幕間 『祥風』航行日誌 其の壱

艦内の様相 其の一

松山大佐と照良がいない間に栄島軍港に停泊する『祥風』艦内では面倒な事が起きていた。


 その事に『祥風』砲術科科長・里田健介大尉が気付いたのは松山大佐に提出する資料を作成し終えて、気分転換に外の空気でも吸おうと後部甲板へ向かっていた時であった。


 廊下を歩いていると、なんだか騒がしい。何事かと訝しみながら健介が 廊下の角を曲がってみると、食堂の出入り口に中を覗き込むように兵卒・下士・士官が入り乱れた人だかりが出来ていた。


 健介はこれまで艦内で人だかりなど、なにか問題が起きた時の野次馬しか目にしたことがない。


 おいおい。まだ出向すらしていないんだぞ。そう思いながら人混みもかき分けてゆく。最前列まで身を乗り出した健介が見たものは、長机を挟んでにらみ合う2つの集団であった。


 片方は健介のよく知る運輸科科長・加藤大尉を中心とした『祥風』運輸科の面々だ。『祥風』艦内でも古参の多い科であり、松山館長不在の今、現在の『祥風』において実質上の最高権力集団である。


 もう一方は、健介達とは色違いの軍服の袖を通し、赤地に金糸で梅の花と鷹の刺繍が施された腕章をつけた集団であった。今回の”浮舟の儀”で竜胆殿下に随伴する事になっている近衛兵達だ。


「ですから、警備の件は事前の協議で決定していると伺っています」


 加藤大尉は表情からは分からないが、内心では大いに辟易しているらしく声が些か低い。それでも普段の加藤大尉の口調から比べると格段に丁寧な言葉づかいである。


 しかしながら机に並んで座っている加藤大尉の部下たちは何かあれば暴力沙汰になってもおかしくはない雰囲気をまとっていた。


「その事は承知している。しかしだ、姫殿下の護衛は万全であるべきであり、その任につくのは我ら近衛であるべきなのだ」


 一方の近衛兵はというと、横柄な態度ですら品があるといった様子で、本人達は公平な立場で話しているつもりなのだろうが、明らかにこちらを下として認識している様子だ。


 会話の流れがよくわからない健介は、人混みの中から砲術科の下士官で自身の部下である梅野曹長を見つけ声を潜めて何事か問いただしてみた。


「近衛兵の連中が事前に決めていた警備計画では不備があるからとかなんとかで、警備の配置を変更したいと言っているようです」


 うわあ。やりやがった。健介はこめかみをグリグリと親指の腹で押した。


「松山大佐と朝倉大尉がいないので、運輸科科長の加藤大尉が対応に当たっているのですが、話が堂々巡りしているみたいで」


 梅野曹長はハラハラとした様子だが、どこか楽しげであった。


 松山大佐のいない時にこの話を持ち出してきた嫌らしさに健介は不愉快な感情を表情に出さずにはいられなかった。


 見れば周囲の『祥風』乗組員達も苦虫を噛み潰したような顔をしていたり、不満げな顔をしている者の中に梅野曹長をはじめとした数名が何事か起こるのかと目を爛々と輝かせていた。


 ”喧嘩と祭りは弥生の華”という言葉があるが、今は勘弁してくれ。健介は頭を抱えた。


「実際にこの船に乗ってみて分かった。そちらが事前に提出した資料よりも艦内の構造が複雑で、警備に支障が出ることは明白。姫殿下に万一のことがあってはならないのだ」


 外野の様子など気にすることなく、近衛中尉は『祥風』艦内全体を周囲を見渡すかのように首を回した。


「この艦の乗組員に殿下の玉体に傷をつける様な不届き者がいると?」


 加藤大尉は不機嫌そうに顔をしかめた。運輸科の面々も似たような表情を浮かべた。身内を疑われるほど不愉快なものはない。入口付近に集まっていた乗組員達も色めき立った。


「そうではない。かの有名な松山健一朗大佐の『祥風』にその様な卑劣な輩がいるとは此方も考えていない。しかし、警備とはあらゆる事態を想定して行うべきものである。ならば、万全を期すためにも計画の変更を承諾してほしいのだ」


 近衛中尉は乗組員を疑っていることを否定しつつ、やはり警備計画の変更の要求は飲ませようとしてきた。


 ここまでの話を聞いて健介はふと疑問に思った。


「警備の話なら、なんで陸戦科の笹原大尉がこの場にいないんだ?」


 灯華軍の軽巡クラス以上の艦船には陸戦隊一個小隊から一個中隊規模の人員艦内の治安維持若しくは白兵戦を想定して乗船している。艦底側にある陸戦隊の詰め所と化している訓練室に行けば、陸戦科科長・笹原大尉に会うことができるはずだ。


「警備の話なら、笹原大尉もこの場にいるべきだろう」


 そういえばそうだ。なんでいないんだ?

そんな疑問が群衆の中に広がっていった。


「そちらが出された計画書ですが、我が方の陸戦隊の警備区画を縮小し、その分を近衛兵げ警備を行うということですが…」


 加藤大尉は机の上に置かれていた警備計画書と思われる紙を手に取り、にこやかに口を開いた。


「『祥風』の陸戦隊はどこに出しても恥ずかしくない兵です。警備なら信用してもらってもなんの問題もありません」


 それでも近衛兵達は引き下がらない。むしろ身にまとっていた雰囲気に棘が増えたような気がした。


「我々はその陸戦隊に問題を感じているからこそ、こうして貴官と話をしているのだ」


 どういう事だ?健介は梅野曹長と顔を見合わせた。


「それはどういうことでしょうか?」


 加藤大尉も近衛中尉の言葉に疑問を持ったらしい。


「我々は前もって陸戦科科長である笹原大尉を警備計画について話し合おうと思い、訓練室に赴いた。そこで等の笹原大尉から、”そういう大切な話なら加藤大尉のほうが詳しいからそっち先にを当たってくれ”と言われたのだ。その後もなんとか話し合おうと努力したのだが、私の部下が殴られそうになった」


 あちゃあ。誰かがそう漏らした。


 健介はその様子を容易に思い浮かべることができた。現に健介も照良も何度か殴られそうになった経験があった。


「・・・笹原大尉ならやりかねないか」


 健介はこめかみを親指でグリグリと揉んだ。


「やりかねませんね。後ろから話しかけると、反射的に殴ろうとしますからね。あの人」


 梅野曹長も頷いていた。


 ”背中を取られた時点で負けたのだ。ならば刺し違えになったとしても相手を討て。そもそも味方なら堂々と正面からやってくるはずだ”


 先の大戦で培われた先人達の教訓を最も色濃く継ぐことのできた陸戦隊の鉄の掟であった。


「そ、そうですか。それは大変ご無礼を」


 若干引きつった表情で加藤大尉は応えた。

 心の中では陸戦隊員に対しての罵詈雑言が心の中を駆け巡っていることだろう。健介は心の底から加藤大尉に同情した。


 「現場の人間がこの場にいない事は、相手に対してとても不誠実であることはこちらも十分承知している。しかしそれは、相手が分別のつく相手であることが条件になる。曽於事を理解して頂きたい」

 

 近衛兵達がやや前のめりになってきた様子を見るに、”この場で何らかの答えを出せ”と圧を掛けているつもりらしい。


 加藤大尉は大いに悩んだふりをした後に大きな咳払いをして、思いっきりの愛想の良い微笑みを浮かべた。


「今は現場を任されている身ではありますが、小官一人では決めることはできません。式典が終了し、松山大佐が戻られてから改めて計画を考え直しましょう。皆様が懸念されている所は松山大佐に私から伝えておきますので、どうぞご安心を」


 何人かの近衛兵が不満げな表情を浮かべていたが、隊長格の士官は頷いていた。この話が今の状態ではこれ以上進展しないと判断したのだろう。


「では松山大佐が戻られてから改めてこの件について話させてもらおう」


 近衛中尉は椅子から腰を上げた。


「お手数をおかけてしまい、申し訳ありません」


 加藤大尉は申し訳無さそうな表情で頭を下げた。腹の中では何を考えているのやら。健介はお鬼に感心した。


「いや、貴官の様な話が通じる方がいて良かった」


 では失礼する。そう言うと、近衛兵達は席を発った。その様子を見て入り口に群がっていた乗組員達は慌てて道を開けた。


 悠々と食堂を出て廊下を歩いてゆく近衛兵達を健介達はその背中が見えなくなるまでじっと見ていた。


 


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