肉襦袢は止まらない

冬野瞠

肉襦袢の中で

 昨今は筋肉礼讃らいさんの風潮がある。筋肉さえ鍛えれば人生が上向くとか、筋肉は裏切らないとか。でも、個人的にはちょっとどうかと思う。

 健康的に体を鍛えるのは無論良いことだが、必要以上に筋肉をつけすぎるのはやめておいた方がいい、かもしれない。

 ――俺にはもはや、そうして誰かに忠告する手段もないけれど。



 今日も今日とて、俺は筋肉を鍛えにジムにやって来た。

 記憶のわだちをなぞるように、体をいじめ抜くメニューをいつも通り黙々とこなす。汗水を垂らし、歯を食いしばりながら。まるで何かのぎょうに挑む修行僧のごとく。

 おかげで、内面は小心者なのに体だけは立派だ。鏡に映せば盛り上がった上腕筋や胸筋や腹筋がくっきりとした陰影をつくり、ルネサンス期の彫像のように硬い印象を与える。自分でも見事だとは思う。

 さて、今日の俺はとうとう、ベンチプレス100kgを上げることにしたようだ。我が事ながらまったく恐れ入る。辛いのがそんなに楽しいのか。

 俺の体はひたすら筋肉に負荷をかけ続ける。

 俺自身の意思とは関係なく。



 肉体改造にハマってどれくらい経った頃だろう。

 いつからか、俺の筋肉は自身の意思とは異なる動きをするようになった。手足が勝手に動く、走り出す、ジムに行ってトレーニングをこなす。その全てを止められなかった。

 増えすぎた筋肉が意識を持ち、俺の脳の管理下から離れたのだ、と思った。たとえれば、自由意思を持つ肉襦袢を身に纏ったかのように。

 今はもう、自分の筋肉が勝手に全身を操作するのを、なす術もなく体の内側から認識することしかできない。

 俺は奔放に動き回る肉体という檻の中に閉じ込められた。俺の体が筋トレを続けている以上、この状況を打開できる時は訪れないだろう。

 だから気をつけてくれ、とどこにも届かない願いを念じ続ける。

 筋肉量なんて常識の範囲内でいい。誰も自分みたいになってほしくない。


 きっと俺は既に、手遅れだ。

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