第9話 望月病院 前編

 吉村と別れて車に戻ると知り合いから電話が入った。


「近くまで来たから会いたい」


 そう言われて、鍋島は稲田家のことに手詰まりを感じていたため、会うことにして、待ち合わせ場所の駅まで今西の運転で向かう。

 丁度電車が到着した直後で駅の改札から大勢の人が出てきていた。その人の流れと反対の方に黒っぽい服の大柄な男が大きな鞄を持った室田剛が立っていた。

 室田は手にした手帳をしきりに見ていたため、鍋島に気づかない。仕方なく鍋島が車から降りて室田に近づく。

 室田はジャーナリストの端くれで、今は東京を拠点に仕事をしているはずだ。それがこんなところまで来るのには何か事情があるはずだが。


「どうしたんだよ」


 鍋島が声をかけるとやっと気づいたようで顔を上げる。室田は笑いながら持っていた手帳をひらひらとなびかせる。

 髪が乱れて疲れているようにも見える。重大な事件でも追っているのかと一瞬考えたが想定外の答えが返ってきた。


「東京で起こった医療事故のことで調べていたらここにたどり着いた」

「あぁ?」


 何を言っているのか、疑いの目を向けると室田はどこか静かなところで話がしたいと言ってきたので、いつものファミレスに向かった。


 ファミレスについて室田の説明を聞く。

 室田が追っていたのは帝都大学病院での医療事故。

 術後患者は急変して死亡して遺族は医療事故だと訴えている。病院は医療事故を認めていないがどうやら本当に医療事故はあったようでその真相を追っていると言った。


「その医療事故がこの街にどんな関係があるんだ?」

「手術にあたったのが、望月正嗣。隣町の望月病院の院長の息子だ」


 望月病院は稲田貴子が入院している病院だ。あそこの院長の息子が医療事故か……。

 鍋島はぼんやりと聞いていた。

 昨夜からあまり寝ていないため睡魔に襲われそうになるのを必死にこらえて室田の話を聞いていた。今西は既に目が半分閉じかけている。


「同じく患者の対応をしたのが看護師の早瀬智恵子。その智恵子が一週間前に亡くなった。自殺と判断されたが、その数日前にある人物と会っていたことを突き止めた。それがこの男だ」


 目の前に出された写真を見て一瞬で目が覚めてテーブルに乗り出した。テーブルが揺れて水の入ったコップから水がこぼれた。


 室田は一瞬手を止めたが、コップの水が落ち着いたのを確認して、数枚の写真をテーブルに並べていく。

 鍋島は写真を覗き込む。先ほどまでの睡魔はどこかにいってしまった。

 三十代くらいの女性と一緒に移っているのは紛れもなく稲田拓人だ……。


「稲田拓人?」


 先程まで半分寝ていた今西も目が覚めたようで写真を覗き込んでいる。


「本当に稲田拓人か?」

「こいつが稲田拓人だろ?」


 室田は確認するように聞き返してきた。


「これどこで撮った写真だ?」

「新宿駅の近くだ」

「隣の女性がその看護師か?」

「そうだ。帝都大学病院の看護師、早瀬智恵子。32歳。遺族から訴えられてから長期の休暇を取っていた。病院としてもあまり表ざたにしたくなくて休みを取らせていたみたいだ」


 そこまで話終えるとさっきドリンクバーで取ってきたオレンジジュースを一気に飲み干して席を立ってまたドリンクバーに行く。


「鍋島さん、松本さんが見たのはこの男ですね」

「おそらくそうだな」


 今西は急いでスマホを取り出して早瀬智恵子と稲田拓人が写っている写真を撮っている。ここでも稲田拓人の目撃情報が出てきたのは想定外だ。

 今度はコーヒーをもって戻ってきた室田に告げる。


「稲田拓人は死んでいるぞ」

「それは調べてきた。だが、この写真は先週の月曜日に撮ったものだ」


 鍋島は別荘火災と昨夜の死体の話をすると室田は手帳を眺め始めた。


「この事件の家族の一人が現在、行方不明だ」

「どの家族だ?」

「木崎利行。望月正嗣の異母兄だ」


 余り関連性がないように思えるが……。


「その木崎はいつからいないんだ?」

「木崎は望月病院の事務局で働いていたが、院長の妻が帰ってきて木崎をクビにした。その夜から行方不明になっているらしいから十月二十日から目撃情報がない」

「別荘火災の前ですね……」


 今西がタブレットを取り出して拓人の情報と照らし合わせている。


「院長の妻は正嗣の母親か?」

「そうだ、望月留美。院長の望月雅一の妻で正嗣の実母だ。正嗣が東京の大学入学と同時に一緒に東京に行って正嗣の世話をしていたらしい。この十年間一度もこの街に帰ってきていなかったが今月初めに突然帰ってきた」

「十年も帰ってきていないのですか?」


 今西が驚く。当然だ。いくら息子の為とはいってもこれだけ長い期間家を空けるのは尋常ではない。


「息子の世話をするためだから帰ってくる暇もなかったんだろう。現に帝都大学病院で上手く立ち回って外科部長の娘との婚約も決まっていたみたいだ」

「じゃあ、正嗣は望月病院を継ぐつもりはないのか?」

「それが違うみたいだ。母親は正嗣に望月病院を継がせたいみたいだが、父親の方は娘の和美に継がせたいと考えているらしい」

「HPに載っていた美人ドクターですね」


 今西はタブレットを操作して望月病院のHPから担当医紹介のページを開いて見せた。


「娘も外科医なんだな」

「かなり優秀みたいだ」


 室田が言う。既に望月病院のことは調べてきたみたいだ。


「母親はどうして急に戻ってきたんだ?」

「それが分からない。ただ、帰ってきたら愛人の子が病院で働いていて激昂してその場でクビにしたって話だ」


 室田は呆れ顔でコーヒーを飲んでいた。

 鍋島もコーヒーカップを手にしたが、空になっていた。仕方なく、カップをもってドリンクバーに行く。


 ホットコーヒーのボタンを押す。

 ボーっとしていてボタンを押し続けていたらしい。気がつくとカップからコーヒーがこぼれかけていた。

 慌ててボタンから手を放して、溢れる寸前のコーヒーをもって席に戻ると今西が腕を組んで何やら考えこんでいた。

 室田も同様に手帳を見て真剣な表情になっている。


「なにか分かったのか?」

「う~ん。おかしくないですか?今聞いたら医療事故は一年前に起きているんですよ。でも、望月病院内では医療事故ことは知らないみたいで。稲田拓人はどうやってこの情報を知ったのでしょうか。あと、あっちのことより確実にお金を取れますよね?」


 今西は含みを持たせた言い方をした。

 確かにそうだ。セキュリティのしっかりした研究所に忍び込むより、医療事故の関係者を脅した方が確実に金になりそうだ。

 今までの拓人の行動から考えると医療事故の方に興味が行きそうなんだが……。


「木崎利行の体形はどんなだ?」

「身長170センチくらいで中肉中背。去年、退院した人と撮った写真がある。これだ」


 室田が出した写真を手に取ってみる。体形は拓人に似ていなくもない。今西がスマホを手にしたのでテーブルに写真を置くとすぐさまその写真を撮っていた。


「行方が分からないんだよな」

「そうだ。さっきの話を聞いて、別荘火災で死んだのは木崎じゃないかと思っている」


 やはり室田も同じことを考えていたようだ。

 鍋島は拓人が起こした事件のことや警察にマークされていたことを話した


「稲田拓人は行方不明の間、ずっと別荘にいたのか?」

「おそらく。生活していた形跡があったらしい」


 室田は腕を組んだまま聞いてくる。


「隠れていた人間が突然東京に行くものか?」

「そこなんだ。それに海で見つかったほうが本当の稲田拓人だと別荘火災の時はどこにいたのか分からない」

「食料品や生活用品などはどうしていたんだろうか」


 鍋島は今西を見たが、今西もその話は聞いていなかったようで首を横に振っていた。


「拓人の実家には父親が住んでいるが、警察が張り込んでいて父親が別荘に行った形跡はなかったと聞いている」

「共犯者がいたという話はないか?」

「その話は聞いたことがないが……」


 そういえば澤谷は拓人が密漁をしていた時、仲間がいたと言っていた。それが共犯者だとしたらあり得る。


「共犯者、いたかもしれない」


「木崎か!」

「誰です!!!」


 鍋島の呟きに二人は大きな反応を示した。

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流星群 早川 葵 @aoide

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