死児之齢 その2
果たして幾時ほど経ったことだろう。大峰乾は薄れて遠のいた意識を再び現世にて取り戻すことに成功した。無論あの状態から一人で自然に助かるはずもない。誰かが助けに来たのだ。だが、誰が?確かに寿の指示で救急車は呼んでいたものの、あの惨状が救急隊になんとかできるものだろうか……様々考えながら、大峰は自分の置かれている状況を把握し始めた。
とにかく白い部屋だ。パッと見の印象としては、病院というよりはアニメでよく見るような実験室のように見える。その流れで、自分としては見覚えのない機械が近くに並んでいるのが目に入った。普段の健康診断で使わないだけで、病院にもそういう設備があるのかもしれないが……というところでようやく、大峰は自分の異常に気がついた。
右腕がやたらメカメカしい義手に換えられている。気絶をしている間に何かしらの改造を受けているのだ!薄れた記憶を思い起こせば、確かに右腕が無残に宙を舞っているシーンを思い出すことはできる。ただまともな医者が人間を助けるためとはいえこんなイカツイ義手を勝手に付ける筈はない!
「な、何なんだコレは……」
ひとまず動かしてみようとすれば、まるで元々その場にあったかのように動かすことができる。自分の体を覆っていた布団に触れば、その感触を楽しむことさえできた。最近は電流を流す強さとか、そういったものを活用して遠隔操作を触覚とともに行うマシンがあるとは聞いたことがあるが、果たしてそれが義手にも応用されたのか?
「おや、お目覚めのようだ!随分長く眠りこけていたようだが、具合はよろしくなってきたのかな、"ジルニトラ"くん?」
そんな疑問を吹き飛ばすように、まともでも医者でも無さそうな金髪の女が白い部屋へ入ってきた。陽朱人には似つかわしくない顔つきをしているので、恐らくは異人なのであろう。しかし流暢に陽朱の言葉を喋っているから、コミュニケーションに不安はなさそうである。まあ、それ以前に意味の分からない内容ではあるのだが。
「具合は良い方だと思いますが……そのジルニトラってのは何です?俺の名前は大峰乾ですよ」
「おや!?"良性"だったのか、驚いたなあ!初の事例が"良性"なのは予想外だぞ。てっきり"悪性"に転じて暴れるものと思っていた」
参った。話が通じない上に新しい疑問点を増やしてきている。これはアレだ、俗に言うマッドサイエンティストとかいう類型の、自分の中で話を完結させるタイプの人間だ。大峰は命が助かった代わりに、とてつもない面倒事に巻き込まれたことをここで察した。金髪の女はしばらく興奮したように何かを書き連ねた後、ようやく落ち着いて大峰をしっかりと見た。
「さて、そうだね、そうなると元の人格である大峰乾くんの尊重もしなければならないか……では大峰乾くん!何か疑問があるならばぶつけて来たまえ!」
「いや……まず、貴女は誰でここは何処か、ジルニトラってのは何か、良性とか悪性ってのは何なのか……聞いて分かることか微妙ですけど、あの針金細工野郎は何なのか?とか……」
「そうかそうか!では分かりやすい内容から答えることとしよう。私の名はヘイゼル・ゲティングズ。遥か西、
"化物研究家"。とんでもない肩書きが現れたと大峰は思った。この目の前の女、ヘイゼルが誰でも知っているような世界中に名の知れた権威……という意味ではない。実際大峰は全く以て彼女のことは知らなかった。随分胡散臭い職業の人間が首を突っ込んできた、という感想である。
「……なんですか、その素っ頓狂な肩書きは」
「信じていないな?君は見たんだろう、"
ヘイゼルに指摘され、う、と言葉に詰まる。寿とともに目撃したあの針金細工は、まさに化物であった。アレが現実であるならば、その事象を調べる専門家が居ても全く不思議ではない。ヘイゼルは下唇を軽く噛む大峰を横目に、次の説明をつらつらと続けた。
「
「すると、俺が手も足も出なかったあの針金細工は……」
「左様、露手大雄の成れの果てだと思われる。私の見立てでは、子供の殺戮者を司る
やはりアレは露手だったのか、と大きく息を吐いた。それと同時にヘイゼルにも疑惑の目が向く。なぜ、この女は露手大雄の名を知っているのだ?大峰はそれを問い糾そうかとも思ったが、彼女の口はすでに次の解答へと移っていた。
「しかし!しかしだね、極稀に超常的存在の圧倒的な力に飲み込まれない、類稀なる精神の持ち主が存在する!それは
「ちょ、ちょっと待ってください!それってつまり俺も怪物になってるってこと、ですか!?」
「左様」
にわかには信じられない話だった。怪物に襲われて、気を失って、目を覚ますと怪物になっていた?質の悪い寝起きドッキリとしか思われない。思われないが、脳裏には針金細工の悍ましさ、そして皆の無残な死体がしっかりと粘ついている。少なくとも、あのような怪物がいることは確かなのだ。改めて、趣味の悪い義手を動かす。これが怪物になった証なのだろうか。大峰は息を吐くことしかできなかった。
「この義手も……その怪物性の表れ、ってことですか」
「それはまあ、君が簡単に力を出せるようにする特製の外付けパーツみたいなものだが……似たようなものだろうね。なんせ君が差されたのは人類の叡智の竜"ジルニトラ"、私たちが作り上げた人工の超常的存在だ」
「はい?」
「まあ、この辺りの説明は長くなる。また脳が整理できてから訊き給え。ともかく、君は君の目にした怪物と戦う力を得た、というわけだ。どうする?ソイツに立ち向かっていく気概は今の君にはあるかい?」
頭がくらっと暗転するような感覚に襲われる。まるで話についていけない。今の今までそのような怪物など、創作の中の話だと思っていた身なのだ。それが急に自分の前に、現実として現れた。絶望的な差、どうしようもない恐怖。あの子どもを殺戮して回る鬼神は、今も湾区にて細長い腕を振るっているのかもしれない。あんなもの、子どもに抵抗なんかできるはずがない。
だが、目の前の女は、ヘイゼルは、今の大峰にはそれを御す力があると言った。自覚はない。しかしそれが事実であれば、あの憎らしき針金細工を圧し折ってやりたいこともまた事実である。尊敬する先輩、そして仲間、その全てを仕方なさげに、嫌嫌葬り去ったあの怪物に一泡吹かせられるなら、どれだけ溜飲が下がることか。例えそれが独善の類であろうと、その気持ちを抑えて押し殺すことは、できない。
「……正直、今の状況は何もわかりません。
「アハハ!素晴らしいエゴをありがとう!……実のところ、君の所属である警察機関にはすでに話を通してあるよ。ようこそ特設部隊"
ヘイゼルは端麗な異国の顔を笑みで歪ませた。その顔こそ、まるで人中の怪物のようであった。大峰は息を飲みながら、差し出された手と不気味な義手で、彼女と握手を取り交わす。……露手大雄を知っていたのは、すでに警察と通じていたからか。一抹のどうしようもない不安を抱えつつも、大峰は強い意志で、常道から一歩外へ踏み出すこととなった。
魔が差して、好事為す。 安楽穢土 @tsuihouPOYO
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