うそつきおじさん

香久山 ゆみ

うそつきおじさん

「西方浄土というだろう? 多くの人が西に向かって歩くから、地球は反時計回りの方向に自転するんだ」

 そう言って、おじさんはにかっと笑った。また嘘言ってる。そう思いながらも、確かにその話のおかげで理科のテストで正解を記入できたのは、高校受験のこと。

 おじさんはうそつきだ。いつも嘘ばかり。

「キリンはサバンナでエサを探しに行ったお母さんをずうっと待っていたから首が伸びたんだ。首を長くして待つ、っていうだろ」

 これは、小学生の時。いつも絶妙にその時々の私の年齢に応じた内容で嘘をつく。一番最初の嘘はなんだったけな。ずっとずうっと昔。三歳くらいだったんじゃなかろうか。ぼんやりとおじさんが嘘言った記憶はあるものの、まるで思い出せない。

「うそつき!」

 そう叫んで、自分の大声で目が覚めた。なんだなんだと階下から様子を見に来た両親を、大丈夫何でもない、と部屋から追い出した時には、パジャマが汗でびっしょりだった。

 久々におじさんが夢に出てきたのだった。幼い時からたびたび夢に現れては嘘ばかりつく知らないおじさん。高校生になってからは見なかったのに。

「芥川や太宰、川端三島。確かに天才達が通った道だが、本当の孤独を知らぬきみが選んでも後悔するだけだ。愛されているのだから」

 高校二年の私は、人間関係にすっかり参っていた。部活も受験勉強もなにもかも上手くいかなくて、もういっそまるごと全部手離そうかと考えていた矢先だった。結局、その夜以降私の異変に気づいた両親に見守られて機会を見つけられぬまま、いつのまにか拍子抜けしてしまうような感じであれこれそれなりに落ち着いたのだった。

 けれど、私の人生にはもっと大きな嘘が待っていた。

 二十歳になった私におめでとうを言ったあと、両親は神妙な顔をして並んだ。

「じつは、僕は、由佳と血の繋がった本当の父親じゃないんだ」

 パパは言った。

 私がまだ物心つかない三歳の時にママはいまのパパと再婚したのだという。実の父である前夫は夢ばかり追いかけまともに働きもしない人だったから、私が生まれてすぐに離婚した。彼はすでに死んでしまっているのだという。ママがそれを知ったのもずいぶん経ってからだったから、もちろん私は葬式に参列しなかったし、ついに実父の顔を見る機会はなかった。

 うそだうそだ。今更そんなこと言ったって。私はパパママが本当の両親だと信じて疑わなかったのに、今更。

 部屋に引きこもって年甲斐もなく少女のように泣きじゃくりながら、いつの間にか眠ってしまっていた。

 目の前におじさんがいた。おじさん! そうだ! お願い、ぜんぶ嘘だと言って! 縋るように伸ばした私の手は紅葉のようにぷっくり小さい。おじさんの大きな手からチョコレートを受け取る。

「ありがとう、おじさん!」

 出てきた声も舌足らずで甲高い。ピンクの幼稚園スモッグを着ている。世界が大きくて広い。ああ、これはずいぶん古い夢だ。大きなおじさんはくしゃっと顔を歪めた。

「おじさんじゃないよ。俺は、由佳のお父さんなんだ」

「うそつき!」

 小さな私は真っ赤な顔をして叫ぶ。パパとママが大好きだから、幼心に許せなかった。おじさんは顔をいっそうくしゃくしゃにして笑った。

「ばれたか。そうだよ、おじさんはうそつきだね。……由佳は、パパとママが好きかい?」

「大好き!」

 そうかよかった、と大きな手が優しく私の頭を包んだところで目が覚めた。

「おとうさん……」

 ぼんやり呟くと、「由佳」と枕元で声がした。

「大丈夫かい。ずいぶんうなされていたけど」

 心配そうに両親が私を見つめる。そっとパパが言う。僕は由佳を実の子のように愛しているけれど、真実は伝えなければならないと思ったんだ。彼のためにも。

「分かってる。ごめん、ただびっくりしちゃったんだ」

 両親がほっとしたように微笑む。私も。

 おやすみ、と改めて一人になった部屋でかみしめる。あれは、最初の夢だ。――本当に夢だったのだろうか。

 本当におじさんはうそつきだ。いや、嘘つきが自分のことを嘘つきだと言うだろうか。クレタ人のパラドックス。実はすべて本当なのではないか。会いたい。もう会えない。

「いつでも会えるさ」

 その夜の夢で、おじさん――はやさしく笑った。

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うそつきおじさん 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

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