第2話

 頭の中が色欲で煮詰まっているような人間が考えたような、あるいは脳みそと下半身とが直結しているような人間が考えたとしか思えない薄気味悪いホテルの一室。その中心に設置されたどピンク色のベッドの上で、ぼくは凄絶な格闘を続けていた。それはかつてドイツとフランスの間で行われた戦争のごとき、一進一退の消耗戦と言いえるものが数時間は行われただろう。

 一つ、その生き物がボタンをはずせば育ちの悪さが育んだ悍ましい罵詈雑言を口から放つ。

 一つ、その色欲の化身が髪飾りをはずせばネットで培った汚らしい皮肉を口から放つ。

 二つ、その汚らわしいものが腕に手錠をかければ経験から学んだ、ナンパ男を一撃で撃沈できるような言葉をぶん投げる。

 二つ、その人間なのかどうかもわからない美をまとった悪魔が靴下を脱がしてくれば、女子供ならば気絶どころか泡を吹いてショック死するだろう言葉を乱打する。

 スカートをずらされ、上着をずらされ、下着だけを器用に外される。そのような人外じみたm全く価値のない技能をこれでもかと見せつけられたらば、言葉の通じないアメリカの大男でさえ泣き惑うこと必至の、すさまじい語気とともに呪詛の言葉が彼の心臓を鋭くえぐる。

 あとは上着とスカートを脱がされれば、全裸になるという状況。そこまで快進撃を続けた彼もようやく手を止め、ぼくの顔をまじまじと見つめだした。その瞬間、ぼくは勝利を確信した。電撃戦を採用したドイツは、結局遅滞戦術を巧みに操った連合軍に負けたように、電撃的に勝負を仕掛けてきたこの男も、結局は負けるのだ。


「ここまで30分もたってないが、お前抵抗する気あるのか?」

「……まったく、隠さなくてもいいんだよ、きみの心がボロボロなことくらいわかりきってる」

 全く衰えを知らない、いやそれどころか時がたてばたつほどにギラギラと輝きを増す性欲に満ち満ちた瞳を見れば、彼の心が今にも性欲で爆発しかかっていることなんてどんな馬鹿でも気づけるだろう。頬がひきつらないようにするだけで、ぼくは精一杯だった。もうすでに悍ましい多言語対応罵詈雑言辞典は「あ」から「Я」まですべて出尽くした。

 なんということだろう。てっきり今までぼくは第一次大戦のフランス兵かと思っていたら、実は第二次世界大戦のフランス兵だったのだ。どんな人間だろうと、どんな生き物だろうと、決して心を砕かれないものはいないと思っていた数多くの罵倒表現はただのこけおどしのマジノ線と変わらなかった。ぼくは、たまねぎとかナメクジとかを食ってるような連中と、同じようなことをしていたのだ。なんと、なんと間抜けなのだろう。


「あぁわかった、お前、誘い受けという奴だろう。そんなにまどろっこしいやつなんて今まで見たことがなかったからな、新鮮だ」

「ちがうわい!」

 思えばこの男が例の、世界一人類に嫌われているちょび髭に似ているところがあるような気がする。頭の中すべてが俺か、それ以外化とでも言わんばかりの態度や言葉は、やはりドイツかユダヤかの二元論で物事を判断していたあの悪魔に似ている。

 この男は詐欺師だと思ったら、人類の敵だったのだ。


「お、おい、なに手ぇ入れてんだよ!」

 徐々に徐々に追い込まれていく。なぜか残された上着の隙間から手を入れられ、体をまさぐられる。この恐怖感、この危機感、きっとドゴールもこのような気持ちで本国から逃げたのだろう。足掻こうと思っても、彼の持つ男性性を象徴するような筋肉が、長身が、ぼくの小柄な体躯を押さえつける。ぼくだけでは反攻など叶いやしない。


「なんだ、手じゃないものが欲しかったのか?」

 何を言ったとてこうだ。


「否定もしないなんて、やっぱり図星か」

 何も言わなくたってこうなのだ。

 くそくそくそくそ、ぼくが何かしたっていいのか。自己承認欲求が強くて、男釣りをして遊んでただけでこんなことになるなんておかしいじゃないか。神様がぼくをこんな体に作り上げたせいでぼくはこんな趣味を持ったのだ。なのに、なのになんでこんな、男として、それどころか人間としてどこをとっても疵のない人間を生んだ挙句、こんな目に合わなきゃならないのか。

 ふつふつと、つよい、そして収まりきらない憤怒が湧き上がってきた。


「生意気で、おつむはかなり弱いし、なおかつ男だ。でもお前は、今まで見たどんな奴よりも、どんな女よりも可愛らしい」

 体の芯から怖気が走る甘ったるい言葉。それと同時に触れあう唇。

 怒りにかられたぼくはその唇にかみついた。

 途端に離れる唇と、わずかに流れる赤い液体。

 そして怪しげに嗤う魅惑的な男。


「しかも活きがいい」

 この時点で、ぼくはそれが失策だったことを悟った。

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詐欺師は筋肉に負ける。 酸味 @nattou

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