【KAC20235筋肉】風樹の里の魔獣使い

羽鳥(眞城白歌)

巡礼の丘、風樹の里、芽吹きの神殿。


「いいわ、あたしが鍛え直してあげる!」


 紆余曲折うよきょくせつした押し問答の末、彼女が下したのはそんな結論だった。

 歳のわりにしなやかな手足、体幹がしっかりしている姿勢の良さ。気性の荒い幻獣グリフォンを乗りこなしクロスボウを使いこなす彼女は、よく身体を鍛えているようだし、成長期に適度な運動はとても良いことだと思う。

 でもさ、キミはキミ、僕は僕。個性と多様性は尊重されるべきであって、何事も無理強いは良くないんじゃないかな。


「大丈夫、間に合ってる。そもそも天使に筋肉とか必要ないよ」

「なに言ってんの。地上に降りた天使が人間と格闘して祝福を与えたって逸話いつわもあるし、たった一人で十八万五千人の敵軍をやっつけたって逸話もあるんだよ。どう考えても天使はムキムキであるべきでしょ」


 腰に手を当て胸を張り、乾いた風に紫紺のポニーテールを揺らす彼女の名はラチェル。兄弟同然に育ったらしいグリフォンのアズルを乗りこなす、魔獣使いだ。

 得意ドヤ顔で聞きかじったらしい蘊蓄うんちくを語っているけど、ちょっと待ちなよ。


「それ、どこの教義さ。僕の知ってる天界にはそんな逸話なかったよ」

「少し前に里へ立ち寄ったお兄さんが聞かせてくれたんだ。すっごい遠いところから来たらしくって、旅をしながら伝承を集めたり、自分で創作もするって言ってたけど。歳はリレイ君とそんな変わらないんじゃない?」

「そう……。まぁ、僕、天使のふりしたおばけだから」


 吟遊詩人……いや、語り部なのかな? わずかな違和感を覚えながら適当に返事をする僕の腕を、ぐっと近づいてきたラチェルが掴む。


「なにこのほっそい腕! 天使だっておばけだってどっちだっていいよ、肉体労働できるくらいの筋肉がつけば。さ、アズル、連れてくよっ」

「え、待っ……離せって!」


 少女ひとりの腕力なら僕でも簡単に振り払えるけど、悪いことに相手は魔獣使い。彼女の相棒は猛禽もうきん猛獣もうじゅうの姿を合わせ持つグリフォンだ。筋肉が全然ついていないインドア派の僕が敵う相手じゃないよ。

 後ろで目を光らせているグリフォンの隙をついて逃げ出すつもり――だったのに、神殿の外へ出た途端わっと集まってきた子供たちに取り囲まれた。苛烈に世界をく真昼の太陽にも負けずきらきら輝く瞳を見てしまったら、さすがの僕も観念するしかなかった。




  ♪




 今よりいくらか昔に、世界は終わりを迎えたらしい。


 あるものは炎が降ったと言い、あるものは氷が侵蝕したと言う。

 地を揺るがす振動がすべてを砕いたのだとも、天をくほど高い波がすべてをぬぐい去ったのだとも、言い伝えられるはさまざまだけれど、真相を知るものはいない。

 神様の気紛きまぐれみたいな大崩壊のさなかにあっても、ほんのわずか……生き延びた人間はいて。

 大人たちのほとんどが自分の命をつなぐことで精一杯な中で、慈愛と奉仕の精神を持ち続けた人間もほんのわずかながら、いて。


 ここは、風樹ふうじゅさとと呼ばれている。瓦解がかいまぬかれた神殿跡地に、初老の元司祭と親のいない子供たちが生活しているんだって。

 元司祭の彼が以前なんという神様に仕えていたのか、僕は知らない。子供たちから先生と呼ばれる彼は、司祭というより孫を見守るお爺ちゃんだ。誓ってもいい、彼が「天使はムキムキであるべきである」などと教えるはずない。


 ここに辿り着いたのは、偶然だった。


 僕自身は天使の姿を借りたおばけ――ずっと昔に生身を失い、贋物ニセモノの身体に記憶たましいが残留した存在で、水や食べ物を必要としない。世界が壊れようと、元あった秩序や機構が失われようと、別に困らなかった。そのまま、一人きりで旅を続けるのであれば。

 けれど、僕はとあるお屋敷の跡地で、生き残っていた人間の少女を見つけてしまった。

 あたりまえのことだけど、生身のいきものに必要なものはたくさんある。食べるもの、水、着るもの、他にも数えきれないほどに。

 彼女をうしなわないためには、つながりが必要だった。

 この里にはうるさい大人がいない。元司祭なだけにお堅いところがある先生も、僕らに過干渉することはない。だから僕はここに度々立ち寄って、旅先で見つけた役立ちそうな物品や魔法と引き換えに、彼女――フィーのための食物や水を分けてもらっていたんだけど。


「大人は貴重な労働力なんだから、ちゃんと働いてよね!」


 というラチェルの要求を適当な理由をつけてかわし続けてきた結果が、まさかのこれ。

 子供たちに混じって、どこから伝わったのか聞いたこともない全身体操をする羽目に陥るなんて、思ってもみなかったよ。


「新しい朝がきたっ、希望の朝だ――ってさ」

「ニャニにゃ? フィーのごはんはもらえたのかにゃ」

「うん。僕を鍛えるとか言ってんのはラチェルであって先生じゃないし。……ねぇ、エメ。ラジオ体操って、君の情報貯蔵庫ライブラリディスクに入ってる? 全身の筋肉を鍛える体操らしいけど」


 僕のお姫さまには、口うるさい騎士ナイトがついている。布製の身体に機械の翼、精巧な人工知能AIを搭載した黒猫のエメロディオ。内蔵されている情報庫ディスクには世界中のありとあらゆる情報が貯蔵されていて、尋ねればささっと検索してくれる便利なぬいぐるみだ。

 今の世界で旅人なんていう優雅な生き方ができるのは、僕ら人外くらいだろう。でも、ラチェルが言ってた旅人は見た目も言動も若い人間の男性っぽく、すごく気になってしまう。

 黒猫はエメラルドレンズの両目をくりんと巡らせ、尻尾を揺らして語り出した。


「筋肉は生物を構成する生体組織の一種にゃ。鍛えれば強くなり、鍛えるのをやめれば徐々に減ってゆくにゃ。偏食悪食で辛抱の足りにゃい狼にゃー身体を鍛えるなんて無理みゃ」

「聞きたいのそっちじゃないし余計なお世話だよ」


 別に、好きで体操してきたわけじゃないんだけど。とっくの昔に生身を失った僕の身体は、もうこれ以上変化することはない。何を食べても、どんなトレーニングをしても、たくましい身体になるなんて無理な話なのさ。

 というか、回答しないってことはエメの中に「ラジオ体操」なる情報がないってことだ。本当にその旅人とやら、どこの誰なんだろう。胡散臭うさんくさいな、と思うけど、何か企んでるってわけでもなさそうなんだよな。


 僕とラチェルを取り囲んで下手な体操の歌を歌いながら体を動かしていた子供たちの笑顔は、ひねくれた僕の心にも何かを感じさせるほどには、悪くなかった。

 こんな過酷で残酷なだけの世界に、希望とか喜びを歌うだなんて。どうかしてる、と思うけれど。人間ひとには――とりわけ幼い子供たちには、そういう歌こそが必要なのかもしれない。


「りれくんも、歌ったらいいのに」


 くさくさした心を見抜いたかのようなフィーの呟きに、もうないはずの心臓が跳ねた気がした。相変わらず黒しか着てくれないけど、ここに来るようになってちょっとだけ厚着になった僕らのお姫さま。久しぶりに温かな食事をもらってご機嫌なのか、お気に入りのクマを笑顔で抱きしめている。

 キミが喜んでくれるなら、僕は歌でも踊りでも何だってするよ。

 身体を鍛えるのは、勘弁してほしいけど。


「フィーは何が聞きたい? 子守唄? それとも物語?」

「おとぎばなしを聴かせて」

「御伽噺だね、了解。そうだな、何を話そうか――」


 ひととの関わりが多くなれば、それだけ思うことも多くなってゆく。気になることも、気掛かりなことも、つながりの数だけ増えてゆくけれど。

 今はこの穏やかな時間に身も心もゆだねて、キミのための物語うたを紡ごうと思う。




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【KAC20235筋肉】風樹の里の魔獣使い 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

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