れてきたらしい。まあ、アウトローがアウトローを呼び、ハングレがハングレを招くこの街では珍しいことではない。

 ただこの手の奴らがこの店まで五体満足でたどり着いたことは奇跡といっていいほど稀有なことだった。武市のおかげであろうことは考えるまでもない。そんな恩人とも言える武市が必死に諭しているのにチンピラは「さっきからうるせーよ、おっさん」とその頭を叩く。雨戸はチンピラたちの浅はかさに苦笑いを浮かべた。

 武市はなおもチンピラたちを諌めながらチラチラとこちらに視線を送っている。乱闘になることを心配しているのだろう。だが、雨戸はこの珍しい状況を楽しんでいたし、荒屋も同じなのかやけに機嫌がいい。その心配はなさそうだった。酒場で絡まれるなんていつ以来だろう。しばらく好きにさせて、最後には酒でも奢ってやろう、と雨戸は思った。

 ヴァーシャが瓶ビールを片手にカウンターを出て、チンピラたちが座るテーブルに歩いて行った。雨戸はカウンターの奥を覗き込む。一緒に肴も持っていけばいいのに。雨戸が視線を戻すと、武市の引きつった顔が目に飛び込んだ。そして、すぐにその顔は諦めたようなものに変わる。


「おう、ねーちゃん。遅すぎだろ。しかも瓶ビールかよ」


「銀髪の姉ちゃん。つまみも一緒に出すために待たせたんじゃねえのか? そんな接客ならあそこの間抜けどもにもできるぜ」


 チンピラたちは下品な笑い声を上げた。

笑い声を切り裂くようにヴァーシャは瓶を振り上げ、チンピラの一人の頭に向かって振り下ろした。瓶は鈍い音を立てて割れ、破片と中身が周りに飛び散った。だが、ヴァーシャは意に介さず、割れた瓶を既に動かなくなったチンピラに向かって何度も振り下ろす。数度目の殴打で瓶は首の部分しかなくなり、ほとんどヴァーシャが素手で殴っているような形になった。


「誰が、イカレポンチの、キチガイで、甘ったれ顔で、間抜け、だって? あんたら、ごときが、うちの子たちに、何を、言った? もう一回、言って、みな。ほら、言って、みなよ」


 もはや殴られるチンピラの頭部は原型をとどめておらず、陥没した後頭部にヴァーシャの手から流れた血が貯まる。かろうじて残っていた瓶の首の部分が砕けて柔らかくなった頭部に突き刺さった。

 突然のことに呆然としていたチンピラの片割れがやっと状況を飲み込んだのか、懐に手を入れながら叫ぶ。


「クソアマ! てめえ一体何してやが──」


「もういいよ。終わりだ」


 いつの間にか銃を取り出していた武市がチンピラの顎の下に銃口を添え、引き金を引いた。バケツを蹴ったような鈍い音と同時に、チンピラの頭頂部から血がスプリンクラーのように吹き出す。チンピラは前後にゆらゆらと揺れた後、糸が切れたかのように机に突っ伏した。武市は素早く銃についた血を拭うと懐にしまった。


「すまなかった、ヴァーシャ。清掃代と治療費、それに酒代、置いとくよ」


 武市は札を十枚ほど取り出しテーブルに置いた。ヴァーシャは穏やかな表情に戻ると首を振り、その札を武市のポケットに入れた。


「どこにでも馬鹿はいるからお互い様よ。こっちこそ悪かったわね。仕事の邪魔しちゃったんじゃないの?」


「いいさ。試しに馬鹿とも仕事をしてみるかと思ったが、こいつらは馬鹿すぎた。このドクロの指輪を見たときに気づくべきだったよ」


「確かに、ひどいったらないわね。……お詫びと言ったらなんだけど一杯奢るよ?」


 ヴァーシャは穏やかな笑みでカウンターを指す。武市は変わらずの温和な表情で礼を言うと雨戸の隣に座った。軽く会釈をする武市に荒屋がからかうように言った。

「あんたは俺らを貶してはくれないのかい?」


 武市は困ったように頭を掻く。


「意地の悪いことを言わないでくれ。ヴァシリーサを怒らすな、カスティアーノに逆らうな、雨戸と荒屋に関わるな──この街じゃガキでも知ってることだ。これだから田舎者はいけない。契約する前に死んでくれてよかったよ」


 関わるなとは酷すぎる、と雨戸は思ったが、武市に言っても仕方がないので苦笑いを浮かべるに留めた。

 この扱いと、血と酒とドラッグの匂いが立ち込めるこの街が嫌でやっとの思いで外に行ったはずなのに、気づけばまたここにいる。雨戸は滅入る気持ちから目をそらすように口を開いた。


「そのカスティアーノっていうのは?」


「俺も知らない。誰だ?」


 ヴァーシャと武市が顔を見合わせ苦笑する。


「マフィアだよ。洞最大級のね」


「昨日生まれた赤ん坊でも知ってるわよ。あんたら今朝生まれたの?」


 二人からの冷ややかな視線が居心地悪く、雨戸は弁明する。


「外にいたんだし仕方がないだろ」


「外でも有名だよ」


「荒屋だって知らないんだから有名じゃないんだろ」


「俺は今朝生まれたんだよ。お前その年で恥ずかしくないのか?」


 雨戸が荒屋の肩を強めに叩くと、荒屋は愉快に笑った。

 そんな二人を見てヴァーシャは多少呆れ気味に説明を始めた。


「カスティアーノっていうのは、この街じゃ珍しい正統派のマフィアよ。外にもビジネスを広げてる。合法から非合法、もちろんその中間もなんでもありって感じね」


「ほー、それは確かに珍しい。よく潰されずに残ってるな」


「絶対的なボスとその下の忠実で有能な幹部。絶えず補充される下っ端たち。いい仕事には適正な報酬。つまらない正統派もあそこまで突き詰めれば手を出せる奴はいないでしょうね」


「はは、まさしくテンプレだな。アンティークでいいじゃん。俺嫌いじゃないぜ。あとは、ファミリーは全員スーツを着てて、ボスの正体は不明だって言うなら完璧だ」


「そのとおり。冴えてるわね」


「本当かよ。アンティークを通り越して古典だな。誰の趣味だ」


「当然ボスのだろうね。まあ、上客だし僕としては形はどうでもいいさ」


 武市がヴァーシャに出されたウィスキーに口をつけながら言った。その様子を見て荒屋が言う。


「どうしたおっさん。おっさんにしては気のない返事だ。なあ、雨戸?」


「え、ああ、確かにそうだな。武市さんにしては、武市さんぽくない感じだった」


「お前どうせ気づいてなかっただろ。気づいてたふりすんなよ。カッコ悪いぞ」


「は? 気づいてたわ」


「いーや、気づいてないね」


「気づいてたって言ってんだろ」


 口喧嘩はまたしても喧嘩に発展し、二人は武市を挟んで料理やら食器やらをお互いに投げ始める。ヴァーシャは悩ましげに眉間を押さえたが、止めるのは諦めたようで、余波を受ける武市に無言でおしぼりを渡した。

 武市はおしぼりで諍いの余波を拭き落としながら口を開く。

「ちょっと考え事をね。実は今回の仕事は仲介だったんだ。この店で依頼人とさっきの二人を引き合わせてみる予定だったんだけど、どうしようかなと思ってね」


「大変じゃない。やっぱ殺しちゃまずかったわね。ごめんね、武市」


「いや、本当にいいんだ。僕の落ち度だよ」


 そう武市は言ったが、ヴァーシャは申し訳なさそうだった。武市の信用に関わるわけだし、気にするのも当然のことだろう。あの二人に仕事をこなせたとは思えないが、顔合わせということなら、責任は雇うことを決めた依頼主になる。こいつらではダメだと思ったなら、チェンジすればいいだけだからだ。ただ、人を準備できなかったとなればそれは武市の責任にほかならない。武市が頭を悩ませるのは自然なことだった。


「なあ、依頼主とはどういう話になってたんだ?」


 荒屋がおもむろに口を開いた。武市は少しだけ怪訝な様子を見せながらも答える。


「二人組を準備したとだけ。質は悪いから不安なら代わりを探すと。だが、どうやら簡単な仕事らしくてね、詳細はまだ聞いていないが人は誰でもいいらしい。今日説明を聞いてあの馬鹿たちが納得したら契約という感じでほとんど内定だったんだ」


「なーるほどね。なあ、雨戸。俺らヴァーシャには恩があるよな?」


「ん? ああ、そりゃな」


「じゃあ、今回はヴァーシャの尻拭いをするべきなんじゃねえか? 親孝行だ」


 なにを真人間みたいなことを、と雨戸は口を開きかけたが、感激したように目を潤ませるヴァーシャが目の端に写り、出かけた言葉を飲み込んだ。こいつ絶対暇だっただけだぞ、という言葉もほとんど喉から出かかっていたが必死に押さえ込む。

 とはいえ、実際のところ雨戸も誰かさんのせいで暇を持て余しているところではあるし、ヴァーシャの罪悪感を薄めることができるのも事実だろう。話だけ聞いてみて、内容に問題があるなら断ればいい。

 雨戸は小さくため息を吐いた。


「わかったよ。で? 武市さん、依頼主はいつ来るんだ?」


 雨戸の言葉が言い終わるかどうかというところで、ベルの音とドアが軋む音が耳に届いた。雨戸は既に嫌な予感がしている。

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Ill weeds grow apace 穂塚 @hozuka

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