一年目 ナツ-3-

「……はぁ、緊張した」

 部屋に入るとミヨは一気に緊張が解けて息を漏らす。街に来てからずっと気を張り詰めていたためか、ひどく疲労感を感じた。

 黒猫は、すぐに落ち着く場所を見つけたようで窓辺の窓台に座って毛繕いを始めていた。

「……ミヤは緊張とかしなさそうだね」

 ミヨはそんな黒猫を見て羨ましさを感じた。黒猫は知らん顔で欠伸をした。

 改めて部屋を見回す。

 整えられたベッド、窓台には花瓶に生けられた花がある。簡素な小さな木の机と椅子も置かれていた。


(……そういえば、一人きりになったのって、いつぶりだったかな)

 旅に出てからのミヨは最初こそ一人旅だったものの、後にマヒロと出会ってからというものずっと二人旅でいた。

 そのため一人になった時間は久しくなかったと言える。ミヨは妙な落ち着かなさを誤魔化すように、改めて部屋を見回した。

 ミヨは壁に花の装飾を象った縁の鏡を見つけて、久しく見ていない自分の顔を見る。

「あれ?」ミヨは写った姿に驚愕して、固まった。

「……ひどい顔してる。出来物も増えてる……、肌も荒れ放題。目の下のクマも……」


 思わずミヨは思い出してしまった。街で出会った女性が、すごく綺麗で素敵だと感じたことを。

「……髪もパサパサ、前髪も伸び放題。毛先なんて……枝毛ばっかり」

 ミヨは鏡に顔を近づけて角度を何度も変え、髪と顔をペタペタと触る。

(はぁ……情けない。こんな姿をマヒロは見ていて、幻滅しなかったのかな……、されてたのかな……)

 何度確認したとしても決して変わりはしない事実に、ミヨは絶望し深くため息をついた。そこでミヨはハッとした。

(ん……? 情けない、私は今そう思ったの? マヒロに幻滅されていないかを気にする……? 待て、待って、待って、待って!? ……どうして?)

 ミヨは自問自答する。


 理解できない感情が湧き上がったことでミヨの頭の中の思考回路が酷く狂う。ミヨはフラフラと椅子に座ると、頭を抱えた。

(いや、落ち着こう。野宿という環境は余りにも過酷なもので肌荒れ、及び髪の痛みは当たり前のはず)

 頭を抱えていたミヨは突然誰もいない壁に向かって、何度も頷く行為を繰り返す。無意味に手を上下に動かし、机を叩いてはブンブンと首を横に振り忙しなく動かす。

(私は元より見た目には無頓着だった。師匠にも幾度も自分を磨けと言われてきたけれど、関係無いと思ってた。……少なくとも師匠のところにいた時は無頓着であっても、こんなには悪化していなかった。……そのはず)

 次は勢い良く立ち上がり、部屋の中をウロウロと考え込むよう歩き回る。

 不意にミヨの視界に鮮明な師匠の姿が思い浮かび、声が響いた。


『女は美しく、可憐でそして聡明であるべきだ。ミヨ、君は聡明であるが美しさと可憐さがない。もっと自分を磨くべきだ。その努力は無駄にはならないとワタシは、そう確信している』

 ミヨの記憶の中の師匠の面影は凛として美しく、しなやかだ。

 一つ一つの所作に品がある、ただ顔は常に不敵な笑みを浮かべ、意地悪そうに目を細め、弟子をからかうような言動をする。

 声も姿もそのままの師匠の残像に困惑するミヨを見て、師匠がフッと笑った気がした。

 ハッとしてミヨは頭を何度か振り、師匠の残像がいた場所を再度みるが、そこには当然誰もいなかった。

 ミヨは呆気に取られて立ち尽くした。

「……気のせいだきっと気のせいだ。それよりも……考えろ、考えるの」

(マヒロは……旅の仲間で、唯一の友達だ。そう友達なんだ。仲間なの。だから、マヒロに見せる容姿を過剰に気にするなんて、無意味。だから、気にしなくたっていいの。そう……気にしなくてもいいの、いいんだ。……私疲れてる? そうだ、疲れているから思考が乱れているんだ。そうに違いない)

 ミヨは再び椅子に座り、そのまま机に突っ伏した。

(落ち着いて、落ち着くの。これは、そう疲れている私の思考の暴走、もしくは不具合のようなもので一時的なもの。とにかくまた同じことにならないように原因を……、対処を……)

 ミヨは考える。ひたすら考える、考えては思考がまた混乱する。

 ガタンと音を立ててミヨは椅子から滑らかに滑り落ちる。そのまま仰向けに床に転がったミヨは虚ろな瞳で一切動くことを止めた。ミヨは思考を放棄した。

 黒猫がミヨを見て目を細めては呆れるようにニャオンと鳴いて、また黒猫は窓の外を見た。



 ミヨの部屋にノック音が響く。再起動し着替えを済ませたミヨは声の方を向いた。


「俺だ。入って大丈夫か?」

「うん」

 マヒロは扉を開けて軽く手を上げ、挨拶して部屋の中に入って来た。ミヨはマヒロを見る。

「一階に公衆浴場あるってさ。飯食ったあと行こうぜ」

「……そうなんだ。うん、わかった」

「あと、洗濯できる場所もあるってさ。行けるときにお互いに行っとこうな」

「……うん、わかった。色々調べてくれたんだね、……ありがとう、私何もしてなくて……、ごめんね」

「どういたしまして。ミヨの方が何かと時間かかるだろうから、俺の方で調べとこうと思ってやりたくてやったんだから気にすんな」

「……ありがとう」

「そういや、女将が食事もうすぐできるって言ってたぜ。食堂行っとこうぜ」

「……うん、そうしよう。ミヤ、おいで」

 黒猫はミヨの声に返事をして、窓台から降りて来るとミヨの肩に飛び乗った。

「よし、行くか! はらへったなー」

「うん、私も」

「あ、ミヨ。鍵閉め忘れてるぞ」

「あ……うん。ありがとう」

 部屋を出てそのままぼーっと歩いて行くミヨをマヒロは引き止めて注意をした。ミヨはハッとして頷いて鍵をしっかりと施錠した。

 そして二人は一階に降りていった。


 二人は一階の食堂の扉の前に到着する。

 食堂から食事の出来ている香りが漂ってきて、二人の腹の虫が鳴った。恥ずかしそうに二人は顔を見合わせて、可笑しそうに笑った。

 そして二人は扉を開けて食堂に入った。

「おー! すっげー綺麗なとこだな、それにすっげーうまそうな匂いするな」

「うん、いい匂い」

 テーブルクロスの掛けられたテーブルにはナイフやフォークが並べられていた。またテーブルの上の花瓶には切り揃えられ、手入れの行き届いた切り花が飾られていた。

 二人はその中の一つに座った。黒猫は足元で待機した。

「おや、ちょうど食事ができたところだよ」

 宿の女将はにこやかな笑顔を浮かべて、トレー片手に二人の座るテーブルへとやって来た。

「簡単なものしか用意出来ないが食べとくれ。これは猫ちゃんのだよ」

 テキパキと女将はテーブルに食事を並べていき、最後に黒猫の前に食事を置いた。

「ありがとうございます!」

「ありがとうございます」

「どういたしましてだ。たんとお食べよ」

 女将は優しく微笑んで去って行った。

 二人は手を合わせて目を閉じて、いただきますと食事への感謝の気持ちを伝えた。

 食事は数多くの品数が用意されており、花の花弁が添えられたデザートまであった。

「うん、美味い!」

「美味しいね」

「この煮物なんて味が染みてて、すげー美味い!」

「私はこの和え物の味、すごく好き。……懐かしくてあったかいそんな感じ」

「ん……んん!? このデザートもすげー美味い!!」

「……んっ、ほんとだね。甘いのに甘すぎなくて、花の香りがほのかに口の中に広がって……美味しい」

「んー!! さいこーだな!」

 二人は料理に舌鼓する。そしてあっという間に完食した。

 黒猫も食べ終わり、満足げに顔を洗っていた。


「喜んでくれたみたいだね、よかったよ」

「はい! それはもう! すげー美味しかったですよ」

「……美味しかったです、とっても」

 黒猫も続いてにゃおんと満足げに鳴いた。

「そんなに喜んでくれたなら作りがいがあったってもんだ」

 女将はにこやかに笑っていた。嬉しいようだ。

 食器を片付けるのを二人も手伝いたいと伝え、承諾されたので手伝った。

 あらかたの片付けが終わり、女将はテーブルを拭くために、花瓶を別のテーブルに大事そうに移動させた。


 それをミヨは見ていた。

「あの、一つ……聞いてもいいですか?」

「ん? なんだい?」

「今の季節の花は、この花瓶に生けられている花ですか?」

「ああ、そうだよ」

「……綺麗で可愛い花だなって思うんですけど……、えっとこの花の名前はわかりますか?」

「名前? そんなの……ん? んー……何だったかな。」

 ミヨはじっとその女将の姿を、言動を観察した。

「あー……すまないね、分からなくなっちまったみたいだ。歳かねぇ。片付けありがとうね、お風呂入るなりして、さっさと眠りな、おやすみさん」

 と言って女将は苦笑して首を傾げて謝罪すると、テキパキと残りを片付けた。そうして女将は優しく二人に優しく笑い掛けて去っていった。


「なぁ、ミヨ。なんで女将にあんなこと聞いてたんだ?」

「……ここに来た目的のための聞き込みみたいなもの」

「なんか分かったか?」

「……恐らく、イロが失われてるからこの花の名前が忘れられてる。」

「なるほどな。じゃあイロが戻れば、名前わかるのか?」

「……恐らく、そうだと思うけど明日もう少し調べて見ようと思う。……手伝ってくれる?」

「当たり前だろ」

「……ありがとう」

 黒猫がひょいとミヨの肩に飛び乗って、にゃあと鳴いた。

「うん、ミヤもお手伝いよろしくね」


 こうして二人はその後お風呂で身体を清めた後、お互いの自由時間にしようということになり各々別行動することになった。

 明日の朝ご飯を食べたら街を歩く約束をして、その日二人は就寝したのだった。



『イロを再び彩れば女将さんは、街の人たちは花の名前を思い出せるのかな。とにかく調べないと……正体の分からない感情を調べるより、そっちのほうが優先だ』

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