第4話
“愛の筋肉剥離事件“を起こして麻酔で眠らされた大筋は、そのまま隔離病棟に入院した。
何日か眠り続け、その間に高熱を出してうなされていた大筋だったが、ある日嘘のように熱が下がりそのまま目を覚ました。
そして目覚めて開口一番、冷泉に向けて言った。
「恋は、終わりました……」
大筋は一筋の涙を流していた。
その様子を見て冷泉は開口一番、大筋に向けて言った。
「は?」
冷泉には大筋が眠っている間に何が起きたかは定かではないが、大筋は入院後妄想状態に陥らなくなった。
のんびり病棟を散歩して、本を読んで、日々を穏やかに過ごしていた。
「筋肉が恋人? ……その話は終わりました」
何度診察を繰り返しても大筋はそう言うばかりで元気がない。
そうするうちにあれだけ“のろけ”を披露していた筋肉はみるみるうちにしぼんでいき、気づけば大筋は中肉中背の、ただの40代無職へと変貌を遂げていた。
「大筋さん、寛解状態ですよ。いい傾向ですよ〜。これならもうじき退院できますよぉ」
「ふっ……そうですか」
覇気のない大筋に、冷泉はなんだか物足りなさを感じ……。
「あぁ〜よかった! 大筋さんが筋肉を恋人とか言い出さなくなって!!!! 本当に!!!!!」
……るわけがなく、それはもう心の底から嬉しかった。
ようやくこの厄ネタがカルテから消える!! 自分の人生からいなくなる!! もう頭がぐちゃぐちゃになりそうな会話未満の会話の応酬をしなくていい!!
「今のボクにはその資格がありませんから……」
顔に影を落とす大筋をよそに、冷泉は内心ウッキウキで今にも小躍りしそうであった。
そして待ちに待った大筋の退院の日がやって来た!
喜び勇んだ冷泉は、する必要もないのに大筋の見送りに病院の出入り口までやって来たのだった。
「退院おめでとうございます、大筋さん」
鷹揚に立つ大筋の横で、大筋の母がペコペコ頭を下げている。
「先生、ありがとうございます、ありがとう! 私、息子の嫁が筋肉になることを半ば覚悟してたので本当に嬉しくて……」
「ええ、筋肉と嫁姑戦争を繰り広げるはめにならなくてよかったですね、お母さん」
冷泉は広い空を見上げる。
もう……。
もう、“Xデー”は来ないのだ……本当に……。
「大筋さん、お疲れ様でした。大筋さんはもう大分状態が良いので、今後の外来は若い医師に任せ……」
「先生、ボク」
大筋は冷泉の手を優しく掴む。
「先生には本当にお世話になりました。ボク、先生のおかげで気づけたんです」
「いえいえ、先生は医師として当然のことをしたまで……」
「ボクはまだまだ筋肉に恋されるような男じゃないんだって」
冷泉は目をぱちくりした。
……ん?
「ボクが筋肉のことをこんなに愛してるんだから、筋肉もボクのことを愛して当然なんて傲慢でした。ボクはまだまだ修行が足りません」
……んんんん?
おかしい。会話の流れがおかしい。
冷泉は白衣の内側に冷や汗をだらだらかいていた。
「ボク、いつか筋肉に見合う男になりますから! そうなったら……」
そこまで言って、大筋は首を横に振った。
「……いえ、今は言わないでおきましょう! では先生」
大筋はタクシーに乗り込みながら、冷泉に向かって細い上腕二頭筋を見せつけた。
「またいつか!」
そうして大筋とその母は病院を去っていった。
冷静の心に重しを残して、風のように去っていった。
タクシーのリアガラスから覗く、すっかり筋肉の失われた大筋の背に手を振りながら、冷泉は広い空を仰ぎ、思った。
あいつ、そのうち筋肉つけて戻ってくるんだろうな……と。
ボクが筋肉のことをこんなに愛してるんだから、筋肉もボクのことを愛して当然 ポピヨン村田 @popiyon_murata
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