花言葉の意味
「あぁ、ごめん。起こした? というか、キミがこんな時間に起きるなんて、珍しいね」
「……たまたまだ」
起きていたのは、白川だった。意識が徐々にはっきりしていく。見えているはずなのに、周りを認識しないという不思議な感覚の中、懸命に自身のいる場所を認識していく。
そうしてやがて、そこはベランダであることが分かった。カーディガンを羽織って出てきたようだが、それでも肌寒い。辺りは薄暗く、この冷えた空気を鑑みるに随分と早朝のようだ。
「んで、何してるんだ」
「花に水をね」
その言葉に疑問符を浮かべていると、手に重みがあることに気づく。見れば、じょうろが手の中にあった。更に視線の先には、いつか見たプランターがあった。ただし、あの時の土だけではなく、こんもりと草が伸びていた。更に、よく見れば草の間には、青く小さな花が咲いていた。
「これは、えっと……ネモなんちゃら」
「ネモフィラね。これに水をやってくれないかな」
白川の言葉通りにじょうろを傾け、水を注いでいく。随分と土が乾いていたのか、注がれた水は土に吸い込まれ、見えなくなった。
「もしかして、約束を守るために起きてきたのかな?」
そういえば、こいつと約束をしていた。花が無事に咲いたら、花言葉の由来を教えるという。
「まぁ、そのせいで小説も止まってることだしな」
「ボクのせいだって? ……でも、うん。良かった。キミが約束を覚えていてくれて」
白川は妙に嬉しそうに言った。
「んだよ、急にしんみりしやがって。さっさと教えろよ」
「全くキミってやつは。では、ご要望にお応えして。前に話した通り、花言葉って一つの花に一つしかないわけではなく、いくつかあることもある。ネモフィラもそう。
一つはその花の見た目から『可憐』。他に、日当たりがよく水はけの良い場所ならどこでも根付きやすいことから『どこでも成功』というものもある。そして、キミに話した物語に由来する花言葉は」
―――『あなたを許す』
静かに、白川が言った。瞬間、風がざわめき、プランターの小さな花を揺らした。
「あの物語からどうしてこんな花言葉になったのかは、よく分からない。誰が誰の何を許したのだろう。そこまでは分からない。ボクはこう考えた。冥府の神はネモフィラの死者を嘆き、悲しむことを許し、花としてそこにあることを許したのだろう、と」
そこにあること、在ること、か。
「ねぇ、キミは今でも死にたいと思う?」
「何を今更」
「……そうだね。ボクがこの花を育てることにしたのは、その花言葉を知ったから。そして、その花言葉のようにキミたちにあってほしいと思ったからなんだ」
「花言葉のように?」
「うん。花一つで言えることではないけれど、花も季節も、人の命も巡るものだ。
春は命が芽吹き、冬には枯れる。そして、春になれば再び芽吹く。人も命が生まれ、歳を取り、その間に新しい命が育まれ、老いた人はやがて死ぬ。育まれた命は、また新たな命をつなぐ。そうやって続いていく。数多く存在する命の一つにすぎないボクらだ。
震災の巻き込まれながらも、生き残り、拾った命だ。命の選別がされたわけではない。ただボクらは生き残ってしまった。意味を見出すことができたら、きっと楽だ。
でも、きっとそんなものもない。だから、ただ生きるしかない。この長いようで短い人生が終わるその日まで、ボク自身がボク自身の人生を、生きていくことしかできない。生きることに意味がないこと、生きていくことはただ辛い。それでも、生きる。生きることを、
神でも冥府の王でも、閻魔様でも、仏様でも、父親でも母親でも、友人でも、遠い国の誰かでもない、ボク自身がボクの人生を歩み生きていくことを許すんだ。いつか、キミも――いや『夏井青葉』という人間が、そんなふうに思うことができたらとボクは思っているんだ」
一層強い風がベランダを吹き抜けた。
一般的に言うところの死である肉体の死は、オレに望む死ではない。それを自覚してからは、ただ息を吸って吐くだけの、惰性的な生しかオレには残されていない。ただただ、今日という日を生きる。せめて、死なないという選択肢を選び続けるだけ。
時々想像することがある。
オレという存在は、自殺を繰り返してきた魂で、何かの因果でこの『夏井青葉』という体に定着してしまったのだと。本来は別の肉体に入るはずの魂だったけれど、神様か何か別の存在の仕業で間違ってここにいるのだと。
そう考えるたびに申し訳なさに潰されそうになる。いい加減、自分なんか消えてしまえと思う。
だから、白川の言葉を聞いたとき、少しだけ心が軽くなったような気がした。
もし、そんな魂のオレが、死なないで、ただ生き続けるだけでもいいから、自殺をしないで、この人生を『夏井青葉』の人生を最期まで歩むことができたら、少しはマシは魂になれるのではないだろうかと。
そうでなくとも、オレがオレ自身の生きていることを本当に許すことができたのなら、生きていてよかったと思えるときが来るのではないだろうか、と。死なないという選択を繰り返した先の、死ぬ瞬間に少しはマシな人生だったと思えたのなら、それでいいのではないだろうかと。
そんなことを考えていると、不意に腹の虫が鳴いた。それに意識を戻すと、日はすっかり上り、厚めのカーディガンが少し暑く感じた。
「朝飯も食べてなかったのか」
「いつもは他の人に任せているからね」
確かに表に出てくることのない白川がこうしている方が珍しいのだった。オレは仕方ない、と朝食を食べることにする。
花には水を与えるように、人も何か食べ物を食べなければならない。そうして、それを繰り返していくのだ。肉体が死ぬその日まで。
小さなプランターに芽吹くこのネモフィラのように、世界の隅っこでオレたちは今日も小さく生きていくのだ。
シェアハウス 東風 @achi_kochi
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