一年目 ナツ-4-


 翌朝、朝食を終え支度を済ませた二人は街へ出た。

「よし! 行くかー!」

「うん、行こう」


 二人の見た朝の街の景色は、夕暮れ時とはうって変わっていた。

 人々は穏やかに挨拶を交わし合い、花売りは街を歩き、屋台や商店も開かれ、子供達は街を元気に駆け回る。

 そんな人々の日々の営みがそこにはあった。

「昨日きたときとはぜんぜん違うな」

「うん、そうだね」

「時間帯がかわるだけでこんなに雰囲気変わるんだな」

「……そうだね。みんな時間ごとにやることが変わるから、習慣は繰り返す。私もマヒロもこの世界も」

「そっか」

 ミヨの言葉に納得して頷いて、マヒロは周囲を改めて見回して、そういえば……と言葉を続けた。

「あのさ、ミヨは色を覚えてて俺は知らないだろ。俺にはふつーにみんな暮らしてるように見えて、色がないことに違和感って無いけどミヨはどうなんだ? 違和感ってあるのか?」

 マヒロの問いに沈黙し、深く考え込む。しばらくしてようやく口を開いた。

「……私は色があった頃の記憶も感覚も残ってる。だから、やっぱり未だに慣れないし、感情的な感覚で言うなら……ずっと違和感はある……」

 ミヨは考え込み、目を閉じる。そして過去の色の失われていなかった世界を思い出してみる。

 暫く沈黙して、ミヨはゆっくりと目を開いた。そして、……私は、と言葉を口に出す。

「色がある世界のほうがずっと綺麗なことは間違いないと、私は思う。やっぱり……、私は知っているから寂しい」

「知ってるから辛いんだな」

「そうだね、……うん、そう」

 色が失われていても、確かに人々の営みは続いていている。変わらない規則性で人々は生き続ける。永遠に、一定の規則性を繰り返す。

 世界もまた然りだ。

「俺じゃ同じ感覚を共有できなくてごめんな」

「ううん。……そう思ってくれるだけで、私は嬉しい」

「そっか……なら良かった」

 そう言ってマヒロは微笑んだ。


「花の街ならではなんだろうけど、花のお世話する人多いな」

「……そうだね」

「入り口のアーチもそうだけど、どこ見ても花があるだろ。宿にもさ。それにこれから見にいく花壇にも、花があるだろ?」

「うん」

「全部ちゃんと手入れされて、大事にされてるよな。すげーって思うよ」

「……そうだね」


 二人が街を歩いている最中、花の手入れをする人が多く居た。花に声をかけ、微笑みかけ、大切に世話をする。

 聞こえてくる街の人々の会話からも頻繁に花の話題が挙がっていた。花が好きで大切にしていることが分かる光景を二人は幾度も目にした。

 でも……、とミヨは言葉にせずに心の中で思う。

 大切にする花の名前、そこにあった思い出を人々は忘れている。だが忘れていることに違和感を抱くことはない。

(……昨日の女将さんの反応からすると、みんな花の名前をきっと忘れてるんだろうな)

 だからこそミヨは思うのだ。

 それはとても悲しいことだと。

 忘られる事はとても悲しいことだと、想うのだ。


 二人は街の中央の広場の大きな円錐状の花壇の前へやって来た。

「……でけー」

「うん、遠くから見るよりもずっと大きいね。すごい」

 花壇は段々に作られていた。見上げるほど高い花壇は段々ごとに花が一糸乱れずに咲き誇っている。

 一番高い所には、美しい女性の像がある。手に花束を抱え、頭には花冠をつけていた。

 優しい微笑みを浮かべた女性像は花に囲まれている。

「すごすぎて言葉にならないな、これ」

「……うん、すごい」

「あんな高いところまで花植えるなんてすげーよ」

「うん、大変そうなのにちゃんと手入れされて大事にされてるのが分かる」

 この花壇が愛され、大切にされてきたことが素人目の二人にも分かった。

 二人は感動して花壇をしばらく見つめていた。

 何か大きな物音がして二人はその音の方へ顔を向ける。

 そこに居たのは老人だった。梯子を持っており、花の手入れのための道具が入ったカバンを肩から下げていた。

 慣れた手つきで梯子を設置し、器用に花壇の上に上がって行く。老人は一切花壇の土を踏まず、縁を慎重に移動していた。

「すげーな、職人って感じだ」

「……この女性像、長い年月がたっているんだろうけど……痛みも少ない。……花壇も綺麗に保たれてる。職人技だね」

「あの人の仕事おわったら声掛けて話聞こうぜ」

「……うん、そうしよう」

 ミヨはマヒロの提案を受け入れて頷いた。


 二人は近くのベンチに座り、老人の仕事の終わりを待っていた。

「なぁ、ミヨ」

「……何、マヒロ」

「色を付けるならやっぱり、あの花壇の花がいいんじゃないか」

「……そうだね。私もそう思う」

 街の何処からみても存在感があり、必ず花壇の前を通る場所に立派に作られた花壇。

 それは誰もがこの街の象徴だと口にすること、間違い無いと言える。

(私の魔法がどれくらい通じるのか……、未知数で不確定だけど。……今は出来るって信じよう、そのほうが……きっといいはず)


「……色々この街に来てから調べてわかったことある」

 カバンから羊皮紙を紐で纏めた簡素な本を取り出す。ミヨはパラパラと目当てのページをめくった。

「……祝祭が行われなくなったのは師匠が亡くなった日だった。この街でその日、祝祭は行われるはずだった」

 捲ったページに書いてあることを見返し、ミヨは続けた。

「……正確な時間までは流石に分からなかった。けど、恐らく師匠が亡くなった瞬間と同時だったんじゃないかな」

「そっか……」

「師匠が亡くなったから色が失われたのか、それともタイミングが重なっただけで師匠の死とは無関係だったのか……。……今でも分からない、これから分かることがあるのか……私はそれも知りたいと思ってる」

「きっと分かるよ、これからさ」

「うん」

 そうミヨが頷いて本を閉じた時、一瞬強い風が吹いて花びらが本の中に挟まった。


 花壇の世話をする老人を待ってる間、二人は近くにある屋台の昼食を軽く済ませた。

 そして老人が作業を終えて降りてきて、少しした後に二人は声をかけた。


「お疲れ様です、手入れってすごい時間かかるんですね」

「……おや?」

 老人は、驚いたように二人を見た。

 マヒロは「驚かせてすみません」と一言謝罪した後、言葉を続けた。

「俺たちこの街に来たばかりなんです。この綺麗な花壇見てて、どうやって手入れしてるんだろうって話してたらおじいさんが来たので、話聞きたくなったんですよ」

「……おやおや、そうだったかい。そういう事ならなんでもこの老人に聞くがいい」

「……あ、あの! えっと、この……花壇を手入れしてるのはおじいさんだけですか?」

「季節ごとに担当があってな、ワシは春担当なんじゃよ。……好きでなぁ、この季節のこの場所がのう」

「あの好きの理由を……その、差し支えがなければ教えて頂けませんか? 」

「ほっほっほ、こんな老人に気を使ってくれなくてもいいんじゃよ。こんな老人の話を聞いてくれるなんて、なんともまぁ……嬉しいものじゃ」

 優しく老人は微笑んで三人は、ひとまず花壇のよく見えるベンチに腰掛けた。


「……ワシは庭師を若い頃からしておってな。そこで知り合った妻と結婚したんじゃ。……その妻はだいぶ前に亡くなったんじゃがな」

「……すみません」

「ほっほっほ、いいんじゃよ。優しい子じゃ」

 老人が柔らかく微笑む。長年刻まれた顔の皺が寄って、それがとても老人の人の良さを引き立てていた。

「……あの花壇にはなぁ、妻との……、妻との……大切な。……すまないお嬢さん。ボケが進んでしまったようじゃ……」

「……思い出せないんですね」

「ああ……そうだ。すまないのぅ……おかしいな、毎日手入れをしていて、あの場所を大切にしていたのに何も……ないのじゃ」

 老人は酷く、酷く悲しみんだ。刻まれた皺は先程と違いその悲しみの深さを物語っていた。

 ミヨは老人の背中をゆっくりと優しく擦った。

「……大丈夫です。きっと、思い出せます」

 ゆっくりとしっかりと老人にそうミヨは語りかける。

「……忘れてしまっているだけで、本当に大切な記憶と思いは決して消えたりしませんから」

 ミヨは優しく老人の手を包み込み、目を真っ直ぐに見つめて微笑んでそう言った。老人はゆっくりと目を細めた。一筋の涙が皺を伝って零れ落ちた。

「……そうじゃないと悲しすぎます。寂しすぎます。……辛すぎます。少なくとも私は……きっと耐えられないって思いますから」

「……こんな老人にそんな優しい言葉をかけてくれるなんて、お嬢さんは優しい子じゃ」

「……いえ、そんなことは、ないです……よ。私は弱いだけです、から……」

 ミヨのその言葉に老人は微笑んでうんうんと頷いた。

「弱さを知っているから、優しくなれるんじゃ。……お嬢さんのその優しい心は、言葉は少なくとも今ワシを救ってくれたんじゃよ」

 ミヨは泣きそうになって目元を拭って、少し涙声になり言った。

「……励ましてたはずなのに、私が励まされました。……ありがとうございます」

「ほっほっほ、よいのじゃよ」

 老人は笑った、優しく穏やかに。


 あの……と、ミヨは老人に問う。

「また明日もお手入れに来ますか?」

「ああ、もちろんじゃ。それしかワシにはありはしないからの」

 老人は頷いた。ミヨはその言葉を聞いてぎゅっと自らの手を握った。

「……明日、ここに……この花壇に必ず来てほしいんです。私が……私が、必ず魅せますから。……私がお爺さんの眠った大切な記憶に、ううん……お爺さんだけじゃないみんなに魔法をかけますから」

 決心するように、勇気を振り絞るように強く、強くそう老人に言った。

 老人はキョトンと首を傾げたが、すぐに頷いた。

「この老人を励ましてくれるのかい? ……わかった、そのお嬢さんの魔法をたのしみにしてくるとするよ」

(約束、どうか覚えてくれていますように……)

「……はい!」

 優しく微笑んで頷いた。老人はその後、その場を去っていった。

 二人はそれを見送った、姿が見えなくなるまでただじっと一言も喋らず。


「なぁ、ミヨ。聞いていいかな」

「うん」

「あの爺さん亡くなった妻の記憶あったけど忘れてるものじゃないのか?」

「……恐らく強い記憶は残る、んじゃないかって思うんだ」

「強い記憶?」

「……お爺さんは奥さんのことはちゃんと覚えてた。それは出会いっていう強いきっかけ。花壇に関わった記憶、思い出とか出来事が失われているだけでそれ自体は忘れないんじゃないかなって思う。……明確には言えないんだけど」

「つまりあの花壇で爺さんはすごく大切なことがあって、その部分だけの記憶が色と一緒に失われたんだな」

「うん」

「……それって寂しいな」

「……うん」

 それからしばらく二人は花壇をただ、静かに眺めていた。


 長い沈黙を破ってミヨは口を開いた。

「マヒロ、やっぱり普通じゃないって思ったの」

 ミヨは胸に手を当て、目を閉じ、自分で確認をするように言い聞かせるように言った。

「大事にしてたことを、思い出を……心の拠り所を思い出せないなんて……辛い、寂しい、悲しい。これが普通なんだとしたら、私はそんなの認めたくないって……思ったの」


「絶対にうまくできる自信なんて無いけど、私の魔法でお爺さんや沢山の人を救えるなら私、頑張ろうって思う。……自信を持てるように、なっていきたいって、そう思う」

 そうなりたいという力強い決意をミヨは口にして、握った拳をもう片方の手でギュッと包んだ。



『師匠のように上手く魔法は使えなくても、今出来ることを私を信じてくれた人のためにやりたい。街の人達に、せめてお爺さん一人だけでも、私の魔法はきっと届くって信じたい』

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シキサイの魔女 銀猫 @GinNeko22

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