僕の彼女はマッチョがお好き
壱ノ瀬和実
僕の彼女はマッチョがお好き
「私は筋肉にエロスを感じます」
「理解しがたい」
僕と彼女は相容れない。
最近、彼女は僕によくアピールをしてくるようになった。
「胸鎖乳突筋、あれは特に良いですね。太くて固そうなのに流麗な美を持っています。あれで私はイチコロです。どうですか」
「どうですかとは」
「鍛えませんか」
「理解しがたい」
「何故ですか」
彼女はずっと真顔だ。真剣だ。ふざけているのではない。
「君は僕と交際している」
何なら同棲までしている。
「僕の身体は貧相だ。筋肉どころか、腹回りには少々肉も付いてきた」
「それが何か」
「君は僕が好きかい」
「好きです」
「君は筋肉にエロスを感じると言ったね」
「はい」
「僕にエロスは感じないのか」
「感じます」
「じゃあ筋肉はいらないじゃないか」
「より感じたくて」
「変態じゃないか」
「包み隠せなくなって」
彼女は真剣だ。だから引かない。遠回しに筋トレを薦めるようになったのは一ヶ月近く前。直接言うようになって今日で三日目だ。彼女は僕に筋トレをしろと言う。二人がけのソファで普通に腰掛ける僕の横で、彼女は正座をして僕のほうを向いている。
「君は筋肉が付いた人にエロスを感じるのかい」
「それはもう」
「じゃあ筋肉のない僕は一体なんなんだい」
「筋肉がなくても好きになった人はあなたぐらいなので」
「それは嬉しい」
「じゃあ鍛えてください」
「イコールではないね」
彼女は真剣だ。だから冗談が通じない。
うすうす勘づいてはいた。デートでプロレスに行こうと誘われた辺りからなんとなく分かってはいた。けれど、まさかここで僕に鍛えろと言ってくるとは思わなかった。
僕は深く溜息を吐いた。
「君の好きな、ナンチャラ筋」
「胸鎖乳突筋」
食い気味っ。
「ああ、その筋肉。それが君の理想通りになるには、きっと膨大な時間と努力が必要だと思うんだ。並大抵ことじゃないだろう。それは無謀だとは思わないか」
「思わない……ことはないです」
声のトーンが沈む彼女に、僕もソファの上で正座して、向き合った。
「僕は、料理の上手な女性が好きだ」
「……」
「出来ればおっぱいが大きくて、あと、自分より背の高い女性が好みだ」
彼女の手を握る。
「でも、僕は君が好きだ。一番好きだ。料理が得意じゃなくて、おっぱいぺったんこで、背も小さい君が好きだ。ふと笑ったときの笑顔が素敵で、緊張すると声がうわずって、子供のおつかいを見て号泣し、電車ではお年寄りにすぐさま席を譲る。そんな君が、たまらなく好きだ。たぶんもう、君以上に好きになる人は現れないと思う」
彼女の目が髪に隠れる。僕には分かる。照れているのだ。
「それじゃ駄目かい?」
「……駄目、じゃないです」
僕と彼女は相容れない。
価値観の相違はあちこちに見られる。
でも、僕は彼女が好きで、きっと彼女も僕を好きでいてくれている。
それで、いいんだと思う。
「だけど」
……だけど?
「おっぱいは大きく出来ないけど、筋肉はどうにかなるじゃないですか」
「ああ食い下がる系だ」
「とりあえず走りませんか。一緒に」
「あ~一緒なら嫌じゃない僕がいるな」
僕の彼女はマッチョがお好き 壱ノ瀬和実 @nagomi-jam
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