黒づくめの男
佐古間
黒づくめの男
「ミツヤマさん、あれ見て!」
切羽詰まったような、驚いたような、焦ったような声で名前を呼ばれて、私は作業していた手を止め顔を上げた。
ずい、とこちらに顔を寄せる、トンダさんが目の前に立っている。トンダさんは「あれ見て」と言葉の通りに、まっすぐ指をレジの方に向けていた。
レジには先輩アルバイトのスダさんが入っていて、先ほどまで手際よく会計を捌いていたはずだ。私の位置からではレジの付近が見えないので、今、スダさんが何をしているのかはわからない。
「えーっと?」
トンダさんが何をこんなに焦っているのかわからずに首を傾げる。トンダさんはぐい、と私の腕を引くと、レジが見えるように通路側まで引っ張り出した。
寂れた駅前にある寂れたビルのテナント店。といえば、“とまり書房”を表現するのに十分過ぎる言葉だ。言葉の通り、平日は閑古鳥が鳴いて、休日はそこそこ混む。駅から少し行けばもう住宅街なので、あまり遠くに遊びに行けない子供たちとか、散歩がてら立ち寄るお客さんが少なからずいた。
土曜の今日は平日と比べれば客入りが多い日で、今も店内にはちらほらお客さんの姿が見えた。じっくり背表紙を見ながら本を吟味している人。探している本があるのか、同じコーナーで本を開いては戻し、開いては戻して中身を確認している人。“ちらほら”なので、人の誰もいない通路もある。
トンダさんが私を引っ張りだした通路も誰もいなかった。ロマンス小説と、海外小説の棚の間の通路だ。レジ近くの通路でもあって、そこに出ればレジにいるスダさんのことがよく見えた。
スダさんは私の半年ほど前に入ったアルバイトの女性で、同じ大学生。パーマのかかった明るい茶髪をいつもポニーテールにしていて、可愛らしい女性だ。私より少し低いくらいの身長だが、大人っぽい体つきで少し年上に見える。実際、一学年上だったので学業的にも先輩にあたる。
一見すると、都心のおしゃれなカフェとかで働いていそうな方なのだが、この仕事を随分気に入っているようで、私にも気さくに話しかけてくれる。
距離感が近い人だが、それを嫌に感じさせないところを尊敬していた。
その、スダさんがレジでどなたかと話し込んでいた。
レジに肘をついてやや前のめりに話しているのは、目深に帽子を被った黒づくめの男だった。帽子も黒、着ているブルゾンも黒、ジーンズも黒。スニーカーまで黒色で、少し異様に思う。トンダさんが「ど、どうしよう!」と動揺した調子で私に聞くので、何が「あれ見て」で、どうしてトンダさんが焦っているのかなんとなく理解した。
スダさんはにこやかに受け答えしているが――どう見ても、男の方がスダさんに言い寄っている、ように、見える。
男の手元には購入済と思しき本があって、きっとさっきの列の一番最後に並んでいたのだろう。さっき一瞬だけ、三、四人レジが並んだタイミングがあったのだ。
「ど、どうしようって言われましても……」
こういう場合、対応するのが社員では? とは、吐き出さずに飲み込む。小柄なトンダさんよりは私の方が威圧感があるし、見た目的に一番“男っぽい”のは私である。もしやトンダさんは私にあの男を撃退させようとしているのだろうか。不安に思ってトンダさんを見下ろした。
「あ、あの方、スダさんのお知り合いでしょうか……」
スダさんの様子を見るに、特別嫌がっている風ではない。ただ、やや口元が引きつっているようにも見えて、珍しいなとは思う。スダさんはいつも明るく笑っていて、その笑顔に癒されることが多いからだ。
スダさんが助けを求める様子なら――何か危機的状況かも、とも思うのだが。本を探したいとレジに問い合わせてくるお客さんもいらっしゃるし、そういう方とはレジ前で話をしたりもする。ただレジ前で前のめりにスダさんと話しているからと、不審者扱いしきれるものでもない。
「そういえば、スダさんから付き纏われてるって話、聞いたことがあるかも……」
悩んでいる内、トンダさんがそんなことを言い出して、思わずぎょっと視線を向けた。
「ストーカーってことですか!?」
思わず声が大きくなって、慌てたトンダさんが「ミツヤマさん、声、抑えて!」と慌てて私にしがみついた。はっとした私も口を抑えつつ、トンダさんを見返す。幸い、スダさんと件の男は気づかなかったようだった。
「なのかな、詳しい話は聞かなかったんだけど……ここまで追ってくるなんて」
トンダさんの顔がどんどん険しくなっていって、私の体も緊張で強張っていった。
「け……警察とか?」
呼びますか? 続ければトンダさんは少し悩んで、ゆっくり首を振った。
「実害が出てるわけじゃないし、呼んでも何もしてくれないかも。今は会計しようとしてるお客さんもいないし……ミツヤマさん、レジの方で注文票の整理、してきてくれません?」
トンダさんはパッと顔を上げると私の事を見上げた。先ほどまでの動揺はどこへやら、にんまりと笑って、
「二人の様子を聞いてきてほしいの。私はバックヤードで待機してるから、危なそうだったら合図を送って」
お願いします、と、頭を下げられる。
私は引き攣る顔で「えっ」と声を上げたものの、反論らしい反論もできないまま。
急に嫌な予感が――それはトンダさんやハヤシダさん、カイダさんから揶揄われる時に良くなる――降ってきたような気持ちになって、もう一度レジの方に視線を向けた。
変わらず、スダさんと男は話し込んでいた。
「本当に素敵だと思うんだよねぇ、だからお願いします、一回だけ!」
恐る恐る声をかけながらレジに入ると、男の声がスダさんにそう言ったのが聞こえた。
そっと視線をそちらに向ければ、「お願いします」の言葉の通り、男が両手を合わせてぐっと頭を下げている。スダさんが困った様子で眉尻を下げながら、「そう言われましてもぉ……」とやや間延びした声で答えた。
「スダさん、大丈夫ですか?」
トンダさんから頼まれた注文票を横目に、そっとスダさんに近づいて耳打ちする。スダさんは私の事をちらりと見ると、苦笑を浮かべて「あ、大丈夫ですよぉ!」と元気よく答えた。
「はっ……そちらは新しいアルバイトさん!?」
直後、スダさんの声を聴いた男がバッと顔を上げて、私の顔を見つめてくる。あまりの勢いに一歩後ずさった私は、「え、えっと……?」と言葉を濁らせた。答えて良いか迷ったのだ。
「そうですよぉ、新しく入った、ミツヤマさんです」
だというのに、スダさんは何の躊躇いもなく答えてしまう。
ストーカー(仮)相手に何故勝手に名前を……!? と動揺したのも束の間、男は私に向かってレジ台に頭をぶつけそうな勢いで頭を下げた。
「お願いです!! ハヤシダ店長とお話させてください!!」
そして、予想の斜め上の言葉を吐いた。
「えっ」
身構えていたことと全く違う言葉が飛び出てきたので、間抜けな声を上げた私はスダさんに顔を向けた。スダさんは困った顔のまま、「だから今日はいらっしゃらないんですってばぁ」と呆れた調子で答えている。
「えーっと……?」
一体どういう状況なのか? 男はスダさんのストーカーでは? 頭上にクエスチョンマークが連なった私の代わりに、「やっぱりあなたでしたね、モモウチさん!」とトンダさんがやって来た。
バックヤードで待機してる、と言っていたトンダさんが来たことで、先ほど感じた“嫌な予感”が的中した気配を察した。いや、別に、揶揄われること自体が嫌なわけではないのだ。そもそも本当に嫌なことをされているわけではないし。ちょっと驚き疲れてしまうだけで。
トンダさんはにまにまと満足そうに笑いながら、「驚きました?」と私をみて問いかける。思わずゆっくり頷いた。
「トンダ先輩! ハヤシダ店長は!」
「今日はお休み。スダさんが説明したでしょ?」
がばっと顔を上げた男――モモウチさんは、レジの外からやって来たトンダさんにしがみつきそうな勢いだ。ぴしゃり、とトンダさんが拒否すれば、「そんなぁ」と残念そうな声が上がる。
「えーっと、全く何も理解できてないんですが」
どういう状況でしょうか。
トンダさんと、スダさんと、このモモウチさんが知り合いらしいとは理解した。正確に言えばハヤシダさんも知り合い……? なのだろう。スダさんは理解した顔で、「あ、トンダさんに揶揄われましたね?」と私に聞いてきた。
「うっ……他人からそう指摘されると、揶揄いやすい自分を余計に自覚してしまいます……」
「あはは、ミツヤマさん、確かに純粋ですもんねぇ」
スダさんはからから笑いながら、モモウチさんの方に視線を向けた。モモウチさんは、ぴしっと直角九十度に腰を曲げて、トンダさんに「そこをなんとか!」と聞いている。トンダさんはそれを見ながら「これ本当に九十度かしら……」と話を聞いていなさそうだったが。
「モモウチさんはトンダさんの大学時代の後輩らしいですよ。以前どこかでハヤシダさんを見かけたことがあって、それ以来ハヤシダさんのファンなんです」
「ファン」
「ハヤシダさんが前にいた店舗で毎日通ってたらしいんですけど。ここの店長になったとき、トンダさんが“買い物もしないのに毎日くるな”って指導? されたみたいで」
「指導」
「本人もご理解されて、本を買う時だけ来るようになったんですけど。ハヤシダさんのシフトをトンダさんがどこにも漏れないよう管理してるので、ハヤシダさんと全然会えなくなってしまって。で、来るたびに、ハヤシダさんに会わせてくれって私たちに頼み込むようになっちゃったんですよね」
右耳から入って左耳に素通りしていくような話だった。
「えーと、どのあたりでハヤシダさんのことを……?」
確かにハヤシダさんは顔立ちが良いが。体格ががっしりしているせいで威圧感があるし、黙っていると少し怖い。ぱっと見親しみやすい風貌ではないのに。話してみるととても気さくで良い方だってわかるのだけれど。
「それはもう! あの素晴らしい筋肉!」
首を傾げた私に、一瞬前まで直角お辞儀でトンダさんに頼み込んでいたモモウチさんが、ぱっと私の前まで移動した。レジ台に両手をついて身を乗り出してくる。そのままレジの中に入り込みそうで、私は思わずその肩を押した。
「うわ、あぶなっ」
ぐ、と強く押せば、抵抗する気はないのか素直に体を戻してくれる。モモウチさんはそれでも興奮した様子で、「ハヤシダ店長の筋肉っす!」と大きな声で叫んだ。
「筋肉って……」
「上腕二頭筋は勿論! 上腕三頭筋のしっかりしたたくましいフォルム! 僧帽筋による圧倒的な厚み!」
ぐっと握り拳を作ると、モモウチさんは「くぅっ……憧れるぜっ……!!!」と絞り出すような声で言った。
「えーっと」
「あ、放っておいていいですよ、ミツヤマさん。いつものことなので」
戸惑った私にトンダさんが呆れた声を出す。先輩と後輩、という関係は伊達ではないらしく、モモウチさんに対する扱いが少しだけ雑だ。
「モモウチさん、今日はハヤシダさんお休みなんで、呼び出すことは無理です」
それからはっきりと宣言する。モモウチさんは漸く言葉を理解したようで、酷くショックを受けた顔で「そ、そんな……!」と声を上げた。悲壮感溢れる声だ。
「またしても……またしても会えないなんて……! じゃ、じゃあ次の出勤はいつなんですか!」
先輩! と、モモウチさんがトンダさんにしがみ付こうと屈みこむ。トンダさんはそれをすいっと避けると、「教えるわけないでしょ」と端的に却下した。
「それに、本を買わない時は来ませんってハヤシダさんと約束したでしょ? 次も本を買うならいいですけど」
買ったら読み終わるまで次の本を買わないってのも約束しましたよね! なんて。
トンダさんがいつものニヤニヤ顔になっている。私を揶揄っているときによく見る顔だ。まあ、今回は、モモウチさんが“やりすぎ”だとは思うけれど。
「一回会わせてあげてもいいんじゃ?」
ただ、あんまりモモウチさんが悲しそうな顔でトンダさんを見つめているので。
思わず可哀そうに思って、ひっそりスダさんに問いかける。スダさんはひょいと肩を竦めると、「あ~できないですねぇ、それは」と首を振った。
「私も見たことありますけどぉ、モモウチさんに捕まると、ハヤシダさん、長い事動けなくなっちゃうんで……」
「えっそんなに……!?」
もしや何か実害が出ているのでは、と、顔を曇らせる。これでは、相手がスダさんではなくハヤシダさんだというだけで、ストーカーと変わらないのではないか。
スダさんは首を振ると、「ハヤシダさんもテンション上がっちゃうんですよ」と言った。
「モモウチさんが筋肉関係の書籍ばっかり聞くものだから、ハヤシダさんも筋肉関連書籍のおすすめを延々と話してしまって。前に見かけたときはそれでそのまま三時間だったかな? トンダさんがいる時だったから、お店は問題なかったんですけど」
逆を言えば、トンダさんとハヤシダさんの二人が揃っているときじゃないと難しい、ということだろう。
あのハヤシダさんが目をキラキラさせてモモウチさんに筋肉トークを繰り広げる姿を想像して、私は思わず苦笑した。
「……プライベートで会えばいいんじゃないですかね」
それから付け足した言葉にはスダさんもゆっくり頷く。私たちの会話を聞いていたらしい、トンダさんが小さな声で、
「この人たち、プライベートでも十分会って遊んでるのよ」
と苦々し気に言った。
何の同情の余地もなくなって、私も呆れた視線をモモウチさんに向けた。モモウチさんは絶望を背負い込んだような雰囲気で、トボトボと店の外に出て行った。
黒づくめの男 佐古間 @sakomakoma
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