魔が差して、好事為す。

安楽穢土

死児之齢 その1

「……ようやくここまで来ましたね、先輩」

「ああ。だが気ィ抜くんじゃねえぞ。ホシをとっ捕まえるまでがオマワリサンの仕事なんだからな」


 高層ビルの立ち並ぶ陽朱ようしゅ首都、番京はんきょうの高速道路を飛ばす警察用車両の中、緊張を隠せない面持ちの新人警察官、大峰乾おおみねいぬいは先輩である寿出流ことぶきいずるから早々に釘を刺されることとなった。夜の闇を裂くために路面を照らす明かりはほのかに赤みを帯び、否応にも大峰の心臓を早める。


「分かってますよ……気を抜こうにも抜けない状態ですって。初めてのデカい事件、解決するかどうかがヤツを逮捕できるかどうかにかかってる」

「どうだかな。場数を踏んでないからこそ、とんでもねえミスを犯したりもする」

「それは……」

「……まあここで萎縮されても困らあな。前に出るのはオレだ。お前はオレがシクったときのリカバリだけ考えとけ。それにしたって仲間がいるんだからな」


 寿は威圧的なスキンヘッド、そしてサングラスには似合わない大きな笑みを大峰へ向ける。それを受けた大峰は、ふ、と緊張を少しばかり解いた。

 着任した最初こそ、寿のその強面に萎縮していた大峰だが、いくつか仕事をともにすることでその風体に信頼、そして安心を感じていた。この先輩がいれば、心配はいらないだろう……そう思いつつ、先輩頼りになりがちな自分の心に度々喝を入れることもしばしばであった。

 寿は緊張が解れた様子の大峰を見、言葉を続ける。


「それじゃあホシをとっ捕まえる前に今回のヤマのおさらいだ。もう何も見ずに言えるな?」

「はい。ええと……」


 湾区いりえく児童連続誘拐殺人事件。読んで字のごとく、湾区の広域で行われた年端も行かぬ児童の連続誘拐、そして殺人事件だ。子どもたちの保護者には犯人からの要求が行われることは無く、数日の行方不明の後に無惨な遺体が見つかったことから、快楽目的の犯行と見て捜査が行われた。そして捜査線上にのぼってきたのが、今から逮捕に向かう露手大雄ろでひろお、というわけだ。

 大峰は事件のあらましを車両を運転しながら暗誦してみせた。寿は満足そうに軽く手を三度叩き、顔を前に向けた。車両は高速を降り、湾区の道を走り出している。


「上出来だ。それじゃ、急いでホシの下へ──あん?」


 寿が大峰を促そうとした時、車両に取り付けられた無線が声を上げた。眉をひそめた寿が、即座に無線を取る。無線の発信元は、先んじて露手の家を見張っていた仲間の内の一人、浜村はまむらであった。


「ハイこちら3号車」

「ザザ……こちら浜村……寿か!逃げ……」

「ホシが逃げるってのか!すぐに向かう、だからお前も……」

「違う!……!来るんじゃない……!」

「あ!?どういうこったよ!?」

「ア……ウアアアァァァ!!!」


 浜村からの無線は、寿の問い返しに答えることなく、悲鳴とともに打ち切られた。静まりかえる車内、ただごとではないと察した大峰と寿は、互いに脂汗をかいている。重苦しい空気の中、しばらく車が道を進んでから、大峰がようやく口を開いた。


「……行く……んですよね、これから」

「……当たり前だろ、なんだかんだ言ってたが、結局は凶悪犯が逃げようとしてんだ!オマワリサンが捕まえに行かねえで誰が市民の安全を守んだよ」


 そう口にする寿とて、全く泰然自若としているわけではない。先程垂らした脂汗に加え、引きつった口元、そしてひそめたままの眉。ストレスが増えたときによく見られる溜息の頻度もまた増えている。しかし決意は堅いようだった。……先輩がそのつもりなら、俺も覚悟を決めるか。大峰は寿に釣られるように大きく息を吐いて、警察用車両を駆り、湾区の道路の網を伝った。


 ──────────────────────


 現場に辿り着いた二人を待ち受けていたのは、想像だにせぬ酸鼻極まる光景であった。警察用車両であったと思われる鉄の塊が路傍に転がっている。そして先に持ち場に付いていたはずの仲間たちの姿は一人も見当たらない。いや、正確にはと言ったほうが正しい。数多くのホトケを見てきた寿すら、瞬時に口を覆ったほどだ。大峰が戻したのは言うまでもない。


「これ、これみんな、みんな……嘘でしょ寿さん……?」

「シッ、オレに聞くなッ!嘘だったらどんだけ僥倖かね……!」


 事ここに至れば、いよいよただごとではない、いや"ただびと"ではない。警察官の理想や理念だけではどうにもならない危険物がそこにいることは間違いがなかった。小声で大峰を叱責した寿であったが、それが無力感による苛立ちに起因した八つ当たりであることは否定できない。生唾を飲み込みながら、寿は怯懦している大峰に指示をした。


「大峰、急いで連絡入れろ」

「え、あ、応援、ですか……?」

「馬鹿野郎、救急だ。この後に備えろ」


 救急?この肉の塊ともいえない残骸を前に?そんな疑問が大峰の脳に去来する。いや、この後……ということは、つまり、未だ寿は二人で露手を捕まえるつもりなのだ。この惨状を作り出したのであろう元凶を、二人で!無理だ!と本能が叫ぶ。しかし口からは掠れた吐息が漏れ出すばかりである。


「何やってる、早く連絡しろ!」

「え、あ、あ……ハイ!」


 寿の叱咤が再度飛ぶ。普段は頼もしく思えるその背が、今回に限ってはとてつもなく憎らしく見えた。震える怯えた声で、救急車の手配を済ませる。この仕事を終えれば、怪人とお目見えということになるだろう。時間よ経つな!もしくは飛んでしまえ!そんな荒唐無稽な願いも虚しく、寿はすでに犯人の家のドアに手をかけている。大峰も半ば自棄を起こして、その後に続いた。


「水音が、するな」

「ええ……」


 ドアに鍵は掛かっていなかった。相当急いでいたのか、それとも別の理由か。しかし不規則に撒き散らされる水音が、犯人が現場から去っていないことを如実に語っていた。暗い廊下を、一つ点と光る洗面所らしき明かりが照らしている。大峰は視線を壁に向け、声にならない悲鳴を上げた。出来上がっている影が、明らかに普通の人間のそれではない!寿もそれに気付くが、後ろ手に大峰を制し、拳銃を手にゆっくりと進んでいった。


 そいつはやはり洗面台の前にいた。まるで御伽噺に出るような、しかし薄汚く掠れた王冠を被り、同じような状態の王様のマントを羽織った、血の滴る人型の針金細工。それが第一印象だった。そいつが、一心不乱に洗面台で手を洗っている。針金細工の手に触れた水は一瞬で赤黒く染まり、排水口へと吸い込まれていく。異質な光景、異常な風景だった。もはや人知を軽く超えている、大峰のみならず寿もそう思ったことだろう。しかし大峰はともかく寿は、ここまで来て止まる男ではなかった。


「動くな!警察だ!露手──」


 しかしその言葉は簡単に止められることとなった。振り向いた針金細工が、一瞬のうちにその細長い拳で、寿の上半身を血飛沫に変えたのである。一人の男が為す術なく消し飛ぶ姿を見て、大峰の理性は容易く崩壊した。


「あっ、あ……嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 恥も外聞もなく、抜けた腰を引きずるようにしながら、大峰は敗走を始める。頼れる先輩も、助けてくれる仲間も、誰一人いない。全員が肉の屑になった。ここから逃げることが出来なければ、自分もそうなる。針金細工はけたたましい金属音を軋ませるような声を出しながら、ゆっくりと距離を詰めてきていた。半ば匍匐前進のような格好で、大峰は逃げる。開いたままの玄関を潜り、門を出たところで、大峰の身体は勢いよく宙を舞った。


 針金細工が右腕に脚を引っ掛け、蹴り上げたのだ。その勢い著しく、瞬時に切り離されて錐揉みに舞う自分の右腕を大峰は見た。痛みを感じる暇も、叫ぶ暇もなかった。そのまま身体を強かにアスファルトに叩きつけると、あるかどうかも定かでない意識で針金細工を見た。まるで汚らわしい物を触ったような態度だった。瞬時に、恐怖が怒りに塗りつぶされた。あいつは、あいつは。


 ──


 許さぬ、許しておけぬと薄れる意識の中、大峰は、機械の竜の夢を見た気がした。


 ──────────────────────


 数分後、立て続けの邪魔の煩わしさに針金細工が立ち去ったその現場に、数人の救護隊員とともに、金髪の異人の女が現れた。白衣は身にまとっているものの、医師とは思われぬ様子であった。


「おや、この男は……成程成程!"ジルニトラ"に"差された"のはコイツだったわけか!おおい皆、この男はまだ助かるよ!私が責任を負おう、最優先で私のラボへ運んでくれ給え!」


 手早く肉片を片付けた救護隊員たちはその言葉を聞き、急いでその男を担架へ載せ、救急車に運び込むと、最寄の病院とは異なる方向へと走り去っていった。女は撒き散らされた血痕、そして露手の家を眺め、クツクツと笑った後、一瞬で姿を消した。後に残ったのは、惨状の名残のみであった。






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