艦内の様相 其の二
「な〜にが”話の通じる方”だ。話が通じねぇのはどっちだよ」
艦内の廊下を歩きながら、先ほどとは打って変わって口汚くなった加藤大尉はブツブツと文句を垂れ流していた。
階級こそ同じ大尉ではあるが、先の大戦から『祥風』の乗組員である加藤大尉の方が先任である。『祥風』に着任してから色々とお世話になった一回りほど年の離れた先任大尉の愚痴を聞きながら、健介は周りの様子に気を払っていた。
食堂から艦首方向に伸びる廊下は今の時間帯には人通りが少なく、見知った顔の兵卒が二人に敬礼を取り足早に去っていっくことが何回かある程度であった。それでも、万が一近衛兵に出くわすかもしれない
「加藤大尉、うっかり聴かれたら大変ですよ」
健介はやんわりと注意を促してみた。
「良いんだよ。そうすれば連中も他を当たってくれるだろうよ」
けっ。加藤大佐は唾を吐く真似をした。本当に吐かなかったのは彼なりの礼節なのだ。近衛兵に対してではなく『祥風』への、だ。
「松山大佐と照坊がいない時に話を持ち出してくる所が機に食わねえ」
そのことに関しては健介も大いに賛同した。
「警備計画の返答、どうなると思いますか?」
「連中の要望がほぼ通るだろうな」
加藤大尉は面白くなさそうにつぶやいた。
「殿下の安全の為と言われたら、誰も反対できねぇよ」
「陸戦隊が納得しますか?」
「松山大佐が言えば陸戦隊の奴らは納得はしてくれるだろうが、この様子だと道中問題は起こりそうだな。お前のところも気ぃつけろよ」
「そう、ですね・・・」
健介の属する砲術家は基本的に砲室にこもっているので近衛兵とかち合う事は少ないだろうが、『祥風』に乗っている以上、全く接点がないとは言い切れない。健介は大きなため息をついた。
「・・・ん?」
何かに気付いたのか、加藤大尉は足を止めた。
「加藤大尉、どうかされましたか?」
健介の質問には答えることなく、加藤大尉は耳をそばだてながら眉をひそめた。
「なんか聴こえないか?」
「何か、とは?」
健介は立ち止まって耳を澄ましてみたが、聞こえてくるのは『祥風』の機関が立てる駆動音だけだった。
「なんか、人の声みたいな。健介もやってみろ」
加藤大尉は両手を耳に当てて、
健介も真似をして先程よりも集中して音を聴き分けてみようとする。相変わらず機関の音しか聞こえないのでは。そう思っていた矢先、
おーい。もしもーし。だれかー。
機関の駆動音に紛れてそんな音が聴こえた。いや、これは人間の声だ。
「若い、女の声?」
「聴こえたろ?」
健介の疑問に加藤大尉が食いついた。
「ええ。しかし一体どこから?」
健介と加藤大尉は不思議に思いながら、廊下を見回してみた。見知った場所である。声の出どころはすぐに分かった。
「ここからか?」
加藤大尉は廊下の床につけられたハッチの蓋の前にしゃがみこんだ。蓋には”管理区画”の文字が並んでいた。
この廊下の下には艦内に張り巡らされた電話線や送気管、機関で発電した電力を艦全体に送り届けるケーブル、給水管や排水管といったものが収められた”管理区画”が存在している。二人の足元のハッチはそこに出入りするためのものだ。
健介は試しにハッチの蓋を二・三回叩いてみる。すると、先程よりも声がはっきりと聞こえるようになった。それを聞いて健介は加藤大尉と視線を合わせた。どうやら声の主はこの下にいるらしい。
「待っていろ。今開ける」
健介はハッチの蓋に着けられた開閉ハンドルを『開く』側に回した。ガチンと音が鳴ると、健介はハンドルをそのまま引っ張り上げ、ハッチの蓋を開いて中を覗き込んだ。
2メートルほど下の暗がりに一昔前の女学生を思い起こさせる紫の袴の上から割烹着という、戦艦に乗っている事が奇妙な出で立ちの少女がこちらを見上げていた。
「ああ良かった。やっと気づいて頂けました」
ぱっと花が咲いたような笑顔であった。
「そこのお二方、申し訳ありませんがは梯子をお降ろして下さいませんか?」
見れば、管理区画へ降りるための梯子は途中で2つに折りたたまれている。
「今下ろす。危ないから下がってくれ」
健介の言葉を聞いて、少女はパタパタと音が立ちそうな動作で後ろに下がった。
加藤大尉が梯子を固定していた金具を操作すると、折りたたまれた梯子が開いた。かなりの勢いで床にぶつかり、けたたましい音が鳴った。
梯子を登ってきた少女に手を貸して、廊下に引き上げる。かなり小柄な子だな。健介はそう思った。
「ありがとうございました。ええと・・・」
そこまで口にして、少女はピタリと固まったのも一瞬、急に慌てだした。
「申し訳ありませんでした。私は長須院竜胆殿下の世話係を務めさせていただいています。長谷川千鶴と申します」
長谷川と名乗った少女は丁寧なお辞儀をした。
「もしよろしければ、お二人方のお名前を教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「俺が加藤で、こっちの眼鏡が里田。二人共大尉だ」
加藤大尉のぞんざいとも言える自己紹介も気にする様子もなく、長谷川千鶴女史はhんふんと頷いていた。
「加藤大尉と里田大尉。助けてくださってありがとうございます」
「私は厨房に戻りたいのですが、道に迷ってしまいました。ご迷惑でなければ厨房までの道を教えていただけませんでしょうか?」
「迷ったって・・・」
彼女のいる管理点検区画は『祥風』乗組員でも運輸科の一部の人員しか侵入することのできない区画であり、”迷って”侵入できるものではない。
そもそも、厨房こと調理室は船尾側。反対方向にあるのだ。
健介は、この長谷川という少女が方向音痴であるということを確信した。
それは加藤大尉も同じであったらしく、二人は顔を見合わせると強く頷きあった。
「俺たちも一緒に行こう」
「いえいえ、お構いなく。道を教えていただければ、私一人で戻れますので」
全く信用性のない言葉で長谷川女史は断ろうとした。
「気にしないでください。此方も主計科に用がありますので」
健介もそうだよな。そう言って加藤大尉は健介に同意を求めてきた。
勿論、主計科に用があるなんて真っ赤の嘘だ。しかし、何もしないほうが仕事が増えそうだ。健介は総判断した。
「ああ、実はそうなんだ」
ふたりの言葉に、長谷川女史は嬉しそうであった。
「そうなのですか?それならば、お言葉に甘えさせていただいても宜しいでしょうか?」
先ほど加藤大尉が近衛兵達に見せた笑顔のなんと薄っぺらなことか。
健介は目が眩んだかと錯覚した。
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