艦内の様相 其の三

長須院竜胆殿下の給仕・長谷川千鶴の話を要約するとこうだ。


 給仕用品を厨房に運んでいた際に茶葉の缶を彼女の部屋に忘れてきたことに気づいて取りに戻ったところ、厨房への帰り道がわからず艦内を彷徨っていた。艦内を彷徨った挙げ句、袋小路に入り込んでしまった。どうしようと考えていると、天井のハッチと梯子に気づいたので、助けを求めていたということだ。


「話には聞いてはいたのですが、戦艦の中は本当に複雑になっていて大変驚きました」


 ニコニコと微笑みながら歩く長谷川女史の話を聞きながら健介は若干引きつった笑みを浮かべていた。


 迷った。その一言で済ますには問題のある大冒険であったからである。何箇所か配管の隙間など通路ではない部分を歩いたりしていたのだ。よく怪我をしなかったなと、健介はある種の敬意すら覚えた。


 加藤大尉は一体どこから管理区画に入ったのかと、長谷川女史の話を聞いていたが、途中から頭痛を感じたらしく、頭を抑えかている。


「方向音痴とかそんな次元の話じゃねえぞ・・・」


加藤大尉の呟きに健介は大いに同意した。


「あの薄暗い通路が行き止まりだった時は途方に暮れましたが、お二人に見つけて頂き、こうして一緒に来てくださるなんて感謝しきれません」


 大丈夫か、この子。ただ一人、朗らかな様子の長谷川女史に健介は呆れてため息をついた。


「ははは。お気になさらず」


 加藤大尉は豪快に笑ってみせた。長谷川女史が”お客様”だから笑っているが、『祥風』乗組員であれば鉄拳制裁間違いなしだ。


話しているうちに、三人は厨房の近くまでやってきた。角を曲がればすぐそこだ。


「そこの角を曲がれば、主計科のー」


 角を曲がったところでピタリと加藤大尉が立ち止まった。何事かと健介が見てみると、厨房の入口から身を乗り出して廊下を覗いている人々の姿があった。主計科の兵卒から幹部付きの軍属の料理人まで結構な人数だ。あんなことをしていたら主計科長の鉄拳が振り下ろされるだろうに。


「何だあれ?」

「さあ?」


 頭を捻る健介と加藤大尉。そんな二人を尻目に長谷川女史はパタパタと走り出した。

 

「皆さん、只今戻りました」


「千鶴ちゃん戻ってきた!」


 長谷川女史の姿を見てわっと沸く主計科の面々。なかなか帰ってこない長谷川女史を皆して待っていたということだろうか。


「飯塚少佐、千鶴ちゃん戻ってきましたっ!」


 兵卒が厨房の中にいる誰かにそう呼びかけると、それまで聴こえていた規則的な音がピタリと止まった。誰かが包丁で食材を切っていたらしい。


「千鶴ちゃん、おそかったなぁ」


 猫なで声と呼ぶには厳しい声を伴って大柄の壮年の男性が厨房の中から姿を現した。


「申し訳ありません、飯塚少佐。道に迷ってしまいました」


 長谷川女史は厨房からでてきた男性ー主計科長の飯塚少佐に頭を下げた。

 いやいや気にすることじゃない。飯塚少佐は長谷川女史に顔を上げるよう促しながらそう言った。


「やっぱウチの若いやつを案内係にするべきだったなぁ。申し訳ない」


 飯塚少佐は前かがみで手を合わせて長谷川女史に謝った。飯塚少佐の後ろで何人かがうんうんと頷いている。


「いえいえ。最初にお断りしたのは私の方なのですから」


そこで長谷川女史は健介たちの方を振り返った。

 

「あちらの加藤大尉と里田大尉に案内していただきました」


 ん?と目を細めた飯塚少佐の表情に見慣れたものを感じたのも一瞬。


「おお、加藤大尉に里田大尉。千鶴ちゃんが世話になったようだな」


 猫なで声ではないものの、いつも以上に親しげな様子で話しかけてきた。健介は、珍獣を見せられたような気分で飯塚少佐の事を見ていた。


「運輸科と砲術科の夕飯は少し多めにしておいてやるから、楽しみにしておけ。そらお前達、仕事だ仕事」


 豪快に笑い、主計科の面々に仕事に戻るように指示した。その声も普段よりかなり柔らかい。 


「お二方、大変お世話になりました」


 長谷川女史は深々とお辞儀をすると厨房の中に入っていった。後を追うように主計科の面々も厨房内に引っ込んでいった。


 廊下に健介と加藤大尉だけが残された。


「見たか?」

「見ました」


 二人は呆然とした面持ちで厨房の出入り口を眺めていた。


 飯塚大悟郎主計少佐。かつて戦闘艇母艦『早雲』にて物資の横領、主計科兵への恐喝行為ー通称”銀蝿”を繰り返していた戦闘艇乗組員達を尽く叩きのめしたことから”蝿叩”の異名を持つ人物だ。


 この『祥風』でもその二つ名に恥じぬ腕っぷしで、陸戦科の笹原大尉、医務科の霧島医務中尉と並ぶ”三鬼神”の名で恐れられている。


 そんな飯塚少佐が孫を可愛がる好々爺のような表情を浮かべていたのだ。健介は2年ほどの付き合いであるがあんな表情をした飯塚少佐を見たことがなかった。


「あの飯塚少佐があんな顔するなんてなぁ」


 以前、加藤大尉は飯塚少佐とは7年近くの付き合いになると言っていた事を健介は思い出した。

その加藤大尉がそう言うとなると、非常に珍しい事のようだ。


「明日は嵐か乱気流だな」


加藤大尉は顎をさすりながら呟いた。

いくらなんでも言い過ぎだと健介は思ったが、目にした光景に衝撃にをけていたため、生返事を返していた。

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碧天を行く 〜航空戦艦『祥風』の軌跡〜 幻之蘆原 @ttofwf0211

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