ぬまのむこうがわ

大隅 スミヲ

ぬまのむこうがわ

「あれ、優斗ゆうと。きょうも家にいるわけ? 完全にヒキコモリじゃん」

 廊下からボクの部屋を覗いた寧音ねねが笑いながら言った。


 パッチリ二重の大きな瞳に少し濃い目の眉。俗にいう狸顔の寧音は、笑うと左側の八重歯が見える。

 はっきり言おう、寧音は可愛い。特に寧音の笑顔。ボクはあの笑顔が好きだった。

 ボクは寧音のことをちらりと見たが、心の内を悟られないようにパソコンの画面へと視線を戻す。

 くそっ。やっぱり、可愛い。


 寧音とは、家が隣同士であり、同い年の姉とは幼馴染だった。

 だから幼い頃からお互いのことはよく知っており、ボクからすると寧音はもう一人の姉のような存在だ。

 年はボクよりも3つ上の高校2年。姉とは違う高校に通っていることから最近はあまり一緒にいないようだが、中学生のころの姉と寧音は常に一緒にいて、テニス部ではダブルスで県大会優勝をしたりもしていた。


「ちゃんと勉強しているのか、中学生」

 寧音はそう言いながら、ボクの部屋に入ってこようとする。

 家が隣ということもあって、格好は少し前に流行ったアニメの絵が描かれたTシャツにジャージのハーフパンツというかなりオフな格好だ。

 くそっ。そんな格好でも寧音はやっぱり可愛い。

「入って来るなよ」

 寧音が部屋の敷居を跨ごうとしたので、ボクは思わず強い口調で言ってしまった。

 ヤバい。寧音が怒ってしまったらどうしよう。

 ボクは自分の発言を呪った。

「なんだ、言うようになったじゃないか、優斗」

 笑いながら寧音はいうと、部屋の入口のところで踏みとどまった。

「ちょっと前までは、寧音ちゃん、寧音ちゃんって、懐いていて可愛かったのにな。わたしの可愛い優斗くんは、どこへ行っちゃったの?」

 ふざけながらも少し拗ねたような口調で寧音は言ったが、姉に呼ばれたらしく、笑顔でボクに向かって手を振ると姉の部屋へと向かっていった。


 ふう、危ないところだった。ボクは寧音が去ったことで安心した。

 もし寧音がボクの部屋に入ってきたら、寧音は絶対にボクの部屋を漁るだろう。

 部屋に置いてある漫画やラノベを見られるだけなら、まだ許容範囲だけれど、机の上に飾ってある子どもの頃に寧音と一緒に撮った写真とかを見られるわけにはいかなかった。


 それに寧音は、まだ本当のボクを知らない。

 ボクがVtuberの虎鉄こてつであるということを。


 いまや登録者数2万人超。個人勢としては頑張っている方だと自分では思っている。

 ボクのトークやゲーム実況を視聴者さんたちは楽しみにしてくれているのだ。

 もし、寧音がボクが虎鉄だと知ったらどう思うだろう。

 ボクのことを好きになってくれるかな?



 ※ ※ ※ ※



 わたしはいま、沼っている相手がいる。

 いま流行りのVtuber。その中で個人勢ではあるけれど、カッコいいVtuberがいるのだ。

 初めて見た時から、キャラのビジュアル、話し方、声、すべてが好きだった。

 バイト代は全部、そのVtuberにつぎ込んでいる。

 わたしの最推しVtuber『虎鉄』に。


 ある日、わたしは虎鉄の放送を見ていて妙な感覚に襲われていた。

 どこか記憶の奥底にある引っかかり。

 それが虎鉄の放送を見ているとあるのだ。

 なんだろう、この感覚は。

 そんなモヤモヤとした気持ちを抱えながらも、わたしは虎鉄を推し続けた。


 そして、ある日気づいてしまった。

 この感覚の正体に。


 虎鉄の声、話し方、時おり見せる癖の動き。

 優斗だった。

 すべてが優斗と一致するのだ。


 最初は自分の中で否定をした。

 そんなわけがないと。

 しかし、どう考えても優斗なのだ。


 だから、確かめることにした。

 優斗の姉であり、わたしの幼馴染である佳純かすみに、ひさしぶりに会って話そうと連絡をして。

 佳純には悪いが、今回だけは利用させてもらうことにした。


 佳純は、二つ返事でOKしてくれた。

 そして、わたしは真相を確かめるべく、優斗の部屋に突撃したのだ。


 部屋の前まで来た時、優斗の部屋のドアは開いていた。

 いた。優斗だ。少し会わないうちに、どことなく大人びた顔になっている。あれ、ちょっとかっこよくなってんじゃん。

 わたしはそんなことを思いながら、優斗に声を掛けた。


「あれ、優斗。きょうも家にいるわけ? 完全にヒキコモリじゃん」

 軽い口調。それは緊張を隠すためでもあった。


 優斗はこちらをちらりと見ただけで、なにも言葉を発さない。

 それじゃあ、意味がないんだよ。声を聞かなきゃ、虎鉄かどうかわからないじゃんか。

 わたしは少し焦りながら、さらに言葉を続けた。


「ちゃんと勉強しているのか、中学生」

 そう言いながら、優斗の部屋を探るべく一歩踏み出そうとする。

 しかし、優斗はそれを制するように声をあげた。


「入って来るなよ」

 その声を聞いた瞬間、わたしは雷に打たれた思いだった。

 ヤバい、虎鉄だ。虎鉄がいる。

 目の前にいるのは、優斗のはずなのに、虎鉄がいる。

 ど、ど、どうしよう。


「なんだ、言うようになったじゃないか、優斗」

 震えそうになる声を必死に抑えて、わたしは言った。

 それだけで精一杯だった。


 目の前に推しがいる。

 パニックになりかけていた。


「寧音、なにやってんの、はやくおいでよ」

 わたしを救ったのは、佳純だった。


「ちょっと前までは、寧音ちゃん、寧音ちゃんって、懐いていて可愛かったのにな。わたしの可愛い優斗くんは、どこへ行っちゃったの?」

 優斗に、虎鉄に、寧音って呼んでもらいたい。ああ、狂おしい。狂おしすぎる。なんだか、わたし壊れちゃいそうだ。

 半分魂が抜けかけの状態だったが、わたしは優斗に対して捨て台詞を吐くと、佳純の部屋へと向かった。


 廊下を歩く時の足は震えていた。

 やっば。マジか。夢じゃないよな。これ、現実だよな。

 優斗のやつ、完全に虎鉄だった。

 話し方も、声も、完全一致しました。

 ああ、神様。こんな残酷なことってありますか。

 推しが目の前にいるのに、手が出せないなんて。



 その日の夜、虎鉄の生LIVE配信があった。

 スマホの画面の中で動く虎鉄は二次元だけど、わたしの頭の中では優斗と混ざりあっていて、目の前に優斗がいてわたしに語り掛けてきているようだった。


 いつの日か、寧音って名前を呼んでもらいたい。

 そんな願望を抱きながら、わたしは虎鉄にオヒネリと呼ばれる金額付きのチャットを投げ続けるのだった。

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