第16話 船出

六月七日午前 國學黒菱学園 中等科一学年Cクラス


「おいおい、ちょっと聞いてくれよ。最近、噂になってる都市伝説」


 教室から聞こえてくる声は、中山亮太の声だった。教室内では中山と数名の男子が固まって雑談をしていた。


「またかよ。お前も好きだねぇ。つい此間も関東最大の暴走族、あれ、何だっけ…」


「帝都連合『匁呎州都メフィスト』」


「そう、それ! トップの黒狼って奴の人間離れした怪力の話ししてたよな」


 中山亮太は、UFOや都市伝説、失われた古代大陸の話が大好きだった。そして勧善懲悪に登場するスーパーヒーローに憧れていた。


「いやいや、メフィストの話も事実だけど、これもどうやら本当の話らしいいんだ。都内でも、ここ妙行市でも、数多くの目撃情報があるんだ」


「もうー、何だよ、聞いてやるから」


「夜な夜な街を走り抜ける音のしない黒いバイクに乗った黒尽くめの少女の話し何だ。そのバイクは全く音がしないらしい。電動バイクだったとしても、キーンとかシューっとか何かしらドライブ音がするけど、そのバイクはそれが一切なく、ただ物凄いスピードで走り抜ける風を切る音しかしないらしい。そしてそのバイクに乗った少女は全身黒尽くめで顔に黒いマスクをして長い銀髪を風に靡かせているということだ。そしてそして何と。その少女の背丈は、俺らと同じぐらいの中学生の子供だったと言う話だ」


「何だかねぇ…。やっぱり都市伝説だなぁ」


「そして更にだ。どうやらこの少女は、前に話したメフィストの総長『黒狼』の彼女らしい。これ迄に何度もこの少女と黒狼が一緒に走っているところや黒狼がこの少女のバイクに一緒に乗ってるところも目撃されているんだ」


「何だか益々、話が怪しくなってきたな」


「本当だってば!」



「沙耶、香織、おはよう」


 教室へと入ろうとする葵 沙耶、五十棲香織に望月 薊は後ろから声をかけた。


「あ、薊、おはよう」


 沙耶と香織は、それに答えて三人は教室へと入っていくと三人は机に着く前に教室内で立ち話を始めた。


「あのね、この前に話してた三人で一緒に遊んで、夕食を展望レストランでという話の件だけど、やっと前に沙耶に招待してもらったレストランの予約が取れたの」


「薊、凄いわね。私もお父様に聞いてみたのだけど、六月は結婚シーズで予約は取れそうに無いって聞いてたわ」


 沙耶の父は、大手建設会社のオーナー社長で、レストランのある黒菱スカイタワーも父の会社による建築の一つだった。そして葵建設はそのタワーやホテルのオーナーである黒川グループの建築物を一手に引き受ける建設施工会社でもあった。


「うん。お爺ちゃんがね、そこの会社の先代社長さんに可愛がってもらっていた関係で、今の社長さんともとても親しくしているらしいの。でもその話は表立っては、伏せているらしくて、何だか複雑そうで私も詳しく聞いてないの。だから内緒にしててね」


「うん。それで予約は、いつになったの?」


「それが急なんだけど、今度の日曜日の午後五時半から。本来の営業は六時かららしいんだけど、その日は特別な日らしくて…」


「私なら大丈夫だわ。今度の日曜ね。香織は?」


「私は寮住まいだから、いつでも行けるわ」


「よし。じゃあ決まりね。薊、それじゃあ、予約の方はよろしく頼むわね。その日は、また家の車を用意しとくわ」




キーンコーンカンコーン…


「薊、香織、帰ろうか」


「沙耶、今日は先に帰ってて」


「どうしたの。薊」


「私、職員室に呼ばれてて…」


 あれ、前にもこんなことが一度あったような気がする。


 沙耶は記憶にない記憶がデジャヴするようだった。


「この前のテストのことらしいんだけど……」


「そうなんだ。じゃあ香織と私は先に帰るね。バイバイ」



 薊は、本来の学力レベルを隠すためにわざとテストの問題の幾つかを無解答で出していた。それは逆に教師の不審を招いていた。


「望月さん、この前のテストの解答なんだけど…。この問題が解けてこの問題が解けないのは、どう考えてもおかしいんだけど。これさぁ、望月さんが入学してから毎回テストの解答がこうなんだけど。先生の考えすぎかな?」


 薊は教師から指摘を受けるまで、そこまで考えていなかった。薊は言い訳しようにも、ただ恍ける他に方法はなかった。

 何とか誤魔化し切った薊は職員室を出て階段へ向かい、踊り場から階段を下りようとしたとき。


「あ、待って。薊ちゃん」


 それは、黒川一狼だった。


「あっ、黒川先輩」


「薊ちゃん、どうしたの? 今から帰るとこ?」


「職員室に呼び出されてて、テストの解答が変だって指摘されちゃって…」


「俺も、飛び級をもう一度考えてみないかって、校長と担任から呼び出されて…」


「テストの解答をわざと所々、無解答にしてたら、逆に変だって言われちゃったの…」


「俺の場合は、以前から成績は良かったんだけど、アカシャのプログラムを受けてから一段と良くなり過ぎて、その学力をそのままにしておくのは勿体無いからって。俺のためにも学園のためにも、もう一度飛び級を考えて見ないかって言われちゃったよ」


「お互い適当に誤魔化すことって、難しいね」


「本当だ。…それでさぁ、今後のことなんだけど…。シスルと話しておきたいことがあって、今晩にも家の方に来てくれないかな。時間は夜十一時ごろなんだけど」


「はい、分かりました」


「プッ。いつものシスルのタメ口じゃないと何だか調子狂っちゃうなぁ」


 二人はそう話しながら通学門まで歩きながら話し込んでいた。

 丁度、中等科学生寮の前まできたところで、葵 沙耶と出会った。


「やあ、沙耶ちゃん。香織ちゃんのとこ行ってたの」


「はい。ちょっと香織の部屋に寄ってたんです。黒川先輩も今お帰りですか?」


「ああ、俺も職員室に呼ばれてて、たまたま階段の所で薊ちゃんと会ったんだ」


「そうなんですか。それでは私も通学門までご一緒させて頂いても宜しいですか?」


「何言ってんのさぁ。もちろんだよ。さあ、帰ろうか」


「はい」


 沙耶は、いつも一狼と顔を合わす度に本当に気持ちのいい笑顔を見せていた。




六月七日午後八時 ドライブイン昭和


「銀、翔、早くに集まってもらって申し訳ない」


「いや、早いときは、いつもこれぐらいに来てますから」


「銀は店の方は、大丈夫なのか?」


「ああ、スタンドが営業出来るまでまだ日にちがかかりそうなんで、兄貴がイートインの夜番で店に入ってるから、すぐ兄貴と喧嘩する俺は邪魔なんっす」


「悪いなぁ、この大変なときに」

「実はこれからのメフィストについて、話しておきたいことがあって…」


「なんだよ、改まって。あんまりいい話じゃなさそうだな」


「…よくよく考えてのことなんだが、俺は今日付けで、メフィスト総長を引退することにした」


 銀と翔は、黒狼の言葉に呆気にとられた。そして黒狼は、その訳を説明しだした。


「こう言う話だから、今日はせめて統括グループ全員に集まってもらいたかったが、今のこの状況で、目立つことを避けたかった。今日のこの話は銀と翔から統括グループや帝都連合全てのメンバーに伝えて欲しい…。それで…」


「おい、ちょっと待て。なんでそう言う話になるんだ。その前に相談ぐらいしろや」


 銀は黒狼が勝手に話を進めていることに苛立った。


「これは急を要すると考えてのことなんだ。銀の所のスタンド爆発は、明らかに事故ではなく、シックスと名乗る奴らの仕業だと考えている。そのスタンド爆破以降、警察もマスコミもその原因について一切発表、報道もしていない。これも不自然だ。そしてシックスやその仲間達を倉庫に縛り上げ、警察に捕らえさせるようと仕込んだことも、その前に何者かに奴ら共々、爆破されてしまった。このことは、爆破そのもの一切何処も報じていない。…これ以上、奴らや俺に関わることは、銀や翔だけでなく、メフィスト全員に命の危険や迷惑をかけることになる」


「………………」


 銀は黙ったままだった。


「俺らもこのままじゃ、悔しいっすよ! 柴崎の裏切りに加担していたとは言え、長良がられて、第四分隊の連中も怪我させられた奴もいるし、きっと皆んなも同じ思いっすよ」


 翔は悔しさを滲ませながら黒狼に訴えた。


「銀もそう思わないっすか」


「…俺はスタンドが爆破されたとき、正直言って怖かった。兄貴が死んだんじゃないか? って…。悔しい思いは同じなんだが…。俺や翔だけならともかく、これがメンバー全員の危険に繋がるとしたら…。このままではよくない。ってこともよく分かるんだ」


「銀…。巻き込んですまない…」


「何言ってんだ! 俺はそんな風にはこれぽっちも思っちゃいない。…ただこれからどうしたらいいか分からない。と言うのも正直な気持ちなんだ」


「………………」


「だから、だからなんだ。俺は総長を辞める。そして今後メフィストは、デビルスターやセブンシールから手を引いて欲しい。コイツらの後のことは、俺とシスルに任せて欲しい。これは総長としての俺からの最後の命令だ」


「………………」


 銀はそれまでのこと、例えば、黒狼から銀と翔に渡されたハイテクヘルメットのその性能の凄さや病院の駐車場から攫われそうになったときに救ってくれたシスルのこと、ドライブインから攫われて倉庫から救出され、その倉庫が爆破された後に黒狼の側付きと言う白城にスーパーカーのような車でドライブインまで送り届けられたこと、などなどを思い起こすと自分にできる範疇を遥かに超えていることを感じ取っていた。


「それで、これは俺からの最後の要望なんだが、次期、帝都連合「匁呎州都」統括グループ総長に館林銀次郎を指名する。そして副総長に山崎翔太郎を指名する。その補佐役として成田吉和(キワ)と第三分隊の件が落ち着けば、林幸雄(ユッキー)を指名する。それで第三分隊と第四分隊の取締役は、統括グループで選考して欲しい。これに統括グループから異論は出ないと思うが、銀と翔、統括グループ全員で決めて欲しい」


「……それは喜んで引き継がせてもらうが、本当に黒狼とシスルだけで大丈夫なのか? お前達の仲間もいるのだろうけど、俺と翔だけでも何か協力できることはないか?」


「銀、翔、ありがとう。奴らの後のことは俺達に任せておいてくれ。きっといつかいい報告をお前らにするよ。そして銀と翔に渡したヘルメットなんだが、出来ればそのまま使い続けて欲しい。俺がメフィストを抜けたからと言って、すぐに安心できるものでもないからな。お前らやメフィストに知らせておいた方がいい情報は、逐一、俺からも連絡するし、メフィストで何か困ったことが有れば、お前らからもいつでも相談してくれ」


「…ああ、分かった。これから黒狼達も呉々も用心してくれ。そしてこれからのメフィストは俺達が必ず守っていく。…なぁ、翔」


「うっす!」


「それから俺がメフィストを抜けても、俺と銀や翔が連絡を取り合っていることは、キワとユッキー以外には伏せておいてくれ。俺が抜けた意味が無くなるからな」


「ああ、了解した」


 こうして黒川一狼は、帝都連合「匁呎州都」総長を退任した。

 このことは、すぐさま銀と翔から統括グループの集会が開かれ、全員一致で黒狼からの最後の命令と要望に賛同を得た。そして更に分隊取締役から分隊総長、メンバー全員へと伝えられた。



 イートインの外では、白城がNSXのようで何処か違っているメーカーや車種エンブレムの無いスーパーカーで一狼を迎えに来ていた。

 一狼は、イートインを出ると銀に自分のバイクのキーを手渡した。


「銀、俺のバイク、銀が乗ってくれないか?」


「えっ! 黒狼はどうすんだ?」


「俺はまた欲しければ、別のやつ買うよ。銀に乗って欲しいんだ。書類やら手続きはこっちで済ませとくから」


「黒狼……」


「じゃあな、銀、翔、気をつけてな」


 一狼は、白城の迎えの車に乗り込み、銀と翔が見送るドライブインを後にした。




黒菱タワー一階地下駐車場出入口


 一狼を乗せた車は黒菱タワー地下駐車場の入り口を入って行った。

 その時、黒菱タワーの監視セキュリティの外の路上に、一台の黒いセダンが止まっていた。


「助手席側に乗ってるのが、黒川一狼、帝都連合の総長、黒狼です。運転席に乗ってたのは、どうやら黒川一狼のボディガードのようです。そして今入って行ったこのビルの最上階が黒川一狼の住居のようです」


「俺も事前にこのビルのセキュリティを調べたが、このビルは監視がきついな。七階までは一般の出入りも自由なんだが、それより上の階へ行くには、住民は八階のゲートで住民パスや部外者は身元確認を行わないと上の階へのエレベーターまで行けない。そして最上階までは、専用のエレベーターでしか行けない。それは利用者の顔認証でしか使用できない。ビル全体に設置された監視カメラや其々の要所には、人感センサーと警報システムがある。非常階段もあるのだが、三十九階から最上階には扉があり、専用キーでなければ、開錠できない。最上階まで上がって、部屋に侵入するには、かなり困難だな」


「これじゃ要塞だな」


「そうだな。港湾倉庫を誘導爆破したドローンを撃墜したドローンが帰還したのも、このタワーだと言うことだ」


 黒いセダンは、一狼を乗せた車が黒菱タワー地下駐車場を入っていくと、暫くしてその場を去って行った。




六月七日午後十一時 黒菱タワー最上階 一狼宅リビング


 一狼は、リビングのソファに腰掛けて、シスルの訪問を待っていた。

 シスルは、いつものように突然、一狼の座る対面のソファに姿を現した。


「やあ、シスル。呼び立てて悪いな」


「構わない。白城は同席しなくてもいいのか」


「白城には席を外してもらっている。監視カメラもシスルとの話中は切ってもらっている」


「うん、私も黒狼に話しておきたいことがある」


「じゃあ、まず俺から話させてもらおう」


「ああ」


「先程、銀と翔と話しをして、俺は今日付で帝都連合『匁呎州都メフィスト』の総長を引退することにした」


「そうだな。それが良いかも知れんな」


「一番の理由は、銀のスタンドの爆破事件による、今後のメフィストメンバーに危険が及ぶことを危惧して、俺が総長を辞めることでメフィストには、今後デビルスターやセブンシールに一切関わらないようにしたかったからだ」


 シスルは、一狼の話を頷きながら聞いていた。


「まぁ、それ以前にシスルのやろうとしていることに、自分の小ささを感じていたことと。自分に何が出来るのか、自分はこれからどうしたら良いのか、何をしたいのかなど色々と考えての道筋のようなものなんだ…」


「そうか。それで黒狼は、これからどうしたい」


「…まだはっきりとした答えは出ていないのだが、これまで通りシスルと協力して、この世界の謂れなき罪を作り出している原因を無くしたい。…俺では力不足かも知れないが…」


「何を言うんだ。黒狼や白城達がこれまで協力して助けてくれたお陰で、デビルスターの嶺屋、我聞、それにシックス一味を倒すことができた。それにメフィストメンバーにも協力してもらって本当に感謝しているよ」


「ありがとう。銀や翔、メンバー全員もそれを聞いたら喜ぶよ。後は俺達でデビルスターの残り二人とセブンシールがまだどいう組織か解明されていないが、そいつらを倒してアイツらに良い報告をしたいな」


「そうだな」


「それでシスルからの話とは、どう言う話なんだ」


「…奴らと全面対決する前に、私はアトラス王国へ一度行ってこようと思う。私にはどうしても分からないことがある…」


「ロドンという女が言ってたことだな。…それと倉庫でシスルが白くなってたことは、あれはどいうことなんだ?」


「私はロドンが止めなければ、シックスを消滅させていた。それが何故、いけないことなのか。どうしても理解できないんだ。そして私が白くなったことは、アカシャでも理由が分からなかった。…ひょっとするとアカシャは、知っているけどアクセス出来ない情報なのかも知れない。それらの疑問をアトラス王国に行くことで、答えを得られるなら、行ってみようと思う」


「そうか。それでいつから行くんだ。そこは矢張りゼロ次元にあるのか?」


「次の月曜日から行こうと思っているのだが、今度はディメンション・アウトしなければならない。場所はこの次元の外にある。アカシャがアトラス王国まで誘導してくれる。その行程には何の問題もないのだが、一つ黒狼に相談したいことがあるのだ。アトラス王国では、三日ほど滞在する予定だが、アトラス王国へ行くまでや向こうでの私にとっての滞在時間はゼロなのだが、こちらの世界では時間が流れている。つまり向こうでの三日は、こちらでも同じ時間を要する。学園の方は、何とか理由がつけらるのだが、お爺さんやお婆さんに留守にする理由を言わなければならない。…どうしたら良いか少し困っている…」


「そうか。お爺さんやお婆さんにはシスルのことは、秘密なんだな」


「そうなんだ。年配でもあるし、体もそんな丈夫ではない。心配はかけたくないんだ」


「分かった。それは俺が何とかするよ」


「どうするんだ」


「学園の方は、俺の父さんが創設した学園だから、どうにでもなる。シスルの家の方は、俺の母さんから明日には連絡入れてもらうよ。母さんは明日、海外出張から帰ってくるんだ。そして理由は黒川グループの三泊四日の職場体験に選抜されたということでどうだろう。これは本当によくあることなんだ。だから安心して行っておいでよ」


「そんな。出張から帰って早々に。黒狼のお母さんには、なんて言うんだ」


「俺の母さんは、どうやらシスルのことを知っているらしいんだ。ただシスルが望月さんだと言うことを母さんに話さなければならないが、シスルがそれで良ければだが…」


「それは良いのだが、黒狼のお母さんに危険が及ぶことはないだろうか」


「父さんは、俺のこともシスルのことも全く知らないが、父さんや母さんには、白城のような護衛や専属の諜報員までいるから簡単には危険が及ぶことなんて無いよ。そこは安心してもらって大丈夫だ」


「そうか。黒狼のお母さんには一度お会いして、きちんとご挨拶しなければならないな」


「そんなことはまた帰ってきてからいつでも良いから、安心して行っておいで」


「ありがとう。黒狼のお母さんには、宜しく伝えてくれ」


「そうだ。シスルは今度の日曜は空いてないか?」


「今度の日曜日は、沙耶と香織で午前から街へ出掛けて、夕方にホテルランバスのフレンチレストランに食事に行く予定だ」


「そうなんだ。それは丁度良かった。父さんと母さんの三人で家もその日に予約を入れてるんだ。その時にでも母さんと話しをしては、どうだろうか?」


「ああ、そうだな。その時にきちんとご挨拶するよ。でも折角、家族水入らずの時にお母さんは気分を悪くされないか?」


「大丈夫。いつものことだから」


「それでは、その時に。…そろそろ私はこれで失礼するよ」


「じゃあ、今度の日曜日。それまで学園で顔を合わすとは思うけど」


 シスルは、一狼との話が終わるといつものようにスッと姿を消した。

 そして翌日、一狼の母親、黒川ローズは望月純一郎へ薊の職場体験に選抜されたことを連絡した。


「はい、望月です」


【お久しぶりです。黒川ローズです。おじ様や奥様もお元気でしょうか?】


「こ、これはどうも、若奥様。ありがとうございます。お陰様で私も家内も元気にしております」


 純一郎は、突然の黒川ローズからの電話に驚いた。


【息子さんご夫婦のお葬式に出られなくて、大変申し訳ございませんでした】


「そんな、とんでも御座いません。既に退職した私にお気遣いされなくても、よろしゅう御座います。若旦那様はご健勝であられますでしょうか?」


【ええ、ありがとうございます。そんな堅苦しい言葉でなく、どうぞ以前のように気軽にお話ししてください。主人もまた機会があれば、おじ様と将棋を手合わせしていただきたいと申しておりました】


 純一郎は、元は旧黒川模型(現黒川グループ研究所)に勤務していた頃、先代社長の片腕でもあった。しかし事業の拡大とともに、社内派閥や跡目争いの中で責任を取る形で、黒川商事に転勤させられていた。それは望月純一郎の身の安全を考えた上での、黒川菱一とローズによる苦渋の決断でもあった。


「本当に有難いお言葉です。あんな事が無ければ、私からもっと頻繁にご連絡させていただけたものを、本当にこれまで先代社長から現社長と奥様には大変良くしていただいて、感謝しております」


【あの当時は、あれぐらいのことしか出来ずに、おじ様には本当に申し訳なく思っています】


「もうお気になさらないでください」


【今はあの当時と比べて、社内も大分、様変わりしました。これからはまた主人からも私からも、ご連絡させて頂くと思います。これからも宜しくお願いします】


「そうですか。それは良かった。…それで今日はどのようなご用件でお電話いただいたのでしょうか?」


【黒菱学園のお孫さん、薊さんですが、黒川グループの三泊四日の職場体験に選抜されたので、来週の月曜から薊さんを会社の宿泊施設でお預かりしたく、お電話させていただきました】


「それは…。薊はそんなに優秀なんでしょうか? ひょっとして私の孫だからと言う理由なのでしょうか?」


【私もおじ様にお孫さんがいらしたことも、うちの学園に在籍していことも知りませんでした。そして選抜は、それら一切関係なく、薊さんの学業優秀とその将来性を見て決められました。その後、名簿を確認したところおじ様のお孫さんだと言うことを知りました】


「そうでしたか。孫の薊は両親を事故で亡くした時に声が出なくなり、小学校の頃はよく虐められていました。四年生の時には、周りの人と大分会話ができるようになったのですが、友達は一人もいませんでした。思い切って環境を変えるためにこちらの学園を受験させることにしました。そして何とか合格して学園に通うようになり、友達もでき、性格も小さい頃の声が出せていた時のように明るくなりました。全てこの学園にお世話になってからのことです。家内共々、本当に感謝致しております。私の孫だからとと言って決して贔屓目することなく、職場体験も学園でのこれからも、是非宜しくお願い致します」


【ご心配なさらなくても、薊さんは大変優秀ですよ。おじ様も何かお困りのことがあれば、いつでもご相談ください。私も中等科三年に在籍する息子の一人の親です。これからは以前のように周りに気兼ねすることなく、お付き合いいただけるよう、こちらこそ、宜しくお願いします】


「奥様…。ありがとうございます…」


 望月純一郎、沢子は、息子夫婦を事故で亡くし、声を出せなくなった薊を引き取ってから、息子夫婦を亡くしたことのショックと薊の子育てとで、不安な日々が続いたことが嘘のように報われたような気がしていた。


 これで望月 薊、シスルは、アトラス王国へ帰る準備が整った。それはシスルの次なる進化とこの地球、人類の時代の転換点となることを未だ誰も知る由はなかった。

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ゼロ・ディメンショナル 勿里量子 @toshiba

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