天使の髪には触れない
七四六明
天使の髪には触れない
学校に通う生徒達は、初めてリムジンを見たと口を揃えて言う。
毎日総理大臣と同等規模の護衛。警察を動員出来ないので、警察組織とほぼ同等の戦力を保持した傭兵にスーツを着せ、同伴。少女、
防弾チョッキに警棒。
「
「本日は一時限目に国語。二時限目に英語。三時限目に社会。昼休みを挟みまして、四時限目に歴史。五時限目に体育。六時限目に古語となっております。また、放課後からは生徒会にて、部活動経費についての会議があります」
「長丁場になりそうね……凪、悪いけれどチョコレートを――」
「購入済みです。今回は糖分を採った方が良いと考え、ホワイトを用意しました」
「ありがとう。さすがね、凪」
「恐縮です」
世界でも五本の指に入り、日本ではトップ中のトップを誇る大企業、円城寺グループの社長令嬢藤乃と唯一対等に言葉を交わせる青年、
ロシアの血が入った影響か、美しい銀髪と女性的な体躯を兼ね備える令嬢と話せるだけでも羨ましいのに、彼女に唯一触れられる男子として嫉妬する。
が、とてもじゃないが逆らえない。
自分達がどれだけ強大な組織――例えば暴力団や暴走族なんてものを用意したとしても、彼らに触れる事さえ出来ず、周囲の警護と傭兵によって取り押さえられるだけだ。
何より、噂では彼らよりも凪の方が断然強いと言うのだから、とても敵わない。
文武両道。才色兼備。中性的な顔立ちで女子からの人気も高く、一時期は女性ではないかと噂された時期もあった美男子。であって、勉強も何もかも出来る完璧超人。
何も敵う手段がないと、男達は悔しさのあまり涙を堪えるしかなかった。
そんな状況を、良くも悪くもと嘆くのは、社長である藤乃の父だった。
「天津神くんは娘の事をよく見てくれているようだね」
「はい、社長。お嬢様が孤児院から連れ出すと言った時はどうしようかと思いましたが……」
「まさか、数万人に一人の異能持ちとはな。その後も娘が選んだ人間は、会社にも娘当人にも、実によく貢献してくれた。娘もまた、人の才能を見抜く異能の持ち主なのかもしれないな」
「また親バカだと、会長にドヤされますよ」
「私は本気で言っているのだがね。しかし、天津神くんの今後については考えねばなるまい。彼が社会に対して何かしらの功績を遺さねば、孤児院出身の彼を娘のパートナーには出来ない。こんな時代にそぐわないかもしれないが、身分違いの恋という奴だ」
「そうですね……では、予定通りに?」
「あぁ、やろう。表は次の執事を決めるため。本命は、藤乃の将来のパートナー探しだ」
後日。
東京都内地下に設立された特設闘技場。
表舞台には決して出されない場所なれど、近代の情報化社会の中でそれを見つける事は難しい事ではない。
与えられるのは、円城寺グループ社長令嬢専用の執事の座。
恩恵として、生活に困らない財力と居場所。そして、あわよくば令嬢のお気に入りとなって施しを受けようなんて下心を剥き出しにしている者まで拒まなかった結果、闘技場には千人を超える参加者が集まった。
右を見ても左を見ても筋肉、筋肉、筋肉。
鍛える必要性を見出せない異能者ではない一般の人の武器は、己が筋力に限られる。そんな人間が千人近く集まれば、体から発せられる熱が湯気となって立ち上り、何ともむさ苦しい環境と化していた。
そんな中、始まる。
「よく集まってくれた、精鋭諸君! これから、我が娘の執事兼ボディーガードを決めるバトルロワイアルを始める! 得物の使用以外は、一切禁じ手無し! 異能の有無も問わない! より強く、より賢く、より研鑽された力を見せてくれ!」
戦いのゴングが鳴る。
あちこちで切られる戦いの火蓋。
何処の誰とも知らぬ相手と打ち合い、戦い、そこら中で嘔吐した血が飛び散る。
血沸き血踊り、血で血を洗うような戦いは、まさに蟲毒。人の欲という欲を掻き集め、抽出された最後の一人が例え猛毒であろうとも、娘の五体が傷付かなければそれでいい。
最悪。毒であったなら消すまでだ。
金銭、権力、女――虫を寄せ付ける餌なら、幾らでも用意出来るのだから。
「まぁ、お父様。こんな事をするのなら、呼んで下さらないと」
「ふ、藤乃……」
どうしてここが、と言いたげな父親に、藤乃は笑みを返す。
背後にいた凪はずっと、闘技場で行なわれる戦いを見つめていた。
「私に関する事で、凪に知らない事はありませんよ。しかし勝手にこんな事をされては困ります。ねぇ、お父様?」
父は一歩後退る。
誰に似たのか、娘は父さえも驚かす。異能者でもないと言うのに、その覇気は周囲の大人をもたじろがせる。実の父さえ、彼女を怒らせる事は怖いからという理由でしまいとしているくらいだった。
「私は凪以外を認めるつもりはないのですが……まぁ、凪を倒せるくらいの実力者なら、認めましょう。凪。この戦い、最後に残った相手と戦ってくれる? 実力のほどを見定めて来て頂戴」
「はい」
父はもう、これはダメだと諦める。
娘に伝えなかったのは、結局こうなるとわかっていたからだ。
実の娘の我儘とはいえ、無力な少年を側に置けるほど余裕はない。そんな考えの父が凪を娘の隣に置いている理由は他でもない。凪が強いからだ。
「よっしゃあ! 試合終了!!! 俺の勝ちだぁぁぁ!」
「丁度終わったみたいね……凪」
「はい」
「勝って頂戴」
「畏まりました」
三階建てマンションの屋上とほぼ同じ高さから飛び降り、無傷で着地。
周囲で倒れる人達が吹き飛ぶ中、何が落ちて来たのかと最後の一人が見る中、ゆっくりと立ち上がった凪はキツく締まっていたネクタイを緩めた。
五指を纏め、数度折って誘う。
男はその場で全身に力を籠め、細身の体に付いた筋肉を膨れ上がらせ、今まで封じていたらしい力を解放させた。キツくなった服の部分部分が裂け、切れる。
「何となくわかるぜ……おまえ強いだろ。おまえを倒したら、誰も文句言いそうにねぇなぁ」
肩で風を切り、男が迫る。
繰り出された拳が軽く体を傾けた凪のすぐ側を横切った拳は、人間業とは思えない速度。軽いジャブ程度で放った一撃は、軽く一秒を切っていた。
「へぇ……今のを軽く躱すかぁ。なら、これならどうだぁ!」
ジャブ、ジャブ、ジャブ。
一秒を切るジャブの猛襲が凪へと迫る。
凪の体には掠りもせず、躱されてばかりだったが、男の狙いはジャブの最中に秘めていたストレートだった。
電光石火。
男の異能は、自身の体内を巡る電気信号を加速させ、自身の筋肉の働きを加速させる。簡単に言えば、倍速で動く超速人間。
体内電気で刺激を与え、筋肉を膨れ上がらせる事で生まれる筋力は、坂道をノーブレーキで走って来る自転車の衝突を軽く超える。
当たり所が悪ければ即死。そうでなくとも致命傷に至る鈍重な一撃を、凪は片手で、それも五指の先で受け止めた。
今まで何人もの相手を打ち倒して来た必殺パンチが軽々と受け止められた事に、男は驚愕と動揺を禁じ得ない。
すぐさまジャブに切り替えるが、腹、胸、顔と打ち込んだ男の方がよろめき、弾き返される。何をされたのかと考えたが、単純に凪の体の硬さに弾かれただけだった。
「何だ、てめっ……! 何をしやがったぁっ!」
ジャブとストレートの猛襲を躱し、裏拳。躱されるが、繰り出された拳を躱して胸座に掌底を繰り出し、打ち飛ばす。
胸座を押さえながら数歩後退した男はすぐさま突進。歴戦の闘牛士さながらの軽やかさで躱した凪の裏拳が、振り返った男の顔面に叩き付けられ、またよろめいた。鼻の頭がグチャグチャに砕け、押し潰れる。
涙目になって鼻を押さえながら呻く男へ一挙に肉薄した凪の足刀が放つ華麗な回し蹴りが決まると、肉塊と化した男の体が軽々と吹き飛んだ。
すぐさま立ち上がろうとするが、下顎を蹴られた衝撃で起き上がる事は出来ても、立つ事が出来ない。
「おまえぇ……何だ。一体何の能力者だぁっ……!」
「僕の能力、ですか」
足元で転がっていた男から、防弾チョッキを剥ぎ取る。
背中には鉄板まで入ったそれを手に取った凪は引き千切るでもなく、小さく、とにかく小さく丸め始めた。銃弾も通さない防弾チョッキが、丸めた手袋サイズにまで縮められていく。
「僕の能力は、筋肉。本来人間が搭載出来るはずのない量の筋肉を、この体に宿す事が出来る」
「筋、肉……? 馬鹿な。おまえの体付きからしても筋肉どころか贅肉すら……」
「閉じ込めているんです。ひたすら圧っし、押し込め、閉じ込める。僕が一日に摂取するエネルギー総量は、およそ一八三〇〇キロカロリー。体重六〇キロの人間が必要とする摂取カロリーの一週間分に相当します。しかしそれだけのエネルギーを使わなければ、忽ち、僕の筋肉は皮膚を突き破り、骨を砕き、僕という原型を留めず殺してしまうでしょう。それだけの筋肉を搭載した僕の体重は、現在四六〇キロに相当します」
「つまり俺ぁ、五〇〇キロ近い肉の塊を殴ってた訳か……だが、それだけじゃあこの速力は――」
「生まれますよ。筋肉はただ硬い訳じゃない。良質な筋肉は柔軟で、如何様な体勢でも力を発揮出来る万能性を持ち合わせている。反射速度を鍛えれば、力任せに繰り出される人の拳なんて幾らでも躱せますよ」
「幾らでも、だぁっ……? なら、これも躱せるかぁっ……!?」
全身に流れる電気ショック。
痙攣する筋肉が膨れ上がり、衣服を破り、生まれたままの姿を晒した男の鈍重かつ超速の拳が、風を切って迫り来る。
拳を打つと共に呑み込んだ大気が音さえ呑み込み、遅れて生じた衝撃波が後方の地面を抉りながら進んで、防壁へとぶつかった。
その後も打ち込まれるラッシュ、ラッシュ、ラッシュ。
ジャブもストレートもアッパーもボディも全部躱す。およそ四六〇キロの肉を搭載しているとは思えない俊敏さで、電光石火の早業を見切って躱す。
電気信号を司る男の異能だが、徐々に脳から送られる――いや、脳に送らせている信号に体が追い付かなくなっていき、段々と速力を失っていった。
「持久戦に極端に脆い……ここまでですね。凪」
「はい」
渾身のストレートが決まる。
だがよく見れば拳は眼前に備えられた五指に止められ、掴まえられていた。そのままゆっくりと掲げられた手刀が、音を置き去りにして振り下ろされる。
片腕に宿る筋力はせいぜい一五〇キロ前後。だが、プロボクサーのパンチのように、空手家の貫手のように鍛え抜かれた凪の手刀は、ワニやライオンが獲物を噛み砕く力を優に超え、鉄骨さえも両断する。
そんな手刀が二度、三度と同じ個所に打ち込まれれば、崩壊は必至。振り上げる度に一瞬だけ膨れ上がり、圧縮される筋力が繰り出す手刀は、筋肉の鎧に覆われた男の腕を叩き折った。
が、凪は手を離さない。
腕を引き寄せて懐に入ると、手刀で腹を穿ち抜き、男の腹に穴を空けた。
幾ら筋肉の塊を搭載しているとはいえ、人間の指が同じ人間の体を突き刺せるはずがない。が、人間の肌とは思えない硬度にまで硬くなった凪の手は、それを悠々と実現する。
男は両膝を突いたが、腕を持つ凪が倒れる事を許さない。
「一体、何が……な、にがそこまでの、力、を……」
「強くなるために鍛える。ただ、それだけの事でしょう」
最後の一撃――限界まで膨れ上がった筋肉が一挙に圧縮し、それと同時に繰り出した相撲で言うところの鉄砲が男の巨体を吹き飛ばし、この一撃で意識を完全に刈り取った。
先に飛び降りて来た階層まで垂直跳びで跳んで行った凪は、藤乃の隣で頭を下げた。
「すみません、お嬢様。時間を掛け過ぎました」
「構いません。お父様。私はこれで失礼します。新しい執事なんて勝手な事、今度無言で探すようでしたら、許しませんからね。行きますよ、凪」
「はい」
やれやれ、と父が肩を竦める中、退出していった藤乃は疲れた様子で目頭を押さえる。
背後から凪が目薬を出したが、首を横に振って受け取りを拒否した。
「ねぇ、凪? 明日は休みだったわよね」
「はい。ですから明日は暇を頂きたく思います。週に一度のトレーニングは欠かせませんので」
「何のために?」
「強くなるために鍛える。ただ、それだけです。それがいずれ、お嬢様のためになります」
「よろしい。だから、あなたはまだまだ、誰にも負けないでね、凪」
「はい」
いずれ、父にも凪の事を認めさせてみせる。
例え天使の前髪が如き千載一遇のチャンスになろうとも、その時を絶対掴んでみせる。
この髪――いや、この体を許すのはただ一人。天津神凪だけ。
だから絶対に掴ませてみせる。彼をその気にさせてみせる。いつか、主人と執事を超えた関係に――凪を後ろに連れる藤乃の足取りは真っ直ぐと、一切ブレない。そうして歩くようになったのは、凪を迎え入れてからだと言うのは、当人も知らぬ事実であった。
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