第2話

 洞屈指の老舗、ダイニングバー・ゼルカ。カウンターとテーブル合わせて十席弱の決して大きくはない店にも関わらず、いつもは祭りさながらに賑わうこの店も今日は雨戸たち以外の人影はない。理由は明白だった。母親からこの店を受け継いだ店主のヴァシリーサ・アキラヴナ・──通称ヴァーシャはカウンター越しに雨戸と荒屋を交互に見ると、首を振り、同じく母から受け継いだ銀髪を悩ましげに揺らした。赤いドレスに包まれた妖艶な美貌に似つかわしくない諦念を滲ませ、ヴァーシャは言う。


「雨戸、あんたの顔が見れたことは母ちゃんとしては素直に嬉しいんだけどね、もうちょっと客の少ない時間帯に来るとか、そういう気遣いはできないの?」


「いや、違うんだヴァーシャ。俺は無理やり連れてこられたんだ。この店にも、この街にも。文句なら荒屋に言ってくれよ。そもそも荒屋がいるから客が来ないんじゃないのか? 俺じゃないだろ」


 雨戸は育ての親とも言えるヴァーシャには強く出られず、言い訳をする子供のように弁明した。


 ヴァーシャは「だからあんたも来るとますます来ないのよ。困った息子たちね」とため息をついた。

 雨戸はぐっと息を飲んだが、返す言葉が見つからず、誤魔化すように目の前のナポリタンを頬張った。雨戸と交代するかのように荒屋がフォークを口から外し言う。


「俺だけの時はチラホラは客来るんだぜ。数人は残る。だからお前のせいだろ。嫌われ者」


「数人しか残らねえなら九十九パーセントお前のせいじゃねーか。人のせいにするな嫌われ者」


「それでも残る奴ですらお前のことは嫌だってことだろ? 自覚しろ嫌われ者」


 雨戸と荒屋はカウンターに隣同士で座ったまま、しばらくにらみ合う。

 雨戸がふっと目から力を抜くと、荒屋も眼光を弱め、双方皿に向かった。雨戸はできるだけ穏やかな動きでフォークを動かしたが、今だとばかりに力を込めフォークを荒屋の右手に突き立てた。

 してやったりとほくそ笑むよりも早く、雨戸の左手にも激痛が走った。雨戸の手にもフォークが突き刺さっている。二人ともほとんど同時に負傷した手を抑え、痛みに呻いた。


「ホントバカね、あんたたち」


 ヴァーシャが呆れ顔を向ける。手にフォークが刺さったまま取っ組み合いを始める二人に、その顔の呆れっぷりはさらに増した。


「ほら、もういい加減にしなさい。雨戸はしばらくはここにいるの?」


「そうだな、しばらくは。この馬鹿のせいでしばらくは帰れないだろうし」


 雨戸がいた銀行は洞に面した重点警戒区域だった。さきほどチラリと様子を除いて見たが、案の定治安維持部隊が捜査と警備の真っ最中だった。

 今のこのこ戻っていって事情聴取を受けることも、ぼろを出して共犯扱いされることも避けたい。荒屋のことを教えたらお咎めなしというなら雨戸は喜んで告げ口するが、そうはならないであろうことは経験でわかっている。それならほとぼりが冷めるまでは身を隠していた方が得策だろう。そう珍しい事件でもない。一週間もすれば治安維持部隊も警戒を緩める。それから素知らぬ顔で戻ればいい。


「そんなこと言っていいのかなあ? 来月また行っちゃうよー?」


「お前本当に次来たら頭を割るだけじゃ済まさないからな」


「その前にお前の頭に鉛玉ぶち込んでやるよ」


 またも争いを始める二人にヴァーシャは「フォークだけ先に抜きな。洗っとくから」と脱力しながら言った

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